空と風

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天日鷲命 は、中臣の神 1

強烈なタイトルで申しわけありません。
忌部の方々には怒られるかもしれませんが、素人の戯言なので読み流してください。
 
参考
まず、前回の復習です。
 
高知県での伝承では、土佐国一宮・土佐神社の御祭神「一言主神」の后が、土佐国二宮・朝倉神社の御祭神「天津羽々神」。
この「一言主神」の正体は、「事代主神」または「味鋤高彦根神」。
 
静岡県の伝承では、伊豆国一宮・三嶋大社の御祭神「事代主神」の本后が、
式内阿波神社の御祭神「阿波咩命(天津羽々神)」。
 
土佐国一言主神は、土佐國風土記では「高賀茂神」。
 
伊豆國賀茂郡 伊豆三嶋神名神大。 伊豆國賀茂郡 阿波神社 名神大
 
伊豆三嶋神社の元地は、下田市の白浜の長田。
 
阿波神社の鎮座地は、神津島村の長浜。
 
とみれば、静岡の伝承によって、土佐神社の御祭神「一言主神」が、やはり「事代主神」? だということが裏付けられます。
そして、これらの神々が、阿波、長、白浜、賀茂、そして、カツラの地名でつながるということがはっきりします。
 
静岡県に現在「勝浦」の地名は見当たりませんが、「桂」で探すと、
 
 静岡県藤枝市岡部町桂島
 静岡県下田市大賀茂桂
 
などがみえます。
 

※天津羽羽命(アマツハハノミコト) 『大日本神名辞書』
 
 天石戸別命の御子なり。
 御事蹟明かならず。
 別名を阿波咩(アワメノ)命・阿波波(アワワノ)神・阿波(アワノ)神とも稱す。
 八重事代主命の后神なり(古史傳、土左國風土記)。

そして、『安房斎部系図』によれば、天日鷲命(阿波忌部の祖)の妹です。
 
 
朝倉神社風土記逸文(釋日本紀 卷第十四)
 
 土左の國の風土記に曰はく 土左の郡 朝倉の郷あり 郷の中に社あり
 神のみ名は天津羽羽の神なり
 天石帆別の神 天石門別の神のみ子なり
 
原文を見ていないのですが、上記のように若干不正確な文のせいで、あちこちで解釈が一定していません。
つまり、天石帆別神が、天津羽羽神の別名で、天石門別神の御子、と説明するものと、
天石帆別神は天石門別神の別名で、天津羽羽神は、その御子、と説明するものがあるのです。
どちらにせよ、天石門別神の子が天津羽羽神、というのは間違いなさそうです。
 
 
天日鷲命と天津羽々命は、ともに天石門別神、または天手力男命の子、ということになります。
天日鷲命の兄弟姉妹には他に、天比理刀咩命がおり、彼女は忌部の太祖、天太玉命の后です。
安房斎部系図』『大日本神名辞書』
 
 

鴨都波神社にみるように、古来、葛城氏や鴨氏によって、事代主命は祀られてきました。
 
葛城氏は、武内宿禰(たけのうちのすくね)の子、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を始祖とします。
本来の葛城が現在の鳴門市の一部であること、葛城襲津彦の娘、磐之媛命(いわのひめのみこと)が、難波高津宮(香川県津田町)の仁徳天皇大后となったことは、「仁徳天皇は讃岐の天皇」に書きました。
 
以前も書いたように、
神武天皇を水先案内し、倭国造の祖、吉備海部直の祖、木国造の祖となった宇豆毘古(うづひこ)の名は鳴門の渦潮から取られており、その妹、山下影日売の名も当地の山下郷の地名を元とし、その夫、比古布都押之信命は、饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫である阿波の女性、伊香色謎命(8代孝元天皇の妃、9代開化天皇の后、10代崇神天皇の母)の御子であり 式内社 伊加賀志神社 吉野川市川島町 - 空と風、その御子が武内宿禰です。
つまり、日本唯一、阿波の式内社で祀られる伊香色謎命のひ孫に当たる人物が、葛城氏の祖なのです。
 

