空と風

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日本を建国した大国主一族という名の阿波忌部

 
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阿波古事記研究会のシンポジウム用に発行された冊子に寄稿させていただきました。
 
文字数制限があったので、一旦書いたものをかなり削りましたが、ここでは逆に冊子のものから少し字数を増やしました。
 
内容は、当ブログの「鳥の一族」ダイジェスト版のようなもので、ここを読んでいただいた方には何一つ目新しい情報はありませんが、せっかくですから、以下に転載しておきます。
 
 
 
※ 日本を建国した大国主一族という名の阿波忌部 ※

オオクニヌシが日本を建国?古事記とは真逆ではないか!と誰もが思うだろう。
しかし、それが真実の歴史だというのが私の見方だ。
 
阿波古代史に興味を持つ中、一昨年、衝撃的な系図に出会った。
大和国一之宮大神神社社家である高宮家系を記した『三輪高宮家系図』だ。
高宮家は三輪氏で事代主命の後裔である。
 
この系図によると、親子二代の事代主命の存在を確認できる。
大国主命の子、都美波八重事代主命と、その子、天事代主籖入彦命である。
そして、天事代主籖入彦命について「大和国添上郡座率川阿波神是也」と記されている。
 
率川阿波神とは、宝亀二年(771)大納言藤原是公(ふじわらのこれきみ)が夢枕に現れた事代主神の神託に従って、その御霊を阿波国阿波郡から分祀したもので、これが大和国最古の事代主の神祀りである。
 
 
 宝亀二年冬 大納言藤原是公夢云 
 吾狭井御子神也 汝氏神建布都神共住 阿波国 瓦ニ有相親
 而今皇孫命依招集 項吾與ニ建布都神共ニ来臨干帝都欺 宜敷敬之
 是公依夢告 造神殿自阿波勧請之 仍去阿波神也 云々
 
 
式内社事代主神社は全国で阿波国の二社のみだが、阿波郡の社の御祭神は二人目のコトシロヌシだったのである。

藤原是公の夢に顕現した神は「吾は狭井の御子神である」と名乗っているが、狭井神とは大物主神のことであり、『三輪高宮家系図』では、大国主命と都美波八重事代主命の親子の別名を「大物主神」としている。
 
必然、勝浦郡の社は『阿波国治世紀』に記される生夷地名の由来、カツラ、八重地などの地名から見ても初代コトシロヌシを祀っているといえよう。
そして、同系図は、この八重事代主命について又名猿田彦神と記すのである。
 
 
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阿波国一宮大麻比古神社の御祭神は、古来猿田彦神だったが、近代になり「忌部の神社で一宮なのだから御祭神大麻比古神とは、忌部の祖神天太玉命なるべし」という“願望”を根拠として、二柱合わせ祀られるようになった。
しかし、延喜式神名帳に二座と記されていない以上、御祭神は本来一柱である。
 
千葉県南房総市白浜町に鎮座する式内社、下立松原神社所蔵の『安房国忌部家系』によれば、大麻比古命は阿波国忌部神社御祭神の天日鷲命の子である。
つまり、大麻比古命(猿田彦)=事代主だったなら、天日鷲命大国主ということになる。
そんな突飛な説が果たして成立し得るだろうか?
 
謎を解く鍵は、賀茂氏にあった。
 
 
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事代主命は、その後、大物主神と名を変え記紀の物語に登場する。

大物主は丹塗矢に姿を変え川を流れ下り、三島溝咋耳の娘玉依姫と結ばれ、生まれた姫が初代神武天皇の后となる。
 
三島溝咋耳とは、鴨氏の系図などにより、鴨氏の祖である鴨建角身命の別名だと確認できる。
 
また、『山城国風土記』鴨社の縁起によれば、鴨建角身命下鴨神社御祭神)の娘玉依姫のもとへ火雷神の化身である丹塗矢が川を流れ下って二人は結ばれ、賀茂別雷命上賀茂神社御祭神)を生んだとされる。
 
つまり、同一人物(鴨建角身命=三島溝咋耳)の娘、同じ名を持つ、玉依姫Aと玉依姫Bが、それぞれ、賀茂別雷命と、のちに神武天皇の后となる伊須氣余理比売を生んだ、ということである。
そして、その夫は共に丹塗矢に化身した神だった。
この2つの記号、「丹塗矢」と「玉依姫」が、伝承上全く関係のない偶然のものであるわけがない。
 
(「鳥の一族」に書いたので)詳細は省略するが、上記の火雷神大山咋神と同神であり、『三輪高宮家系図』では、阿遅志貴高日子根神の別名を大山咋神と記している。

氏族系図『紀』の記述により、事代主命は鴨氏だとわかるのだが、『記』では兄の阿遅志貴高日子根神が迦毛之大御神と記される。

兄弟が共に鴨氏なのだから、鴨氏の祖は当然その父大国主命なのである。
 
兄弟が何故共に「丹塗矢」に化身する逸話を残したのか?
父の大国主天日鷲命)の別名が天日鷲翔矢命で、二人が矢の神の血を引く人物だからである。

大麻比古命の別名は津杭耳命である。父の天日鷲命鴨建角身命)の別名が(三島)溝杭耳命だからである。
「溝」(三島・吉野川中流)、「津」(大津・吉野川河口)。
海人族の王親子としての居住地を示しているのである。
 

