「長髄彦 是 邑之本号焉」と明記されており、その村の元の名は「長(ナカ)邑」だったのです。
阿波の南部「長の国(現・那賀郡)」が後世、「長」「中」「那珂」「那賀」「那加」などと書かれ、それぞれ「ナカ」とも「ナガ」とも呼ばれて、古代阿波人の移動と共に日本各地にその地名がコピーされて来たことは既に書いてきました。
古事記ではこのように、まず地名をあげ、その後に物語を記し、このようなことがあったためその地が○○と呼ばれるようになった、と最初にあげたの地名の由来を語るというパターンが一般的です。
ところが、例によって、漢字の意味だけひろって「長い髄の彦、だから、四肢の長い即ち長身の男の意だ」などという人がいるのには悲しくなります。
この例のように、「登美」「那賀」「長」と、古代、支配者の人名に使われるのは、ほとんど地名なのです。
「金の鵄(トビ)」 である天日鷲命の別名が、「天加奈止美命」と書かれるように、トビとトミは訛りやすいのです。
「富ノ谷」「中富」の地名が残る地域です。
このブログでは、まだ少ししか書いていませんが、もちろんこの地が、神武軍が那賀須泥毘古と戦った舞台なのです。
この場所に、かつて、『新鈔格勅符』に「大同元年(806)本国封二戸を定む」と書かれている
「中臣大鳥神社」がありました。
封戸を定めた記録のなかで、頭に「本国」と付けてあるのを、今のところこれ以外に見たことがありませんが、中臣氏の本国なのですからそう書いたのでしょう。
ただし、この神社は今はなく、ぐーたら先生の調査によって、「大鳥神社」は倭建命を御祭神とし、明治44年、現在の亀山神社に合祀と判明しました。
御祭神を倭建命とするのは、後世の混同やこじつけが多いことは既に書きました。
御祭神が不明になった場合は、人間心理で、より有名で人気の高い神を持ちだそうとするものです。
御祭神が不明になった場合は、人間心理で、より有名で人気の高い神を持ちだそうとするものです。
当神社に関する江戸時代の地誌には一切現れない。
元来の祭神は大鳥連の祖神であるらしかったが、一時期天照大神が祭神とされるようになった。
その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着した。
これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられる。
その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着した。
これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられる。
というようなものであり、『新撰姓氏禄』には、
とあり、大鳥連は中臣氏と祖先を同じくしていました。
※天日鷲命
此の神は阿波の忌部氏の祖神で、
『新撰姓氏録』に神魂命五世の孫とも七世の孫とも記し※、
『古史伝』には天手力雄命の御子ともいう。
天日鷲翔矢(かけるや)命とも申し奉る。
御名義、天は美称、日は奇霊のヒで、鷲は禽鳥中最も猛き鳥にして、
その羽は古来矢をつくるのに用いられる。
此の神思うに、弓矢を作り始めたからか、
此の神思うに、弓矢を作り始めたからか、
或いは亦、御行為猛かりしよし負わせ給える御名ならん。
弓の弭(はず)に留まりし金色の霊鵄(れいし)は、
此の神の化(な)りし鳥ならんという。
『伊那の御祭神』
天日鷲命の血縁は、高御産巣日神の子、天手力男命の子、という説の他に、思金神の子(孫)という説もあることは以前書きましたが、その思金神は高御産巣日神の子といわれており、平田篤胤の説では、天児屋命(中臣氏の祖)と同一神であるとしています。
このように見てきますと、忌部の主要神である天日鷲命とは、実はその祖父(曽祖父)、高御産巣日神が神武天皇のもとへ遣わした八咫烏であり、金鵄であり、賀茂建角身命であり、もとは、中臣系の祖神であったとも考えられます。
その正体が不明のため、さらにさかのぼって遠祖である天児屋命を御祭神としているのです。
過去に、このことに考えを巡らせた人もいたかもしれませんが、天日鷲命が日本書紀の一書に「阿波忌部の祖」とあることをもって、そうならば天太玉命の血筋のはずだから、と、直ちにその可能性を頭から排除したのではないでしょうか。
しかし、忌部研究の第一人者、林博章氏も「忌部氏とは単なる血族氏族ではない」と言っています。
賀茂建角身命は、神魂命孫、鴨建津之身命、化如大烏翔飛奉導。とある。
もちろん戸籍謄本があるわけでもなく、後世の各氏族が権威を求めて先祖を別天神(ことあまつかみ)に求めることも考えられ、どこまで信じるに足るかは不明です。
そこで「忌部」氏族に組み込まれた、血族的には「中臣」にあたる武神が、天日鷲命の正体でしょう。
そしてもう一人の兄弟姉妹、天津羽々命が事代主命の本后となったことで「加茂」ともつながった。
それどころか、1に書いたように、三島溝杭命 = 賀茂建角身命 = 八咫烏 = 金鵄 = 天日鷲命だったとしたら、近親の女性3人、天比理刀咩命を天太玉命に、玉櫛媛を大物主(大国主神?)に、天津羽々命を事代主命に嫁がせた実力者で、加茂氏の太祖という可能性も、ナキニシモアラズ?
整理すると、出身(高天原)、血族(天児屋根系?)、本籍(加茂)、現住所(忌部) の人物。
少なくともこの時代、忌部、中臣、加茂の中心にいたのが、天日鷲命です。
(続く)