平安期初期、平安京大内裏の玉手門は阿波国の玉手氏が造ったと、記録されています。
これに先立つ長岡宮(付近に桂川がある)造営に当たっても、阿波の玉手氏が呼ばれています。
これは平城宮の諸門を壊し移転築造させたものです。
奈良県に旧南葛城郡掖上村玉手がありますが、玉手氏の本貫地は阿波なのです。
玉手氏が奈良の氏族なら、わざわざ阿波から呼び寄せる必要はないでしょう。
 
この玉手氏は本姓葛城氏で、葛城襲津彦の後裔です。
 
また別の機会に書きますが、阿波には日本最古の民間人戸籍、田上郷(たのかみのごう)戸籍があり(この戸籍にも葛城姓の名が複数記載)、その内容について、岩利大閑氏は『道は阿波より始まる』で、日本の故国たる阿波からは成年男子は都に出仕する義務があった、と書いています。

続日本後紀(しょくにほんこうき)』巻四、仁明(にんみょう)天皇の承和二年(835)10月の条に、
 
 摂津国従五位下長我孫(ながのあびこ)葛城(かつらぎ)、及其同族合三人、
 賜姓 長宗宿禰
 事代主命八世孫、忌毛宿禰苗裔也。
 
とあり、この「長我孫」とは、

※長直(ながのあたい)
 
 阿波南方に占居した長国造の氏族で、六国史に散見する・・・
 又、栗田寛博士は其の著 『国造族類考』 に東寺文書を引いて、
 
 「仁明の朝、阿波那賀郡大領、長我孫(ながのあびこ)縄主(ただぬし)」
 
 のあったことを述べて居られ、喜田貞吉博士は「小松島講演集」に
 「那賀・勝浦の郡領に長氏のあること、平安期まで続けリ」と明言されている。
 
 『徳島県史』
 
で、生粋の阿波人。
県史も、「阿波に於ける本籍の地を離れて、他国へ往って住む者もあったようで・・・」と書いています。
 
 また、『国造本紀』によると、
 
 都佐国造 志賀高穴穂朝御世 長阿比古(ながのあびこ)同祖 
 三島溝杭命九世孫 小立足尼定賜国造
 
とあり、13代成務天皇の御宇、三島溝杭命9世の孫の小立足尼を土佐国造に定めたことが記され、
長氏もその三島溝杭命の後裔だとわかります。
 
そして同じ時代に、阿波の長国造には、観松彦色止命(第5代孝昭天皇のこととも云う)の九世孫、
小立足尼と祖を同じくする韓背足尼が任命されています。 
 
孝昭天皇を御祭神とする日本唯一の式内社です。
阿波説に、欠史八代の言葉はありません。
 
この長国造である長公(ながのきみ)について、『新撰姓氏録』は、
 
 長公大奈牟智神児積羽八重事代主命之後也
 
と、事代主命の後裔であると明記しています。
 
三島溝杭命(大陶祇命)は、阿波の現在の美馬市穴吹町の三島に居住した王で、
その娘、玉櫛媛(たまくしひめ)とは、日本書紀では事代主神の妃となった女性です。
古事記では、大物主の妃)
そしてその娘、伊須気余理比売が神武天皇の皇后となります。
 
 
長氏を通じて、阿波発、事代主命の血脈でつながっていることは明白です。
もちろん、事代主命の名をそのまま冠する式内社は、全国で阿波国の二社のみなのです。
 
うち一社は、カツラ地名の総本山。  
もう一社は大倭とのつながりも深い阿波郡の神。 

出雲の神とは、阿波の神 - 空と風

 
おおやまと(奈良県)最古の、事代主命を祀る神社は、阿波から分祀されています。
 
そして驚くべきことに、三島溝杭命は、賀茂建角身命のことだといわれているのです。
 
Wikipediaには、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、賀茂御祖神社下鴨神社)の御祭神であり、『新撰姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫で、神武東征の際、高木神と天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導した、と書かれています。
その『新撰姓氏録』をみると、山城国、神別、鴨県主のところに、
 
