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鳥の一族 16 玉依姫

 
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古事記において「大御神」の称号が冠せられるのは、天照大御神の他には、伊邪那岐命と阿遅志貴高日子根神だけです。
高天原族の王位についた人物への尊称といえるでしょう。

2010年、阿波古事記研究会主催のシンポジウムで宮内庁の三木氏が講演しましたが、その中で三木氏は天皇陛下のことを、何度もオカミと呼ぶのでした。
宮内庁の人間が皆そうなのかは知りません。
しかしそのように、古代において、オオミカミと言えば、特定の立場の人物を指したと思われます。
 

 

伊邪那岐命は、天照大御神高天原を治めよと神勅していることから、最低でも王位継承権を持つ人物だったことが分かります。
一度は王位についた可能性が高いのです。
 
阿遅志貴高日子根神が迦毛大御神と称されたという、古事記文中数少ない神のエピソードは、ある意味決定的で、この言葉が記されていなければ謎は解けなかったかもしれません。
しかしながら、阿遅志貴高日子根神のエピソードは極めて文章量が少ないため謎が多かったわけです。

何故、大国主命の長男で、迦毛大御神と称されるほどの人物が国譲りのシーンに出てこないのか?
以前書いたように中の国にはいなかったからです。
何故、事代主命はその後も物語に登場するのに、阿遅志貴高日子根神は何も記されないのか?
隠されたからです。
 

 

すでに書いたように、事代主命の系譜は女系のみ、古事記では神武天皇へ、日本書紀では綏靖天皇安寧天皇まで、その血筋の女性が后となったと記録されます。
阿遅志貴高日子根神は、大国主命の男系の直系だから記されなかった、と以前書いた意味がわかってもらえるでしょうか?
大国主命火遠理命だからです。
 
しかし、記紀では記されなかった阿遅志貴高日子根神のエピソードは、他の文献に姿を表すことになりました。
山城国風土記逸文賀茂社 <釈日本紀 第九> です。
 
事代主命は複数の系図に鴨氏として記載され、紀では懿德天皇の母である渟名底仲媛命は、事代主神の孫、鴨王(かものきみ)の娘、と記されています。
兄の阿遅志貴高日子根神が「迦毛大御神」なのですから、鴨氏を祀る神社の縁起にその一族の姿が見えるのは当然でしょう。
 
山城国風土記では、すでに書いたように、阿遅志貴高日子根神は、可茂別雷命の父、火雷神の名で登場します。
可茂別雷命の母は、玉依姫(たまよりひめ)、その父が、賀茂建角身命大国主命の別名です。
つまり、兄弟姉妹間での結婚です。
 
私が阿遅志貴高日子根神の投影だとする一方の鵜草葺不合命はどうでしょうか?
その后の名もまた、玉依姫です。
 
母である豊玉姫の妹、と記紀は記しています。
これは記紀編纂時、すでに伝承の混乱があったためでしょう。
記紀は複数の異なる伝承を元に編纂されています。

火遠理命の后が豊玉姫である
豊玉姫の妹が玉依姫である
③鵜草葺不合命の后が玉依姫である
 
という複数の伝承を一つに組み合わせたと考えられます。
 
しかし、誰が読んでも、育ての母でもある叔母と結婚するという話には違和感を感じるでしょう。
この謎も阿波でなければ解けません。
 
全国で阿波にしかない式内社が多数あるのですが、そのひとつに事代主神社があります。
式内事代主神社は2社ありますが、他国に伝わる系図により、積羽八重事代主命と天事代主籖入彦命という親子2代に渡る事代主命の存在が確認できます。

同じように、阿波には、和多都美豊玉比賣神社と天石門別豊玉比賣神社という、2社の豊玉姫を祀る式内社があります。
つまり、豊玉姫は二人いたのです。

おそらく、和多都美豊玉彦の娘(火遠理命の后)が和多都美豊玉姫火遠理命の娘が天石門別豊玉姫でしょう。
何故ならば、火遠理命大国主命であり、大国主命とは天日鷲命だからです。
 

