空と風

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鳥の一族 19 - ⑤ 伊豆長浜神 阿波咩命・阿波波神 阿波比売命

再び「長浜」の神に戻ります。

伊豆国田方郡(現沼津市)に、まさにその名のままの式内社長浜神社」が鎮座します。御祭神は 阿波咩命 です。

何度も言いますが、本来、神社名は「御祭神名+社」です。「長浜(地名)+神社」(ながはまじんじゃ)ではなく「長浜神+社」(ながはまのかみやしろ)なのです。

元々オリジナルの長浜があり、そこで祀られる神の別名とされた。その神が分祠され、神社名が分祠先の地名になる、というパターンです。

 

元禄11年(1698)から「神明社」と称し 天照大神 をお祀りしていたが、明治3年(1870)「長浜神社」と復称

※『伊豆国式社攷略』(明治15年)には「御祭神・伊勢大神なりと云うは神明社の社号からの憶断であろう」との記述があります。

 

『静岡懸神社志』によると、『增訂豆州志稿』(明治21~29年)に

長濱神社は今明神と云ふ 長濱村村社 祭神 阿波咩命 なるべし 式内長濱神社也

按ずるに当社は 神集島神津島のこと) 長濱神社 分祠にて阿波賣命を祀るならん

と記す、とあります。

 

 

大日本神名辭書

「阿波咩(あはめ)の命」は「天津羽羽命」の別名の一つです。

 

 

長浜に鎮座 内浦湾の向かいに淡島

 

目前に淡(あは)島があり、本来は淡島の神を祀るのでは?ともいわれますが、かつらぎ山の存在や、井崎、瀬、その東に長岡という「長」の地名群も、阿波古代史の知識のある方にはピンとくるものがあるでしょう。浜の女神に「あ(い)は・なが」姫説があることを思い浮かべる方もいるでしょう。

 

「19 - ③ 朝倉神 天津羽々命」に添付した古代地図を見ていただければわかりますが、土佐の浦戸湾入り口の「浜」「かつら浜」、その奥に御祭神を「かつらぎ山の一言主大神」とも云われる土佐神社。西方に天津羽羽神を祀る朝倉神社が鎮座しますが、入り江の対岸(東)一帯が、旧「長岡」郷です。

 

鳥の一族 19 - ① 賀志波比売命 - 空と風

鳥の一族 19 - ② 天豊足柄姫命 - 空と風

鳥の一族 19 - ③ 朝倉神 天津羽々命 - 空と風

鳥の一族 19 - ④ 己等乃麻知比売命 - 空と風

 

それでは三度、土佐国式社考』を引用します。上記『大日本神名辭書』にもあるように、天津羽羽命の別名には「阿波咩命」の他にも「阿波波神」があります。

 

遠江國佐野郡 己等乃麻知神社 阿波波神社 阿波波 蓋 天津羽羽 也 

己等乃麻知姫 亦 玉主命女  佐野郡 竝祭 玉主命二子也

 

式内社「阿波波神社」は、736年創建、掛川市粟ヶ岳の山頂に鎮座し、御祭神を「阿波比売命」とします。

 

 

 

 

二社の位置関係はご覧の通りで、阿波波神社は己等乃麻知神社の奥宮的趣があります。

 

阿波波神社の社伝は、

御祭神 阿波比売命は、別名 天津羽羽神 であり、天石戸別命の御子神で、八重事代主命の后神、と伝えます。さらに、

阿波比売命は、和魂(にぎみたま)

天津羽羽神は、幸魂(さきみたま)

己等乃麻知比売命は、荒魂(あらみたま) 

の関係であるとのこと。

つまり、阿波波神阿波比売命)己等乃麻知比売命もまた 同神 ということになります。

 

※ 鳥の一族 19 - ④ 己等乃麻知比売命

に、この二柱の姫神が「同一神」である可能性について述べましたが、可能性どころか、阿波波神社にそう伝承されておりました。

 

