ここで頭を整理するために、一旦シンプルにここまでの流れをまとめてみます。
事代主命が鴨氏の祖神の一人であることは、鴨氏の系図や日本書紀の記述に確認されます。
一方、異母兄の阿遅志貴高日子根命は、古事記において迦毛之大御神と称されます。
つまり、二人の父である大国主命こそが、本当の鴨氏の太祖、すなわち賀茂建角身命であると分かります。
この賀茂建角身命は、鴨系神社の社伝や新撰姓氏録において、八咫烏・金鵄、と同一人物であると確認できます。
そして、その金鵄とは、天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)の別名を持つ天日鷲命のこと、と平田篤胤、『大日本神名辞書』等が指摘しています。
そして、その金鵄とは、天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)の別名を持つ天日鷲命のこと、と平田篤胤、『大日本神名辞書』等が指摘しています。
天石門別八倉比売神社は、延久二年(1070)の太政官符で「八倉比賣神の祈年月次祭は日本国の大典であるからしっかり執り行え」と国司を叱っていますが、その太政官符には八倉比賣神を「忌部神」と記しています。
大麻比古命は、斎部氏系図に天日鷲命の子と書かれており、大国主命(天日鷲命)の子 ー 事代主命(大麻比古命)(猿田彦神)で、完全一致し、それにより上の「大国主命=賀茂建角身命=天日鷲命」が証明されます。
ここで、私説を書いてみましょう。
つまり、異母を持つ兄弟姉妹間での結婚です。
兄弟姉妹間での結婚は、現代人にはピンと来ませんが、記紀を読めばわかるように、古代の少なくとも王家では普通の事でした。
もっとイメージしやすいように書いてみます。
古代の王○○は、后とともに本宮(本宅)に住んでいます。
その他にも妻が複数いますが、大奥やハーレムにように、みな一緒にその宮に住んでいるわけではないのです。
そして、ヌマカワヒメ、ヤガミヒメともに板野郡の女性です。
スセリヒメが大国主命に詠んだ歌にも次のものがあります。
夜知富許能 加微能美許登夜 阿賀淤富久邇 奴斯許曾波 遠邇伊麻世婆
宇知微流 斯麻能佐岐邪岐 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受
和加久佐能 都麻母多勢良米
阿波母與 賣邇斯阿禮婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯
宇知微流 斯麻能佐岐邪岐 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受
和加久佐能 都麻母多勢良米
阿波母與 賣邇斯阿禮婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯
八千矛の、神の命や、吾が大國 主こそは、男に坐せば、
打ち見る、島の崎々、掻き見る、磯の崎落ちず、
若草の、妻持たせらめ。
吾はもよ、女にしあれば、汝措きて、男はなし、汝措きて、夫(つま)はなし。
打ち見る、島の崎々、掻き見る、磯の崎落ちず、
若草の、妻持たせらめ。
吾はもよ、女にしあれば、汝措きて、男はなし、汝措きて、夫(つま)はなし。
あらゆるところに妻を持つでしょう。
でも私は女ですから、あなたの他に男はいません。あなたの他に夫はいません。
でも私は女ですから、あなたの他に男はいません。あなたの他に夫はいません。
※この歌は、後で書く私の説にも関係します。
王○○は、妻を持つ地、A地、B地、C地にも家を持ち、それぞれ(時には)、その地名をとった別名で呼ばれました。
そして、宮、A地、B地、C地で生まれた、それぞれ別の母を持つ兄弟姉妹は、時に結婚したのです。
日本書紀には、
母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。
事代主神の長女である。
母は五十鈴依姫命(いすずよりひめのみこと)。事代主神の次女である。
母は渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)。
事代主神の孫、鴨王(かものきみ)の娘である。
その謎を解き明かすのが今回の趣旨なのです。
それは、彼こそが賀茂建角身命の多くの子の中で「鴨氏の本家筋」(直系男子の系統)を継ぐからです。
では、その「男系」阿遅志貴高日子根命の系譜は何故記されないのか?
いえ、記されていたのです。その名を変えて。
先に書いた「丹塗り矢伝説」の登場人物の関係図を見て下さい。
つまり、火雷神=大山咋神=阿遅志貴高日子根神、です。
(続く) ここから先こそが大変なのですよ。