 神日本磐余彦天皇[謚神武] 欲向中洲之時 山中嶮絶 跋渉失路 於是
 神魂命孫 鴨建津之身命 化如大烏翔飛奉導 遂達中洲 天皇嘉其有功
 特厚褒賞 天八咫烏之号 従此始也
 
とあり、どこに、Wikipediaのいう「『新撰姓氏録』によれば~日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り」とあるのか定かでありませんが(笑)、鴨建津之身命(賀茂建角身命)が八咫烏であるとは明記されています。
日本書紀』には、同じく神武東征の場面で、金鵄(きんし)が登場し、長髄彦との戦いで神武天皇を助け勝利に導いたとされ、八咫烏と金鵄は、しばしば同一視されます。
下鴨神社HPを見ても、
 
古事記』『日本書紀』には、賀茂建角身命を金鵄八咫烏(きんしやたからす)として表わされた御功績が伝えられているとおり~
 
と記されています。
 
この「金鵄」とは「金色の鵄(トビ)」のことで、平田篤胤は「天加奈止美命」(あめのかなとびのみこと)の別名を持つ、天日鷲命のことと断定しています。

 
※ 『日本書紀』 神武天皇即位前紀
 
 皇帥撃長髄彦 連戦不能取勝 時忽然天陰而雨氷 乃有金色霊鵄 飛来止皇弓之弭
 其鵄光曄煜状如流電 
 由是長髄彦軍卒 皆迷眩不復力戦 長髄彦是邑之本号焉
 因亦以為人名 及皇軍之得鵄瑞也 
 時人仍号鵄邑 今云鳥見 是訛也
 
 皇師(みいくさ)遂に長髄彦(ながすねひこ)を撃つ。
 連(しきり)に戦ひて取勝つこと能(あた)はず。
 時に忽然(たちまち)にして天陰(ひし)けて雨氷(ひさめ)ふる。
 
 乃ち金色の霊(あや)しき鵄(とび)有りて、飛び来りて皇弓(みゆみ)に止れり。
 其(そ)の鵄光り曄煜(てりかがや)きて、
 状(かたち)流電(いなびかり)の如し。
 
 是(これ)に由(よ)りて、長髄彦が軍卒(いくさのひとども)、皆迷(まど)ひ眩(まぎ)えて、復(また)力(きは)め戦はず。
 
 長髄彦は是(これ)邑(むら)の本(もと)の号(な)なり。
 
 因(よ)りて亦(また)以(も)て人の名とす。
 
 皇軍の、鵄の瑞(みつ)を得(う)るに及(いた)りて、
 時人(ときのひと)仍(よ)りて鵄邑(とびのむら)と号(なづ)く。
 今鳥見(とみ)と云(い)ふは、是(これ)訛(よこなま)れるなり。
 

迦毛大御神(かものおおみかみ)こと味鋤高彦根神賀茂別雷神は、雷神とされます。
『紀』では、金鵄の様子を、一瞬に空を雲が覆い、雨氷がふり、稲光のように光り輝きつつ現れると表現しています。
気象学的にも、雹(ひょう)は積乱雲内で生成するため、雷とともに発生することが多いのです。
 
余談ですが、以前香川のラジオ放送を聞いていたとき、話題が山歩きの話になり、出演者の女性が
 
忌部氏って知ってますか? 
私、徳島の忌部氏の子孫なんですけど、子供の頃から両親に
「お前のご先祖は天日鷲命といって、高越山の頂上に祀られているんだよ」
って聞かされていたんです。
でも今まで一度も参ったことがなくて、先日はじめて行ってきたんです。
神社の前で手を合わせて「ご先祖様、やっと初めてお参りさせて頂きます」といった途端、空から雹がパタパタ落ちてきて、ご先祖の神様が返事してくださったみたいですっごく感動しました。
 
と語っていました。
天日鷲命が顕現するときには、雨氷(うひょう)が合図するのかもしれません。
 
 
(続く)