空と風

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船岡山の謎 ⑤ 天村雲命 その二

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天照大神

籠神社の由緒には、

 神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、
 その御縁故によって人皇十代祟神天皇の御代に天照大神大和国笠縫邑からおうつりになって、
 之を吉佐宮(よさのみや)と申して一緒にお祭り致しました。

 その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代に
 それぞれ伊勢におうつりになりました。
 それに依って當社は元伊勢と云われております。

 両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、
 元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の祟敬を集めて来ました。

と、書かれています。

天照大神が、「大和国」「笠縫邑」からおうつりになって、と書かれていますが、これはすでに何度も指摘した様に、原文では「倭」となっているはずで、このように昔から現代にいたるまで「倭」=「大倭」=「大和」=「奈良県」との思い込みが古代を考える上で間違いの元となっています。

いろいろ文献を見ていますと、はなはだしきは、原文で「倭」と書かれている部分を「日本」と書いてあったりします。

岩利大閑説では、もちろん、この「倭笠縫邑」も阿波国内の場所で、倭大國玉神大國敷神社が鎮座する美馬市、そのなかでも昔から和傘の名産地であった「郡里」(『和名抄』では大村郷)の一帯としています。

「郡里」というのも、元の意味は「神郷(こうざと)」だったのかもしれません。

この大村郷に鎮座する式内社天都賀佐毘古神社

天都賀佐毘古(あまつかさひこ)は、どう見ても「天津」「かさ」「彦」の組み合わせで、ポイントが「かさ」にあることがわかります。

御祭神が、級長津彦神という風神ですので、「かさ」を「風」に絡めて解釈する説があるのですが、これは「笠縫邑」の「かさ」でしょう。


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このあと特集する予定ですが、古事記の阿波説をささえる根拠のひとつに、古代の神名・天皇名に阿波の地名が多く含まれている、というものがあります。
岩利大閑氏は、それぞれの出身地を御名前に組み入れたと考えています。

笠縫邑の話もまた別の機会に書きますが、一部補足のため書いておくと、

天照大神を笠縫邑へ祀らせた祟神天皇及びその母「伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと)」を祀った式内社「伊加々志神社」は、倭・笠縫邑の東、式内社「天村雲命神社」(ともに日本一社)の鎮座する忌部の国、旧麻植郡に鎮座します。

このとき、祟神天皇は巫女である倭迹々日百襲姫に占いをさせています。

彼女が阿波の「伊勢」にいたことは前回少し触れました。

また、このとき、大物主神を祀らせるための神主として「太田田根子」が祟神天皇によって探し出されますが、『紀』には、太田田根子は茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)にいたと記されています。

古事記』では、この村のことを「河内の美努(みの)村」と書いています。これが上の地図の「三野」です。

『倭名抄』に記される、阿波國三好郡三野郷 です。

「河内」とは地形をあらわす形容詞で、そこから転じて地名になったものが、「○○河内」などと呼ばれ徳島県内に何か所も存在します。
これも大坂の「かわち」と勘違いさせる原因となっています。


籠神社由緒には、天照大神豊受大神が伊勢に移られたあと、海部氏によって始祖・天孫彦火明命を主祭神として祀ったと記されています。

『勘注系図』によれば、その彦火明命が大和国及び丹後・丹波地方に降臨し、二代目が天香語山命で、『先代旧事本紀』によれば、「尾張連等の祖」となっています。

上の徳島の地図には、「尾開」(おばり)の地名が見えるでしょう。

そして、次の三代目が天村雲命となっています。

ところがこれも、式内社を見れば、天村雲命の本貫地は阿波としか見えず、「天村雲神社」の神官も代々「村雲家」であり、その御子の「倭宿禰」は「宇豆彦」(うずひこ)のことで、阿波鳴門地方の人物です。
宇豆彦のことも別の機会に書きます。


また、天村雲命は、讃岐國一宮「田村神社」の御祭神でもあります。
諸説ありますが、現在の主祭神は、倭迹々日百襲姫。 船岡山の謎 ①

百襲姫を祀る讃岐のもう一方の式内社水主神社ですが、京都府にも同名の水主神社があり、
饒速日尊、天香語山命と並び、天村雲命が祀られています。


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由緒には、

水主神社の祭神は、
照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(天照大神の御孫にして天照御魂神とも申し奉る)をはじめ、

其御子孫天香語山命、天村雲命、天忍男命、建額赤命、建筒草命、建田背命、建諸隅命、倭得玉彦命、山脊大國魂命の十柱の神々と、大縫命、小縫命の二柱の比咩神にまします。

天孫饒速日尊の第十世、山脊大國魂命は山脊(やましろ)の國造として国土経営に功あり其子孫代々此地に廟食して国土を統治す、

この故に山脊大國魂命または山代根古命とも尊称す、大國魂とは国土経営を賛称し、根古とは其民統治の謂なり。

人皇10代崇神天皇の御代、豊鋤入姫命をして大殿裏に奉祀の天照大神を倭笠縫邑に遷祀せしめ給ひしが、また別に淳名城入姫命をして、

日本大国魂命ならびに山脊大國魂命を倭、山脊の二国に神籬を建て、齊き祭らしめ給う、水主神社はその一社なり。

とあります。

ここでも日本書紀原文の「倭大国魂神」は「日本大国魂命」と、勝手に書き換えられています。





天村雲命に関しては、『旧事本紀』の「国造本紀」に、

 伊勢国造。橿原朝(神武天皇の御世)、
 天降る天牟久怒命(天牟羅久怒)の孫 天日鷲命を勅し賜いて国造に定む、
 また天日鷲命伊勢国造。  即ち伊賀伊勢国造(いがいせのくにのみやつこ)の祖。

『神宮雑例集巻』に、

 天牟羅雲命、国常立尊十二世孫、度会遠祖など見ゆ。その孫「天日別命」は神武朝伊勢国造となれり。       

『天神本紀』では、

 度会神主等祖、天牟良雲命。

天孫本紀』では、

 尾張氏の祖

とあり、

伊勢神宮禰宜(ねぎ)である度会神主は『御鎮座本祀』に

 「伊勢大神主は天村雲命伊勢大神主上祖也、神皇産霊神六世の孫也」

と記され、

伊勢神宮外宮の摂社「度会国御神社」の御祭神は「天日別命」
伊勢神宮外宮がある山域の総称高倉山の別名は「日鷲山」

で、天村雲命は、伊勢神宮度会神主の祖であり、
その孫天日鷲命(天日別命)は、伊賀・伊勢国造の祖になっています。

この天日鷲命は「阿波忌部」なのです。
 天日鷲命

地図に見える、式内「忌部神社」の御祭神になっています。

(続く)