空と風

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諏訪大社の元宮は徳島にあった!?

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諏訪大社 上社前宮 - 諏訪市観光協会HPより

 

信濃国一宮である名神大社諏訪大社」は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社であり、全国に1万とも2万ともいわれる諏訪系神社の本社です。

 

諏訪大社のHPを見ても、その起源は定かではなく、
「御鎮座の年代、起源等の詳細については知るすべもありませんが、我国最古の神社の一つに数えられます」
と記載されています。

 

つまり、創祀年代等は不明だが、古事記の、しかも「国譲り」、日本建国以前の話に出てくる地名と神名の社なのだから“それなり”の古さであろう、ということなのでしょう。

 

神話に詳しくない方は、こちらを参照。

 



御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。


式内社事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

 

このように古事記の話は、徳島に当てはめていけば、ジグゾーパズルが完成していくのです。
この高志を北陸地方のことと解釈するから、出雲族の話は島根だ、九州だ、北陸だ、信州だ、空の上(高天原)だ、とあちこち飛び回り、ファンタジーワールドになるわけです。
「出雲」が島根で、「諏訪」が長野なら、ルートからいって「高志」とは「越」のことだろうという“連想”なのですが、出発点が違っていたら必然的に連想もバツになるのです。



「イズモ(イツモ)」も「コシ(タカシ)」も「スワ」も阿波の地名なのでした。

 

※ 地名については今後順次調べて記事にします。(いつになることやら)スワだけではありません。
  オオサカ・カワチ・スイタ・アワミ・カモ・キョウト・ヤマシロ・ギオン・ケタ・ミマ・ミノ・
ヨシノ・ クマノ、ナラ、イセ、スミヨシ
  その他いろいろ。
  徳島の地名は、そのまま古事記畿内を見ているようです。
  しかも自然にストーリーと位置関係が一致するのだからリアルです。
 
話がそれますが、聞きなれた「長野」をキーボードでnagaとまで叩いて、どきっとしました。
「長の(naga no)国」とは阿波の国の、しかも郷土史研究家が、葦原中国に比定する地域の旧地名だからです。
あまりに有名で聞きなれているせいで「長野」という地名を見ても、その意味を考えようなどとは思いもしません。
阿波の「長の国」と「長野県」に関連がある、と言っているのではありません。
その可能性などを「考えてみよう」とさえも思わない「先入観による思考停止状態」が問題だと思うのです。
四国など古事記とは何の関係もないと「思い込んでいる」ほとんどの日本人も、これまでに与えられた「情報」に思考が縛られているのです。

 

「長野県」という命名は明治ですが、その元は長野村(長野市)から来ていて、長野とは文字通り長い野(平野)の意味だというのですが・・・。
漢字の意味から見た「後付け」にも感じられます。長い野、って・・。

 

その長野村のすぐ南には麻績村(おみむら)があり、地名からして阿波忌部の名残を感じます。
麻績の神社については、検索しても桜の話しか出てこないので、調べようがありません。
県南部の阿智村に「栗矢八幡」があります。
この神社の御祭紳、なんと阿波の忌部氏の祖神「天日鷲命」であります。
地元の研究者も「なぜこの地に、そんな神が祀られているのか?」と不思議がっているようです。

 

この天日鷲命の子孫のなかに「麻績氏」があります。
この珍しい名前、そうそう偶然に一致しないと思うのですがどうでしょうか?
こうやってみると、古代、阿波忌部が信州に進出していた可能性も充分考えられます。



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さてさて、上記の「高志」(上板町)の南隣り、直線距離で2~3キロの、名西郡石井町浦庄字
諏訪に、式内社・阿波國名方郡多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社があります。
御祭神は、諏訪大社と同じ「建御名方命」です。

 

 