整理しよう。

三島溝咋耳                ー 玉依姫(玉櫛姫・勢夜陀多良比賣) 
¦              |                      ー 姫蹈鞴五十鈴姫(比賣多多良伊須氣余理比賣)
¦          ー 大物主神事代主命)                 |
大国主命            ー|                                |
¦         ー 阿遅志貴高日子根神(火雷神大山咋神)                      |
¦             |                   ー  (可茂別雷命)
鴨建角身命   ー    玉依姫                        |
                                        |
海神豊玉彦   ー    玉依姫                        |
¦             |                ー     神武天皇
穂穂手見命     ー       鵜草葺不合命

※阿波には、謎を解く鍵が、他にも玉依姫の姉「豊玉姫」(式内社豊玉姫神社)はじめ無数にある。
 

三島溝咋耳、大国主命鴨建角身命、は同一人物で、その正体は、天日鷲命である。
 
大国主命を中心に見れば、その長男・阿遅志貴高日子根神に本家(鴨氏)の跡目を継がせた。
従って『記』においては迦毛之大御神と記されるのだ。

そこへ自分(別名・鴨建角身命)の娘、玉依姫Aを嫁がせて、次の跡取りとなる可茂別雷命を儲けた。
そして次男・事代主命にも、自分(別名・三島溝咋耳)の娘、玉依姫B(勢夜陀多良比賣)を嫁がせて、孫娘を儲けた。
 
※名前が違うということは、子の母が違うということ。(異母を持つ兄妹間での結婚)
 
ところで、神武天皇の母もまた玉依姫Cというが、「共に一族の跡を継ぐ男子を生んだ同時代の女性」という観点から、玉依姫Aと玉依姫Cが同じ女性だったら?と仮説を立ててみる。
 
そうすると、鵜草葺不合命=阿遅志貴高日子根神、穂穂手見命=大国主命、となる。
 
穂穂手見命と大国主命の物語を比較すれば、
 
高天原から天降った天神之子が、大山津見神の娘を娶り、その子は兄弟で争い、当初は兄が優位であったが、弟は第三者の勧めを受け、実力者(実は父)へ会いに行き、その娘(つまりは異母妹)を妻とし、2つの武器を与えられ、最終的にはその力を用いて兄を従え、王となる。
 
という全く同じ構成になっていることに気づく。

これが実は、一人の人生のストーリーを二人の人格に置き換えて創作した物語だと考えれば、全ての謎が解けるのである。

天照大御神は、やはり女王で、しかしそれは一時的な女性天皇のような存在であり、高天原の王統は密かにあるいは公然と男系で系統され、葦原の中(那賀・那珂・長)国に引き継がれた。
やがて、倭国と長国が一体(神武天皇による建国)となる時に、大国主命は国と一族の安泰を確固のものとするために、その人生を完遂させたのだろう。
 
 
『紀』は、
 
神渟名川耳天皇(綏靖すいぜい天皇) 神日本磐余彦天皇第三子也。
母、曰媛蹈鞴五十鈴媛命事代主神之大女也。
 
磯城津彦玉手看天皇(安寧あんねい天皇) 神渟名川耳天皇太子也。
母、曰五十鈴依媛命、事代主神之少女也。
 
大日本彦耜友天皇(懿德いとく天皇) 磯城津彦玉手看天皇第二子也。
母、曰渟名底仲媛命、事代主神孫 鴨王女也。
 
と、第3代天皇まで、その后が事代主神の血筋であると明記している。

初期王朝にあっては、鴨氏である事代主命の血を引く女性が天皇の后となる“習わし”だったのである。
 
何故か?
それは王家(鴨氏)の血族を磐石のものにするためだった。
つまり本家へ分家の女性を嫁がせた、というのがこの“習わし”なのだ。
 

建国時において、大国主命は、男系・女系の四系統を全て自分の血筋で固めた孫どうしを結婚させた。
その可愛い孫・神武天皇を全力で支えたのが『新撰姓氏録』等で鴨建角身命の別名と記される金鵄八咫烏の姿なのだ。

平田篤胤が指摘するとおり、この金鵄は天加奈止美(金鵄)命の別名を持つ天日鷲命のことだった。
 
つまり、その孫、可茂別雷命こそが神武天皇なのである。
 
 
何故、記紀では大国主一族の物語が大量に記され、歴代天皇がこの一族を最大級に敬うのか?
何故、全国の神社で天孫よりもはるかに多く大国主一族が祀られるのか?
何故、賀茂御祖神社は「皇室の氏神」を称し、王家は代々この神社を特別視してきたのか?
何故、初代天皇を祀る式内社・古社がどこにも無いのか?

今までのように「大国主命は相当の実力を持った一地方の国津神だった」などという解釈では全く説明が付かないのである。