不思議の徳島
今回は、伊古奈比咩命について、このシリーズにおける番外編として、また備忘録として書くことにします。 実は、江戸時代のある史料(このあとの回で公開)をFacebookで紹介し、みなさんの意見を聞いた中で、ある古代史研究家の方から驚くようなコメントをい…
awanonoraneko.hatenadiary.com 19 - ⑤に書いたように、『增訂豆州志稿』(明治21~29年)には 長濱神社は今明神と云ふ 長濱村村社 祭神 阿波咩命 なるべし 式内長濱神社也 按ずるに当社は 神集島(神津島のこと) 長濱神社 の分祠にて阿波賣命を祀るならん …
awanonoraneko.hatenadiary.com 前回、阿波咩命を御祭神とする長浜神社の鎮座地に、長浜、長井崎、長瀬、長岡という「長」地名群の他、伊豆葛城山がそびえることを紹介しました。 阿波国と紀伊水道を挟んで向かい合う紀伊国。流れる川も同じ吉野川(紀の川)…
再び「長浜」の神に戻ります。 伊豆国田方郡(現沼津市)に、まさにその名のままの式内社「長浜神社」が鎮座します。御祭神は 阿波咩命 です。 何度も言いますが、本来、神社名は「御祭神名+社」です。「長浜(地名)+神社」(ながはまじんじゃ)ではなく…
事任八幡宮 本宮 Facebookページより 遠江國一宮(一説)は、式内社 遠江國佐野郡 己等乃麻知神社 といいます。 御祭神は、己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)です。 ※ 遠江国(とおとうみのくに)古くは遠淡海国(とほつあはうみのくに)と表記。現…
朝倉神社 前回、「もうひとり、有名な 天石門別神の娘 と云われる女神がいらっしゃいます」と締めくくった、その女神が坐しますのは、阿波ではなく、土佐国の朝倉社です。 awanonoraneko.hatenadiary.com awanonoraneko.hatenadiary.com 勝浦(桂)浜と長浜 …
awanonoraneko.hatenadiary.com 次回で答えを書く、と息巻いたものの、脳内で下書きし始めた段階で「とても無理」という結論に達しました。大目に見てやってください。 前回書いた「長浜」という地名について、全国に点在する長浜のうち、阿波国に関係ありそ…
式内社 阿波國那賀郡 賀志波比賣神社 阿南市津乃峰町東分の津峯神社が当社に当たりますが、同見能林町柏野にもその元社と伝わる賀志波比売神社が鎮座します。 御祭神・賀志波比売命を主祭神とする日本唯一の式内社ですが、唯一であるがゆえ、この賀志波比売…
八咫烏 2012年に『鳥の一族』という古代史の記事を書き、その概略として「日本を建国した大国主一族という名の阿波忌部」を纏めました。過去に小生が書いたものの中では一番アクセスの多い記事です。 内容については、自分が間違っていたと気づけば、いつで…
金刀比羅宮 画像「うどん県旅ネット」 実は私、Facebookもやってるんですが、けっこう楽しいですね。特に、卒業以来会っていない小中高の同級生と、何十年かぶりに繋がれたりして感激することがあります。 最近「友達」になった高校時代の同級生の投稿を見て…
一方そのころ、我が日本はどんな姿だったのか? 漢書 卷二十八下 地理志第八下 燕地条 然東夷天性柔順 異於三方之外 故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫 樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云
上古の日本の姿を知りたいと思った時、まず史料とすべきものは8世紀の記紀となりますが、当然それらが編纂された時代以前の歴史は、各氏族間に何世紀も語り継がれた神話や伝承となります。もっとリアリティのある史料を求めると、中国史料を参考にするほかな…
又經十餘國 達於海岸 裴清が達した「海岸」とは一体どこか? 倭王遣小德阿輩臺 從數百人 設儀仗 鳴鼓角來迎 倭王の都の海岸です。 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 都とは、つまり、倭国の都である邪靡堆(やまと)の海岸です。 先に書いたように、この記録…
明年 上遣文林郎裴清使於倭國 度百濟 行至竹島 南望𨈭羅國 經都斯麻國 迥在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以為夷洲疑不能明也 翌(608)年、皇帝、文林郎、裴清を倭国に使わす。 百済を渡り、竹島に至り、南に𨈭羅国を望み、都…