神社の由緒には「祭神建御名方命大己貴命の御子なり。御母は
阿波の高志沼河比売なり」とあります。

『阿府志』は、
高志国造の阿閇氏が、この地に産まれたという建御名方命を祀ったもの、と記します。

古事記に、此八千矛神大国主のこと)、将婚
高志国之沼河比売、幸行之時、到其沼河比売之家、歌曰、
と求婚の様子があり、その大国主と高志の沼河比売の間に生まれたのが「建御名方命」なのです。

 

諏訪大社」という呼称は、昭和23年からのことであり、元々は、
信濃諏訪南方刀美(みなかたとみ)神社でありました。

 

「多祁御奈刀弥神社」社伝によると、信濃諏訪郡の南方刀美神社は、この阿波の多祁御奈刀弥神社から、
宝亀10年(779年)に移遷されたもの、となっています。

 

名西郡史』には、こう記されています。
社伝記ニ光仁帝ノ御宇宝亀十年、信濃諏訪郡南方刀美神社名神大阿波国名方郡諏訪大明神ヲ、移遷シ奉ル

(大杉博氏の著書では“宝亀10年”、『記・紀の説話は阿波に実在した』の、同引用では“宝亀12年”となっている)

 

昔は、この「多祁御奈刀弥神社」が「諏訪大明神」と呼ばれていたことがわかります。



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名西郡の『浦庄村誌』には、高志郷、現高原村関に「沼河比売」を祀った旧跡のことが記されているそうです。
『阿府志』では、式内社 阿波國麻殖郡「天水沼間比古神(社)天水塞比賣神社」2座 の神を「建南方神」「高志沼河姫神」としています。



そもそも、御神名の「建御名方命」の「名方(なかた)」は、この神社の鎮座する地名である「阿波國名方(なかた)郡」からの命名と考えられます。

 

古事記に登場する神々、天皇の御名を見ると、地名(出身地?)から命名されたと見えるものが多々見られます。



大杉博氏の『邪馬台国は間違いなく四国にあった』によれば、
「長野県の諏訪は、養老5年(721年)に信濃国を割いて諏方(訪)国を置いたのであり、それ以前に長野県に諏訪国はなかった」
のであるから、記紀神話に登場する「諏訪」は、長野のことではない、と書きます。

 

阿波を建国の歴史から黙殺する陰謀論?から見れば、古事記の書かれたあと(712)、信州に「諏訪国」をつくり(721)、本来の阿波の諏訪から「諏訪社」を移し(779)、古事記の舞台をカムフラージュした、ということになりますね。



古事記原文には、「科野國之洲羽海」と書かれています。
ある郷土史家の本には「科野」も阿波の古地名と書かれていますが、現在地でどのあたりか、私はまだ確認できていません。わかったらまた書きます。
ただし、「洲羽の海」について、諏訪湖のような「湖」のこと、という説明が苦しいことは主張済みです。
当社の鎮座する石井町諏訪は、現在よりも海面の高かった古代、吉野川の河口に近いまさに諏訪の海だったのです。

 

古事記万葉集に、阿波の海について書かれた箇所が複数ありますが、これをこれまでの通説では、海のない奈良や琵琶湖などに当てはめて解釈されてきたのです。
その苦しさは複数の方が指摘しているので、今後またどこかに書きたいと思います。



両社ともに『延喜式/神名帳』(927年)に、式内社として記載されているわけですが、

 

 信濃諏訪郡   南方刀美神社  
 阿波國名方郡諏訪 多祁御奈刀弥神社

 

字が違っても、同じ神名の神社、御祭神も同じ、地名も同じ。
何かしらの関係があることは、当時の人もわかっていたのではないでしょうか?

 

南方刀美神社が、信濃國一宮の名神大だから格上とは限りません。
同格の神社が、阿波国内では並だった、ということかもしれません。





神社の様子は、また「徳島の神社」に書きます。

 

やっと書きました。
   ↓

 

 

 
※追記 式内郷社 多祁御奈刀弥神社由来 (石井古事記研究会提供)



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