空と風

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「久米歌」は阿波で歌われていた

今日、テレビを見ていたら、トーク番組で、元総合格闘家須藤元気が言っていたんですけれどね。

ああ ! そうか~。


と思いましたね。

須藤元気曰く、現役の格闘家だったとき、試合の間のインターバルで、セコンドから苦い漢方薬草の一種をもらって、それを噛んだのだそうです。

その苦味で(成分もでしょうけど)戦闘意欲が高まるのだとか。




思い出したのは、『古事記』の「久米歌」です。


美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟

みつみつし くめのこらが あはふには かみらひともと そねがもと そねめつなぎて うちてしやまむ


この歌は、伊波礼毘古命(いわれびこのみこと)=神武天皇 が、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)を撃とうとしたときに詠んだ久米軍団の歌です。


この(現代語訳) は、おおむね次のようなものです。

 みつみつし 久米の子等が 粟生には 臭韮一本 そねが本 そね芽繋ぎて 撃ちてし止まむ

 久米の兵士たちの粟畑(あわばたけ)には、臭い韮(にら)が一本生えている。
 その根と芽を繋いで、一気に引き抜くように、敵を一繋ぎに撃ってしまうぞ。



「みつみつし」については、一般に「枕詞」または「語義未詳」とされています。
枕詞とは便利な言葉で、素直に「わからない」と言えばいいのに、と思いますが。
そこで、現代語訳では、ほとんどこの部分を飛ばしているのですが、一部に

「勢い盛んな」と訳す説もあります。


~「みつ」は稜威(みつ)の意で、久米氏の盛んな威力をほめた語であろう~ 『古事記講談社学術文庫)』


そこで、その「稜威」を調べてみましょう。

稜威、此をば伊都と云ふ。  ~ 『日本書紀』 (神代紀上)
 
あら驚き。 「稜威」は(いつ)とも読むのだそうです。



☆ 山本健吉は、『いのちとかたち』のなかで、「稜威(いつ)」の意味を以下のようなものとしました。


 「蘇える能力を身に取り込む」

 「別種の生を得る」

 「生きる力の根源となる威霊を身につける」


☆ 「稜威」をYahoo!辞書で見ると

 1 斎(い)み清めたこと。神聖なこと。

 2 勢いの激しいこと。威力の強烈なこと。

です。
ちなみに「御稜威(みいつ)」だと、

 「天皇や神などの威光や霊力」の意味になります。

「みつみつし」とは「御稜威、御稜威し」なのでしょうか?


☆ 谷川健一は、

天皇の一代で最も重要な儀式である大嘗祭の煩瑣な儀式も、煎じ詰めれば、新しい天皇が穀霊を食し、まどこおぶすまの儀で、新しい稜威(いつ)を身に付けることに尽きるのである」

と言っています。


記紀を見れば、神代の物語に時々「イツ」というキーワードが出てきます。

地名・神名・刀剣の名。

「イ」国が、阿波のことで、「イツ」が徳島の古地名であることは、すでに書きました。


阿波郷土史家の、古事記の舞台を阿波国だとする説では、当然この神武の物語も阿波国内の戦闘と考えています。

その詳細は、そのうち詳しく書きますが、上の久米歌の原文を見てください。

美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波

「久米の子等が 阿波布には」とわざわざ書かれているにもかかわらず、訳文では例外なく「粟生には」とされ、「粟畑」のこと、と解説されています。

「阿波布」といえば、阿波古代史や忌部氏に興味のある人であれば、誰でもピンとくるのでしょうが。


韮(にら)が出てくるんだから、「あわふ」とは「畑」じゃないのか?
じゃあ、粟の畑で「粟生える」じゃない?
そこに韮が生えてたってことでしょ。

ということなんでしょうね。
苦しいですね。

もちろん、これは神武東征の話しで、舞台は奈良、で、阿波国の入り込む余地などない、という「前提」で思考しているからでもあります。

そもそも、登美の那賀須泥毘古 の「登美」も「那賀」も阿波の地名ですけれどね。



☆ 韮(にら)

 ニラ(韮、韭)は、ユリ科ネギ属の多年草

 ビタミンA、B2、C、カルシウム、カリウムなどの栄養成分を豊富に含む緑黄色野菜。

 ニラに含まれる硫化アリルは、ビタミンB1を体内に長く留めておく作用があるので、
 スタミナ増強食品として使える。

 種子は、韮子(きゅうし)という生薬で腰痛、遺精、頻尿に使う。
 葉は、韮白(きゅうはく)という生薬で強精、強壮作用がある。

 『古事記』では加美良(かみら)、『万葉集』では久々美良(くくみら)、
 『正倉院文書』には彌良(みら)として記載がある。

 このように、古代においては「みら」と呼ばれていたが、
 院政期頃からm→nという子音交替を起こした「にら」が出現し、
 「みら」を駆逐して現在に至っている。

 (Wikipedia


次は、続けて詠まれた歌です。

美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟

みつみつし 久米の子等が 垣下に 植ゑし椒(はじかみ) 口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてし止まむ

久米部の者たちが垣の下に植えた山椒は(食べると)口がひりひりする。私は(敵から受けた攻撃の痛手を今も)忘れない。撃ってしまうぞ。


なんか、わけのわからん訳ですが、ようするに、

 苦い加美良(かみら)や刺激の強い椒(はじかみ)を噛みながら、

 戦闘意欲と体力を高めつつ、敵と戦った。

という歌なのです。

久米氏の阿波布には、それら戦場食が収められていたのでしょう。

古来、食べ物には霊力が宿ると考えられたことから、体力や精神力を高めるこの不思議な加美良という植物には、人々はさらに特別なものを感じていたと考えられます。


私は最初、「みつみつし」は「満つ満つし」なのかと思って読んでいました。
久米の精鋭たちが、戦場で集結している様子を詠ったものだからです。

また、「撃ちてし止まむ」も「撃ってしまうぞ」とか「討ち果たしてから止めよう」と訳されますが、何か不自然に感じてしまいます。

これは「撃ちてし」「止まむ」ではなく、「撃ちて」「し止まむ」だと思います。
つまり、攻撃の手が緩むことがない、という意味です。

さらに、「そね芽繋ぎて」の「繋ぎて」を一般的解釈では 「韮の根と芽を繋いで、一気に引き抜くように」としているのですが、無理があるというか、「阿波布」を「粟の畑」としているから、そう解釈せざるを得ないのですね。


「阿波布」は、久米軍団の戦士たちが着ている「阿波布製の衣服」で、「そね芽繋ぎて」とは、「賀美良を阿波布の衣服に結びつける」だと思います。
この解釈は、岩利大閑氏が元祖で、高木隆弘氏も著書の中で同様の意見を述べています。

当時の衣服にポケットはないと思われ、ここは戦場ですから、衣服や装備は戦闘用。
賀美良は戦場用の「携行食」であり、手をふさがれず動きの邪魔にもならないように、衣服に直接何らかの方法で装備したと考えるのが自然だからです。


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したがって、通して見るとこうなります。

皇軍としての、神聖な威光や霊力を帯びた、勢い盛んな久米の精鋭たちが集結している。

彼らが着用している阿波布には、体力を盛んにし戦意を高める効能を持つ賀美良の球根が仕込まれている。

賀美良により、さらに高まった霊力を持って戦う久米の者たちの攻撃は、止むことがない。


(▼0▼)/~~see you again!