~その「奈良」であるが、当社へ至る徳島から東かがわ市へ抜ける山道を「奈良街道」という。
阿波の「奈良」を出発して、奈良街道を北上し、「大阪峠」を抜けて「難波」へ出る。~
と書いたので地図に記入してみました。
あ~。
この地図の解説だけで、たっぷり時間がかかるなあ。
この地図の解説だけで、たっぷり時間がかかるなあ。
しかも、他にももっと、関心を引く地名や神社が多数この地図上にあるのに、主だったものしか書いていません。
さらに、この地図をもう少し縦や横に広げたら大変なことになります。
ああ、それでかぁ。
という気がします。
私がブログに書いている話や神社は、考えて順番を決めてはいません。
という気がします。
私がブログに書いている話や神社は、考えて順番を決めてはいません。
行きたいと感じたら行き、書きたいと思ったら書く、という感じです。
それでも必ずどこかで、他の記事と関連してくるので、なんの問題もないのです。
それでも必ずどこかで、他の記事と関連してくるので、なんの問題もないのです。
ずっと以前に訪れたのに、書いていない神社もいっぱいありますし、逆に無性に書きたくなる話や神社が出てくることもあります。
水主神社は、行ったその日にどうしても書きたくなりました。
倭迹々日百襲姫の痕跡は、地図を見ても、阿波・讃岐を貫いていますし、大物主命がらみの話から、第10代崇神天皇がらみの話まで、記紀の物語の中心にも存在します。
倭迹々日百襲姫の痕跡は、地図を見ても、阿波・讃岐を貫いていますし、大物主命がらみの話から、第10代崇神天皇がらみの話まで、記紀の物語の中心にも存在します。
ということで、今回は睡眠不足ゆえ、休日などにぼちぼち書いていきます。
ひとつだけ書いておけば、
当時、(現在の)大阪に「難波」はありません。
ということは、「難波津」とその付近で展開される物語は、「東四国」の話であり・・・。
(▼0▼)/~~see you again!