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鳥の一族 8 事代主命

 
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ここで頭を整理するために、一旦シンプルにここまでの流れをまとめてみます。

事代主命が鴨氏の祖神の一人であることは、鴨氏の系図日本書紀の記述に確認されます。
一方、異母兄の阿遅志貴高日子根命は、古事記において迦毛之大御神と称されます。
つまり、二人の父である大国主命こそが、本当の鴨氏の太祖、すなわち賀茂建角身命であると分かります。
 
この賀茂建角身命は、鴨系神社の社伝や新撰姓氏録において、八咫烏・金鵄、と同一人物であると確認できます。
そして、その金鵄とは、天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)の別名を持つ天日鷲命のこと、と平田篤胤、『大日本神名辞書』等が指摘しています。
 
 
『三輪叢書』高宮系図において、事代主命の別名が猿田彦神と書かれています。

阿波国は忌部国。阿波国式内大社三社は、天石門別八倉比売神社・忌部神社大麻比古神社ですが、全て忌部系の神社です。
天石門別八倉比売神社は、延久二年(1070)の太政官符で「八倉比賣神の祈年月次祭は日本国の大典であるからしっかり執り行え」と国司を叱っていますが、その太政官符には八倉比賣神を「忌部神」と記しています。
忌部神社は、延喜式神名帳に、「天日鷲神」また「麻植神」と書かれています。
大麻比古神社の御祭神は、古来から猿田彦神です。
 
大麻比古命は、斎部氏系図天日鷲命の子と書かれており、大国主命天日鷲命)の子 ー 事代主命大麻比古命)(猿田彦神)で、完全一致し、それにより上の「大国主命賀茂建角身命天日鷲命」が証明されます。
 

ここで、私説を書いてみましょう。

宮中八神事代主命の系譜は、かなり明らかとなっております。
鴨氏の系図記紀の記載。
三嶋湟咋と賀茂建角身命は同一人物で、大国主命のこと。
 
すなわち、大国主の子、事代主と、大国主(三嶋湟咋)の子、玉依姬(A)の娘、伊須氣余理比賣は神武天皇の后である。
 
つまり、異母を持つ兄弟姉妹間での結婚です。
 
兄弟姉妹間での結婚は、現代人にはピンと来ませんが、記紀を読めばわかるように、古代の少なくとも王家では普通の事でした。
もっとイメージしやすいように書いてみます。

古代の王○○は、后とともに本宮(本宅)に住んでいます。
その他にも妻が複数いますが、大奥やハーレムにように、みな一緒にその宮に住んでいるわけではないのです。
A地域、B地域、C地域に、それぞれ別邸があり妻がいます。
そこへ通ったり滞在したりするのです。
これは記紀の物語や歌を見ればわかることです。

大国主命の場合、正妻のスセリヒメとは旧板野郡に住んでいました。
須佐之男命から、宇迦能山之山本に住むよう命じられたからです。
 
 
そして、ヌマカワヒメ、ヤガミヒメともに板野郡の女性です。
 
スセリヒメが大国主命に詠んだ歌にも次のものがあります。
 
 夜知富許能 加微能美許登夜 阿賀淤富久邇 奴斯許曾波 遠邇伊麻世婆
 宇知微流 斯麻能佐岐邪岐 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受
 和加久佐能 都麻母多勢良米
 阿波母與 賣邇斯阿禮婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 
 
 八千矛の、神の命や、吾が大國 主こそは、男に坐せば、
 打ち見る、島の崎々、掻き見る、磯の崎落ちず、
 若草の、妻持たせらめ。
 吾はもよ、女にしあれば、汝措きて、男はなし、汝措きて、夫(つま)はなし。

八千矛の神の命、私の大国主
あなたは男で、この国の王なのですから、目に入る島の崎々、遠方の磯の崎まで、
あらゆるところに妻を持つでしょう。
でも私は女ですから、あなたの他に男はいません。あなたの他に夫はいません。
 
※この歌は、後で書く私の説にも関係します。
 

王○○は、妻を持つ地、A地、B地、C地にも家を持ち、それぞれ(時には)、その地名をとった別名で呼ばれました。
そして、宮、A地、B地、C地で生まれた、それぞれ別の母を持つ兄弟姉妹は、時に結婚したのです。
 
大国主命の場合、三島に居住した時の名が、三島溝咋耳命、加茂に居住した時の名が、賀茂建角身命です。(カモの場合は名が先かもしれません)
 
 
 
事代主命の子孫は、鴨氏、葛城氏、長氏など名門として続きますが、メインとして記紀に記されるのは「女系」の方なのです。

日本書紀には、
 
 神渟名川耳天皇(綏靖すいぜい天皇) 神日本磐余彦天皇第三子也。
 母、曰媛蹈鞴五十鈴媛命事代主神之大女也。
 
 母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。
 事代主神の長女である。
 
 磯城津彦玉手看天皇(安寧あんねい天皇) 神渟名川耳天皇太子也。
 母曰五十鈴依媛命、事代主神之少女也。
 
 母は五十鈴依姫命(いすずよりひめのみこと)。事代主神の次女である。
 
 大日本彦耜友天皇(懿德いとく天皇) 磯城津彦玉手看天皇第二子也。
 母曰渟名底仲媛命、事代主神孫 鴨王女也。
 
 母は渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)。
 事代主神の孫、鴨王(かものきみ)の娘である。
 
と、第4代天皇まで、その母が、事代主神の血筋であると明記しています。
 
 
一般的な感覚として、高天原が国譲りを強要した相手である国津神大国主命の子で、国譲りに際して姿を消した、などとも言われる事代主命が、皇室に格別の存在を示していると思いませんか?
 
神武天皇が、大妃を選ぶときにも、伊須氣余理比賣が大物主神事代主命)の娘であるということを非常に重視しています。
 
雄略天皇葛城山で出会った、一言主大神も、事代主命説、阿遅志貴高日子根命説がありますが、どちらにせよ大国主命の子であり、その一言主大神に対したいへんな敬意を示しています。
 
天皇大国主命の血族との関係には、誰でも非常に不自然な印象を持つと思います。
その謎を解き明かすのが今回の趣旨なのです。
 
 
そしてさらに、もう一つの謎があります。
ここで、この事代主命が「鴨氏の祖」であると、何か信頼出来る古史古伝に記されていれば、話はここで終わりなのです。
ところが、そのような事実はなく、異母兄の阿遅志貴高日子根命の方が、古事記において「迦毛之大御神」と記されるのです。
いったい何故なのか?
 
 
それは、彼こそが賀茂建角身命の多くの子の中で「鴨氏の本家筋」(直系男子の系統)を継ぐからです。

では、その「男系」阿遅志貴高日子根命の系譜は何故記されないのか?
いえ、記されていたのです。その名を変えて。
 
それこそが、『山城国風土記』『秦氏本系帳』に「伝わった」丹塗り矢伝承です。
先に書いた「丹塗り矢伝説」の登場人物の関係図を見て下さい。

同様の伝説、同じ玉依姫という名の母を持つ子供のうち、その子供が女性である話は、父が事代主命です。
子供が男性である話が、阿遅志貴高日子根命の系譜なのです。
 

 

つまり、火雷神=大山咋神=阿遅志貴高日子根神、です。
 
 
日吉大社において、大山咋神と、その妃神として鴨玉依姫が祀られていること、
「三輪高宮家系図」に、阿遅志貴高日子根神の別名を大山咋神と記してあることを思い出してください。
 

そしてさらに、古事記日本書紀では、その系譜が“巧みに”隠されたのです。
 
 
 
(続く) ここから先こそが大変なのですよ。