 

『続・阿波国風土記
 
天津國玉神ノ御子 天日鷲命ハ 即日向皇子ニテ 是天石門別神 其御霊ヲ倭大國玉神トイフ
天石門別神 櫛磐竃神ノ后神ヲ 天石門別八倉姫トイフ 
次妃豊玉姫ハ 椎根津彦ノ祖ナリ 
 
天日鷲命は、天石門別神であり、その御霊が倭大國玉神だと書いています。
最初見たときは私も意味がわからなかった。でも今はわかります。
天日鷲命大国主命=倭大國玉神、だからです。
 
天日鷲命の后は、天石門別八倉姫。次の后が豊玉姫です。
天日鷲命火遠理命だから、后はともに豊玉姫なのです。
 
また、天日鷲命は天津國玉神ノ御子、と書かれていますが、古事記では、天津國玉神の子である天若日子が、阿遅志貴高日子根神の妹、下照姫と結婚し、またその阿遅志貴高日子根神の容姿が父母も見間違うほど天若日子にそっくりであった、と記しています。
近い親戚なのですから何の不思議もありません。

天石門別神の妃であるから天石門別八倉姫であり、天石門別神の娘であるから、天石門別豊玉姫なのでしょう。
玉依姫の姉と云われるのは二人目の豊玉姫、天石門別豊玉姫です。
つまり、鵜草葺不合命とは同世代の女性ということになります。
 

そしてこれもまた、阿遅志貴高日子根神(大山咋神・火雷神)と賀茂建角身命の娘・玉依姫との結婚と同じく、兄弟姉妹間での結婚ということになります。
何から何まで同じなのです。

 
このように、これまで解けなかった古代の謎は、阿波を知ることで解明してゆきます。
正確には、天日鷲命の謎、最低でもその別名がわかること。
特に、賀茂氏天日鷲命から発祥していることを知ることは最も重要なKEYとなります。
 
播磨国風土記においても、加古郡の項で、鴨波里を「鴨波(あわわ)の里」と訓んでいるがごとしです。
カモの大御神、とは、アワの大御神、ということにもなります。
 

ここで注目スべきは、玉依姫という名前です。
 
記紀には複数の玉依姫が登場しますが、これまでは、玉依姫はそれぞれ別の物語の中で登場するために全て別人とされていたのです。
 
しかし、上に見るように、少なくとも鵜草葺不合命の后である玉依姫と、火雷神の妃である玉依姫は同じであると見ることができます。
 
ただし、全ての玉依姫が同一人物というわけではありません。

もう一人、有名な玉依姫がいます。
 
 

 鳥の一族 7 丹塗矢伝説

 
「三嶋湟咋」の娘「勢夜陀多良比賣」=「玉櫛姫」=「活玉依姫」は、「大物主神」=「事代主神」の妻で、その娘「伊須氣余理比賣」=「五十鈴姫」は、神武天皇の大后。
 

三嶋湟咋は、すでに書いたように、大国主命賀茂建角身命天日鷲命であり、
その娘・玉依姫古事記では勢夜陀多良比賣であり、
彼女は阿遅志貴高日子根神の弟、事代主命の妃であり、その娘は神武天皇の大妃。
 
 
もう、お分かりですか?
 
 
 可茂別雷命 が 神武天皇 である。
 
 
その父は、は阿遅志貴高日子根神。 母の名は、玉依姫
神武天皇の后の父は、事代主命。 母の名は、玉依姫
 
そして、この二組の夫婦の懐妊は、ともに、いわゆる丹塗矢伝説となっています。
 
 
つまり、神武天皇とその后・伊須氣余理姫、それぞれの父母4人は、
 
 全員、大国主命の子供です。
 
 
次回は、分かりやすいように系図で示してみましょう。
いつになるかわからないので、時間のある方は書いてみてください。
私は、これまで書いたことを、系図を書きながら考えていたのですが、初めてこれに気づいた時に背筋が寒くなりました。
そして、ブログに書くのを躊躇ったのです。
 
(続く)