2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧
又經十餘國 達於海岸 裴清が達した「海岸」とは一体どこか? 倭王遣小德阿輩臺 從數百人 設儀仗 鳴鼓角來迎 倭王の都の海岸です。 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 都とは、つまり、倭国の都である邪靡堆(やまと)の海岸です。 先に書いたように、この記録…
明年 上遣文林郎裴清使於倭國 度百濟 行至竹島 南望𨈭羅國 經都斯麻國 迥在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以為夷洲疑不能明也 翌(608)年、皇帝、文林郎、裴清を倭国に使わす。 百済を渡り、竹島に至り、南に𨈭羅国を望み、都…
『隋書』倭国伝 倭國 在百濟新羅東南 水陸三千里 於大海之中依山島而居 魏時 譯通中國 三十餘國 皆自稱王 夷人不知里數 但計以日 其國境東西五月行 南北三月行 各至於海 其地勢東高西下 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 古云去 樂浪郡境 及帶方郡並一萬二千…
夏、殷、周、秦の始祖は黄帝の子孫(らしい) いきなり主題から外れますが、『隋書』倭国伝の中には、かなり興味深い記述がありますので、その点に関し若干予習したいと思います。 文章をまとめるのが面倒なので、今回は主としてWikipedia等から引用抜粋(一…
前回、次は「他の中国正史に見る邪馬臺國の位置について書いてみようかな?」な~んて書いてから早2年が過ぎました。(笑) 前回「後漢書に見る倭国」で「当時の中国側から見た倭国の範囲とは広くとも西日本」と書きましたが、まずその外枠を確認したいと思…
日本一社 延喜式式内社 阿波國名方郡 多祁御奈刀弥神社(たけみなとみ)神社 鎮座地 徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1 御祭神 建御名方(たけみなかた)命 八坂刀賣(やさかとめ)命 (徳島県神社誌) 延喜式内小社。歴代藩主蜂須賀候の尊崇極めて篤…
約10年前、田舎に戻って感じたことの一つが「最近の軽トラはかっこいいなぁ」というものでした。何がかっこよかったかというと、オーバーハングの短さ(というか、ほぼゼロ)からから来るスタイルの良さです。DA17Vのかっこよさも、この部分の要素は大きい…