2010年、阿波古事記研究会主催のシンポジウムで宮内庁の三木氏が講演しましたが、その中で三木氏は天皇陛下のことを、何度もオカミと呼ぶのでした。
宮内庁の人間が皆そうなのかは知りません。
しかしそのように、古代において、オオミカミと言えば、特定の立場の人物を指したと思われます。
阿遅志貴高日子根神が迦毛大御神と称されたという、古事記文中数少ない神のエピソードは、ある意味決定的で、この言葉が記されていなければ謎は解けなかったかもしれません。
しかしながら、阿遅志貴高日子根神のエピソードは極めて文章量が少ないため謎が多かったわけです。
何故、大国主命の長男で、迦毛大御神と称されるほどの人物が国譲りのシーンに出てこないのか?
以前書いたように中の国にはいなかったからです。
何故、事代主命はその後も物語に登場するのに、阿遅志貴高日子根神は何も記されないのか?
隠されたからです。
すでに書いたように、事代主命の系譜は女系のみ、古事記では神武天皇へ、日本書紀では綏靖天皇、安寧天皇まで、その血筋の女性が后となったと記録されます。
阿遅志貴高日子根神は、大国主命の男系の直系だから記されなかった、と以前書いた意味がわかってもらえるでしょうか?
大国主命が火遠理命だからです。
阿遅志貴高日子根神は、大国主命の男系の直系だから記されなかった、と以前書いた意味がわかってもらえるでしょうか?
大国主命が火遠理命だからです。
事代主命は複数の系図に鴨氏として記載され、紀では懿德天皇の母である渟名底仲媛命は、事代主神の孫、鴨王(かものきみ)の娘、と記されています。
兄の阿遅志貴高日子根神が「迦毛大御神」なのですから、鴨氏を祀る神社の縁起にその一族の姿が見えるのは当然でしょう。
兄の阿遅志貴高日子根神が「迦毛大御神」なのですから、鴨氏を祀る神社の縁起にその一族の姿が見えるのは当然でしょう。
山城国風土記では、すでに書いたように、阿遅志貴高日子根神は、可茂別雷命の父、火雷神の名で登場します。
可茂別雷命の母は、玉依姫(たまよりひめ)、その父が、賀茂建角身命。大国主命の別名です。
つまり、兄弟姉妹間での結婚です。
可茂別雷命の母は、玉依姫(たまよりひめ)、その父が、賀茂建角身命。大国主命の別名です。
つまり、兄弟姉妹間での結婚です。
私が阿遅志貴高日子根神の投影だとする一方の鵜草葺不合命はどうでしょうか?
その后の名もまた、玉依姫です。
その后の名もまた、玉依姫です。
③鵜草葺不合命の后が玉依姫である
という複数の伝承を一つに組み合わせたと考えられます。
しかし、誰が読んでも、育ての母でもある叔母と結婚するという話には違和感を感じるでしょう。
この謎も阿波でなければ解けません。
この謎も阿波でなければ解けません。
全国で阿波にしかない式内社が多数あるのですが、そのひとつに事代主神社があります。
式内事代主神社は2社ありますが、他国に伝わる系図により、積羽八重事代主命と天事代主籖入彦命という親子2代に渡る事代主命の存在が確認できます。
式内事代主神社は2社ありますが、他国に伝わる系図により、積羽八重事代主命と天事代主籖入彦命という親子2代に渡る事代主命の存在が確認できます。
また、天日鷲命は天津國玉神ノ御子、と書かれていますが、古事記では、天津國玉神の子である天若日子が、阿遅志貴高日子根神の妹、下照姫と結婚し、またその阿遅志貴高日子根神の容姿が父母も見間違うほど天若日子にそっくりであった、と記しています。
近い親戚なのですから何の不思議もありません。
天石門別神の妃であるから天石門別八倉姫であり、天石門別神の娘であるから、天石門別豊玉姫なのでしょう。
玉依姫の姉と云われるのは二人目の豊玉姫、天石門別豊玉姫です。
つまり、鵜草葺不合命とは同世代の女性ということになります。
そしてこれもまた、阿遅志貴高日子根神(大山咋神・火雷神)と賀茂建角身命の娘・玉依姫との結婚と同じく、兄弟姉妹間での結婚ということになります。
何から何まで同じなのです。
このように、これまで解けなかった古代の謎は、阿波を知ることで解明してゆきます。
正確には、天日鷲命の謎、最低でもその別名がわかること。
特に、賀茂氏が天日鷲命から発祥していることを知ることは最も重要なKEYとなります。
正確には、天日鷲命の謎、最低でもその別名がわかること。
特に、賀茂氏が天日鷲命から発祥していることを知ることは最も重要なKEYとなります。
カモの大御神、とは、アワの大御神、ということにもなります。
ここで注目スべきは、玉依姫という名前です。
ただし、全ての玉依姫が同一人物というわけではありません。
もう一人、有名な玉依姫がいます。
もう、お分かりですか?
可茂別雷命 が 神武天皇 である。
その父は、は阿遅志貴高日子根神。 母の名は、玉依姫。
そして、この二組の夫婦の懐妊は、ともに、いわゆる丹塗矢伝説となっています。
全員、大国主命の子供です。
次回は、分かりやすいように系図で示してみましょう。
いつになるかわからないので、時間のある方は書いてみてください。
私は、これまで書いたことを、系図を書きながら考えていたのですが、初めてこれに気づいた時に背筋が寒くなりました。
そして、ブログに書くのを躊躇ったのです。
私は、これまで書いたことを、系図を書きながら考えていたのですが、初めてこれに気づいた時に背筋が寒くなりました。
そして、ブログに書くのを躊躇ったのです。
(続く)