空と風

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式内社 伊加賀志神社 吉野川市川島町

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日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社

鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635

御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)



『阿府志』には、

「桑村山の麓にあり、俗に日命大明神、今は伊加加志大明神、
 野老傳へて曰く、桑村の河邊に大竹藪あり、
 その地をイカカシと云ふ、今は川となりて、田少しのこれり、
 昔し是地より山ノ麓へうつしたりと、その時より日命と號す、
 近代、神官イカカシト改むものは舊名によるなり」

『阿波志』には、

「伊加賀志祠、延喜式亦小祠となす。桑村に在り即ち伊加賀志許売命 俗に伝う日命と・・・
 其地伊加賀志と名付く、竹多しかつて没して川となる。因って祠を山麓に移す」

と、あり、元地は同町の「伊加々志」にあったが、洪水のため現在の「大明神」へ遷されたとしている。


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伊加賀色許賣命は、8代孝元天皇の妃、9代開化天皇の后で、10代崇神天皇の母。
彼女は、伯母に当たる鬱色謎(うつしこめ)と共に孝元天皇の妃となり、孝元なき後、その子開化天皇の后となり、崇神天皇をお生みになられた。

俗称は日命。
当社は、朝廷より「大明神」の称号を受け、明治までは「日命(ひのみこと)大明神」とも呼ばれていた。


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伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では物部氏」の祖神とされている。

先代旧事本紀』によれば、両神饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、伊加賀色両神の母(日本書紀による。『先代旧事本紀』によれば“父”)とされる大綜杵命(おおへつきのみこと)~饒速日命5世孫~も、隣町鴨島町「御所神社」に祀られている。


このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。しかし、

① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、
  全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 上記のように朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。
これまで「忌部」の研究が不足していたため、歴史の中で有名なその他の氏族のみで仮説・ストーリーが立てられてきた側面がある。
今後の研究が進み関係が明らかになることを期待する。

もちろん他にも、阿波忌部と大和朝廷の深い関係を示す痕跡は多数存在するので、少しずつではあるが紹介したいと思う。


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境内飛び地の「王子宮」に、伊加賀志許賣命の王子、崇神天皇が祀られている。
崇神天皇を実在する最古の天皇と考える人は多いが、御祭神として祀る神社は探しても見つからない。
日本で当社だけともいわれる。