空と風

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三輪山・大物主神話のルーツは阿波にあった!?

 

上に、古代を考える上で先入観は邪魔になるということを書きました。
もうひとつの敵は“無知”です。 ^^;
たとえば、このブログに地名の伝播の不思議で「那珂」「那賀」を取り上げた時点で、

 

 

私の頭の中に、阿波の「長」の国のことが入っていなかったのです。

 

徳島の「那賀」の地名は、その一帯に元あった「長」の国から来ているのです。
私は、「那賀」「那珂」というような字面で地名を探ったのですが、その時点でその知識があれば、「ナカ」「ナガ」「ナカノ」「ナガノ」という“音”で探すという発想も生まれたと思うのです。



地名に関する本を読むと、「長」のつく地名は「蛇(神)」「竜(神)」「川」「水」などに関係・由来する場所であると解説されています。
また別の本では「長」の地名は、古代インド語の「ナーガ(蛇)」と関係があるのでは、と書かれています。
マレー語でも「ナガ」といえば「竜蛇」だそうで、他にも「蛇」「竜神」と「ナガ」「ナーガ」は結びつきがありそうです。

 

 

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奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)の御祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)であり、
その御由緒を神社のHPでは、

 

 遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、
 自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、
 大物主神(おおもの ぬしのかみ)の御名をもってお祀りされたのが
 当神社のはじまりであります。

 

と記しています。

 

Wikipedia)には、
 大物主は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、
 稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。
と、書かれています。



この三輪山には、その名の由来とされる神話が残っています。
 
『陶都耳命(スエツミミノミコト)には、活玉依姫(イクタマヨリビメ)という美しい姫があった。
ある夜の真夜中に、世にもまれなりっぱな若い男がきて、姫と夫婦のちぎりを結んだ。
間もなく姫は妊娠した。父母は驚いた。「お前はたしかに妊んでいるが、夫がいないのにどうしたのか。」と問うた。
姫は、「名も何も知りませんが、姿のたいへん麗しい男の人が毎晩きて、夜明けになりますと、どこかへ帰って行きます。」と答えた。
「今夜その男がきたら、寝床のあたりに赤い土をまいて置き、緒環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物のすそに刺しておけ。」と父母は教えた。
姫は教えられた通り、衣のすそを針に刺しておいた。

 

夜が明けてから見ると、室の周囲の赤土には足跡はなく、糸は戸のかぎ穴からぬけ出て、三輪山の神の杜に入り、家には緒環にわずかに三輪だけが残っていた。
それからこの地を三輪と呼ぶことになった。』

 

その他、糸をたどって三輪の山に入ると山奥の大蛇に繋がっていた、という話や、山の神が大蛇であるという様々な昔話が当地に残っています。



また、関連する別の神話では、

 

『倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトビモモソヒメ)は、三輪山の神、大物主の妻となったが、その神は決まって夜にだけ姫の所にやってきて、決して自分の顔を見せなかった。
そこでモモソヒメがある夜、「どうか明日の朝までとどまって、御姿を見せてください」と頼んだ。
すると神は、「明日の朝、お前の櫛笥(櫛を入れる箱)に入っているから、私の姿を見て驚くなよ」と答えた。
翌朝、モモソヒメが不審に思いながら櫛笥を開けると、美しい小さな一匹の蛇が居た。
約束を破り、思わず驚いて叫んでしまったが、神はそれを怒って、「よくも恥をかかせたな」と言い残し、空を飛んで三輪山に帰っていった。』

 

と、あり、三輪山の神が大物主神で、その正体が蛇である、という物語は、かなり有名です。



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「二つ森」

上記の話のルーツであると考えられる昔話が、阿波忌部の故郷、吉野川市川島町に残されています。
それは次のようなものです。   ~『日本建国と阿波忌部』より抜粋~



『二つ森のすぐ下には「森池」という大変深い池があった。
大昔、吉野川は、山崎の岩戸神社あたりから流れてきて、この二つ森の山すそに突き当り、岩をえぐってできたのがこの池であった。
池は二つ森の山を映して深く静かだったので、「森池」といった。
この池は今よりはもっと広く深かった。

 

そのころ、この付近の「藍大尽」といわれる大金持ちの娘が、池のほとりへ花を摘みに来たとき、この辺りでは見たこともない美しい若者に出会った。
その後、若い二人は人目を忍ぶ仲となった。
やがて、娘のお腹がだんだん大きくなって、もう隠すことができなくなった。
母親に問い詰められた娘は、一部始終を話した。
若者の体がとても冷たかったことや、戸締りをしてあっても、どこからか入ってきたりするなど、怪しいことがたくさんあるので、若者の着物の裾に、赤い糸を通した針を刺しておくように言いつけた
翌朝、その糸をたどっていくと、糸は森池の中に消えていて、いつもは静かな池の水面が、大渦のように湧き立っていた。

 

それから2、3日たって、水面に白い腹に針を立てた池の主の大蛇の死骸が浮き上がった。
蛇にとって、金気は大毒だそうである。

 

村人は、後の祟りを恐れて、大蛇を池のかたわらにていねいに葬った。
藍大尽は、山伏を呼んで祈祷をしてもらい、その教えの通り、5月5日のよもぎとしょうぶを3つに切って、またそれを3つに切って、3日3晩煎じて飲ませると、娘は大たらいに七杯半もの蛇の子を産んだそうである。』




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「森池」

この話によく似た上の三輪山の神話は、古事記の「崇神記」に出てくるものです。
崇神天皇の母、そのまた父(あるいは母)がともに、この地に祀られていることは、すでに何度も書いたとおりです。
この場所(森池)は、その崇神天皇の母、伊加賀志許賣命を祀る日本唯一の式内社・伊加賀志神社のすぐ西隣なのです。

 

 

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上の○印は「伊加賀志神社」元地の「伊賀々志」。
そのすぐ横に「奈良」、その横に「(島)」など、この地図の中だけでも興味深い地名が散見されます。

 

さらにこの「伊賀々志」。
「伊賀」の地名のルーツではないか?などと考えます。
長くなるので、これはまた別の機会に書きます。



どうでしょうか?
二つの物語を読み比べてみて、どちらが「オリジナル」だと感じるでしょうか?

 

昔話のため伝承の過程で細部は変化しがちです。しかし、話の構成、細かさ、生々しさなどからみても、川島町のものがオリジナルであり、それをもとに脚色、神話化したものが奈良バージョンであると、一読して私は感じました。



さらにいえば、これらの話を総合的に見たとき、阿波の古代史研究家が指摘するように、葦原中国は阿波にあった、という説を補強するものとなり得ると思います。



つまり、大国主葦原中国とは、「葦原・那賀国」
「長の国」だったのです。

 

(↑書き足しました。 ↓コメント参照)




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