私がいかにぶっつけ本番で記事を書いているか、おわかりいただけると思います。

今回は、ただ、ずっと以前より抱いている自分の仮説に従って書き進めているだけなのです。ではその仮説とは何か? はシリーズ最後までに明らかになりますが、キーポイントは「なか(なが)浜」に関係する神の共通性です。

 

地名のナカとナガは同じ、という主張を始めて目にする方は抵抗を感じるでしょう。以前も書きましたが、実は私自身がそうでした。2006年に出版された『記・紀の説話は阿波に実在した』を読んだとき、たった一行、何の説明もなくそう書かれていたのを見て「それは違うだろう」「都合の良い解釈と言われても仕方がないだろう」と強い抵抗感を感じました。

しかし、その後自分で調べてみると、まさにその通りであることが分かりました。現存する地名・合併等で失われた地名を含め「那珂」「那賀」を調べると、地名であるにも関わらず「表記はどちらでもよい」「読みはナカでもナガでもよい」という地域が複数見つかりました。

地名の表記と発音は一種類だけ、というのは平成以降の常識です。これはコンピューター管理社会への変化が原因だと思われます。別の表記や音で住所氏名を登録してしまうと、その情報が引き出せなくなるからです。(消えた年金問題等)イバラギじゃないイバラキだ、などと昔は誰も言っていませんでした。

 

古代から昭和まで、同じ地名に複数の漢字を当てることは大きな問題ではありませんでした。阿波関連で言うと「長国」の一部は現在「那賀」として残りますが、発音は「ナカ」です。阿波忌部が進出し房総半島に建国した国は「安房」ですが、出土した木簡には「阿波」と書かれています。

更に北上した常陸国でも「阿波」「那珂」の地名が残りますが、那珂の古代表記(風土記等)は「那賀」「仲」です。那珂川は昔「阿波川」でしたが、風土記には「粟河」と書かれています。発音は「アハ」であり「アバ・アンバ」です。他にも重要な歴史地名「勝浦・勝占・桂」(カツウラ、本来の訓みはカツラ)などキリがありません。

 

実は、阿波國那賀郡の式内社「賀志波比賣神社」の賀志波比売には、それほど興味を持っていませんでした。阿波古事記研究会が言う「賀志波比売とは天照大神の幼名」という主張も眉唾だと思っていました。

ところが偶然、この姫の祀られる場所は古の海岸で「長浜」だった、ということを知ったのです。現在は小字として近くに残るだけなので今まで気付きませんでした。

賀志波比売 とは 長浜の姫 だったのか!!

という衝撃から今回の記事を書いています。

 

ただ、己等乃麻知神社・阿波波神社の二社は海から離れていて、近くに「長浜」は無さそうです。

 

 

 


しかし、2枚の地図を御覧ください。阿波波神社真南の古代の海辺は、土佐の高知市よろしく大きく入り江となっていました。ここへ流れ込み太平洋に注ぎ出る川を「菊川」といいます。その水源地は阿波波神社の鎮座する粟ヶ岳です。

 

 

 

 

そして、古代の入り江となっている一帯の西岸の地名を「」といいます。ここに海水が入り込んでいた時代、必然そこは「なか浜」だったのではないでしょうか? 

神武朝以降、日本各地に進出した阿波人たちは、みな海路水路を進んだのであり、たとえば、常陸国では那珂湊から那珂川 を北上し、その周辺に「阿波」「那賀」「桂」等、阿波関連地名と、阿波忌部系の神社を残しています。

阿波波神社と己等乃麻知神社に祖神を祀った一派もまた、中浜から菊川を北上したのではないでしょうか?

 

 

ところで、ここでまた一つ、重要な事実に突き当たります。

※ 鳥の一族 19 - ③ 朝倉神 天津羽々命 に書いたように、

天津羽羽神 とは 気吹戸主 であり 豊受大神荒魂 でした。

つまり、阿波比売命荒魂 であるという

己等乃麻知比売命 もまた、豊受大神荒魂 のことなのでしょう。

 

元禄から明治まで、長浜神社を「神明社」と称し伊勢大神をお祀りしていたのは、これら全ての神々の関係を伝承していた、あるいは気づいた人々のなせる行いだったのかもしれません。