空と風

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記紀の神名・人物名と阿波の地名の一致

古事記の阿波説をささえる根拠のひとつに、古代の神名・天皇名に阿波の地名が多く含まれている、というものがある」と、前回書きましたが、その一部を紹介します。
書き始めると、思ったより大変で、詳しく書くことは断念しました。
いずれ、それぞれの物語の中で詳しく書くことになると思います。
したがって、これを見るだけでは、こじつけだろう、と思われるでしょうが、書いておいたほうが後々説明しやすくなるので、とりあえず読み流してください。

 

基本的に、『道は阿波より始まる』による情報ですが、自分で確認する努力も(ある程度)はしました。
古い地名などで、現在の地名との一致は確認できないものも、とりあえず含めています。
地名をどこかから引っ張り出して、記紀の神名や天皇・登場人物の名に当てはめるだけなら、阿波以外どんな県でも「ある程度」は可能でしょう。
でもそれでは、ストーリーや、登場人物の人間関係が、地理的にバラバラになってしまうはずです。
阿波説では、そういった矛盾がなく、むしろ現在の通説よりも、よほど自然に物語がつながります。
これまでも少しは紹介しましたが、まだまだほんの一部ですので、今後も少しずつ書いていきます。
 

① 熊野久須毘命 (くまのくすびのみこと)

板野郡井隈〈井乃久萬〉郷『和名抄』が、これか?
天照大御神と、須佐之男命が誓約をした際、須佐之男命が天照大神の持ち物である八尺勾珠を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱。
『道は阿波より始まる』によれば、当地の「熊野大明神」で祀られるのがこの「熊野久須毘命」。


② 櫛名田比売命 (くしなだひめのみこと)

須佐之男命の妻であり、八俣大蛇を退治したあと宮を造った地が「須賀」。

「名田河」(なだこう)と「須賀」(すが)は、隣接する。



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③ 宇都志国玉神 (うつしくにたまのかみ)

 

宇土志(うとし)は、徳島市内、鮎喰(あくい)川下流付近の古地名。
大国主命の別名。
「う“と”しくにたまのかみ」の読みが正しい、というのが岩利説。



④ 八上比売 (やがみひめ)

現・徳島県板野郡藍住町矢上

当地「春日神社」の御祭神。
境内には樹齢2000年という「矢上の大樟」がある。
大国主命の妃。
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)を遣わし(おそらく)、兄弟の中から大国主命を選ばせた。



⑤ 深淵之水夜礼花神 (ふかぶちみづやれはなのかみ)

上記、須佐之男命と櫛名田比売命との間に生まれた「八島士奴美神」は、大山津見神の娘の「木花知流比売命」と結婚して「布波母遅久須奴神」(ふはのもぢくぬすぬのかみ)が生まれる。
布波母遅久須奴神は、闇淤加美神の娘の「日河比売」(ひかはひめ)と結婚して、「深淵之水夜礼花神」を生んだ。
古事記には、この深淵之水夜礼花神の孫が「大国主神」であると記されている。
大国主神の御子の一人が、別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)という「阿遅鉏高日子根神」。

 

東祖谷山村の深淵は山奥だが、そこをほぼ真北に下ったところに、阿遅鉏高日子根神を祀った式内社鴨神社が鎮座する。

 

また、深渕川は三好市池田町松尾を流れる松尾川に流れ込んでいるが、「松尾」が「賀茂(加茂)」に関係の深い名であることは周知の事実。

 

この神も「水の神」だが、「深淵」は川の水源地で、現在はすぐ下にダム湖ができている。『道は阿波より始まる』によれば、ここに、深淵之水夜礼花神が祀られている、と記されている。深淵神社という社があるが、そこの御祭神かどうかは未確認。



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⑥ 阿遅鉏高日子根神 (あじすきたかひこねのかみ)

足代の吉野川対岸に、阿遅鉏高日子根神を祀る「鴨神社」が鎮座。
古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語とし、神名の「スキ(シキ)」は「鋤」という説、「磯城」という説などがある。

 

岩利大閑氏は、阿遅鉏高日子根神は、足代の大人(うし)であるとしている。
笹田孝至氏は、アジロとは、アヂ城のことではないか、とも記している。
アヂシロ=アヂ磯城(シキ)かもしれない。

 

崇神天皇磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)を見るまでもなく、「磯城」とは水辺の城(宮)のこと。岩利氏は、この磯城瑞籬宮を隣町の「つるぎ町半田(旧半田町)」の字「天皇」に比定している。

 

「半田」も、阿遅鉏高日子根神の御陵「丹田古墳」の丹田(現在 “たんだ” と読んでいるが正しくは “はにた” )が訛ったものと考えている。
半田町には、「天皇」の他にも「葛城」「京都」「嵯峨」など興味深い地名が並ぶ。



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⑧ 建御名方命 (たけみなかたのみこと)

大国主命と、高志(阿波国名方郡の郷名)の沼河比売の間の御子。

「国譲り」のとき、建布都神に追われ「諏訪の海」まで逃げ、その地から出ないことを誓った、とされるが、その通り、石井町浦庄字「諏訪」の式内社「多祁御奈刀弥神社」で祀られる。

 




⑨ 八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)

 生夷(いくい)神社
式内「事代主神社」の横を流れる勝浦川上流の地名が「八重地」、下流に「長柱」。
長柱の大人(なごしろうし)が転じて(ことしろぬし)となった、というのが岩利大閑説。



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⑩ 厳之事代主神 (いつのことしろぬしのかみ)
 
 渭津(いつ)は徳島市の古地名。
阿波が古代「イ」の国だったことは紹介したが、川は「イ川」、山は「イの山」、水辺は「イの津」というふうに各地の地名が名付けられている。
「厳之(いつの)事代主神」の名が出てくるのは『日本書紀』で、神功皇后が神託を求めた時にあらわれた三神の中に「淡郡に居る神」と一緒に示される。
淡郡に居る神、とは、(旧)阿波郡の式内「建布都神社」で祀られる「武甕槌神経津主神」で、その1キロほど東に、もうひとつの式内「事代主神社」が鎮座する。

 

 

国内あちこちで比定されるが、阿波の神とするのが最も自然だろう。

 

(続く)