『隋書』倭国伝 倭國 在百濟新羅東南 水陸三千里 於大海之中依山島而居 魏時 譯通中國 三十餘國 皆自稱王 夷人不知里數 但計以日 其國境東西五月行 南北三月行 各至於海 其地勢東高西下 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也 古云去 樂浪郡境 及帶方郡並一萬二千…
夏、殷、周、秦の始祖は黄帝の子孫(らしい) いきなり主題から外れますが、『隋書』倭国伝の中には、かなり興味深い記述がありますので、その点に関し若干予習したいと思います。 文章をまとめるのが面倒なので、今回は主としてWikipedia等から引用抜粋(一…
前回、次は「他の中国正史に見る邪馬臺國の位置について書いてみようかな?」な~んて書いてから早2年が過ぎました。(笑) 前回「後漢書に見る倭国」で「当時の中国側から見た倭国の範囲とは広くとも西日本」と書きましたが、まずその外枠を確認したいと思…
桓霊間倭國大亂 更相攻伐 暦年無主。 有一女子 名曰卑彌呼。 年長不嫁 事神鬼道 能以妖惑衆。於是共立為王。 侍婢千人 少有見者。唯有男子一人給飲食、傳辭語。 居處宮室樓觀城柵 皆持兵守衛。法俗嚴峻。 桓帝と霊帝の間(146-189年)、倭国は大いに乱れ、…
「倭」で括られる国々には、それぞれ「(倭)王」がいる。 倭の中に「百余の国」があり、大倭王が治める国は「邪馬臺國」である。 邪馬臺國ヤマト国なのか?、邪馬壹國ヤマイ(チ・ツ)国なのか?、どの書にどっちの字が使われているとか言ったところでみな…
※後漢 後漢(ごかん 25年 - 220年)は中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽。 ※後漢書 成立は5世紀、南北朝時代の南朝宋の時代で、編者は范曄(はんよう 398年 - 445年)。范曄著『後漢書』の成立は、43…
阿波古事記研究会のシンポジウム用に発行された冊子に寄稿させていただきました。 文字数制限があったので、一旦書いたものをかなり削りましたが、ここでは逆に冊子のものから少し字数を増やしました。 内容は、当ブログの「鳥の一族」ダイジェスト版のよう…
前回、「あはれ」は「阿波+礼」で、その語源は阿波国にある、と考察してみたのですが、ではその「阿波」の語源が何なのか?というのが、そもそも今回のテーマだったのです。(忘れてました) 結論から言いますと、わかりません。 わかるかい! そんなに簡単…
前回に引き続き馬鹿を晒すことにしますが、私は徳島に生まれ育ち、阿波はずっとawaだと思ってきたのです。 だって、あらゆる場所で阿波はアワとフリガナされていますし、awaとキーボードを打てば阿波と変換されますし、『あわわ』という雑誌が『あはは』では…
最初に断っておきますが、 タイトルは、嘘 です。 さて(何が“さて”じゃ)、徳島県は、昔、阿波の国と長の国から成っていました。 他にも、阿波三国説、四国以上あったとする阿波多国説があります。ただ、古事記の国生み神話にも粟の国として登場し、長国の…
葦原の中ノ国の王たる大国主命となった大穴牟遅命は、その後どうしたのでしょうか。 完成された住みよいクニを任されたわけではありません。 大国主命は大変な苦労を重ねて天の下の国造りに励みました。 この仕事は、とても一人の手に負えるような作業ではな…
前回予告した具体的な系図を書いてみるつもりでしたが、書き始めると全然違う内容になってしまったので次回持越しとします。今回はまず、古事記における天孫の系図と、前回まで書いた私の説を(簡単に)書いて並べてみます。 ※古事記 - 天火明命天照大御神 -…
古事記において「大御神」の称号が冠せられるのは、天照大御神の他には、伊邪那岐命と阿遅志貴高日子根神だけです。 高天原族の王位についた人物への尊称といえるでしょう。 2010年、阿波古事記研究会主催のシンポジウムで宮内庁の三木氏が講演しました…
最初に高天原から天降った天神之子、須佐之男命は中国(ナカの国)の開拓を始めました。しかし、記紀に見るように、それほど積極的ではなかったようです。早々に隠居を考えた様子が「妣の国に行きたいと乞い願った」というエピソードになったのでしょう。 そ…
9月30日の「たかじんのそこまで言って委員会」で、竹田恒泰氏が所功氏と女性宮家について議論されました。番組を見ていない方は、検索をかけると、そのやり取りの一部始終が分かりますから、ご覧になって下さい。 ネットで批判する人も多いようですが、私は…
林 博章先生の動画と同じく、三木信夫氏の公園もアップされていたので紹介します。 「日本麻フェスティバル&フォーラム in栃木」での講演です。