空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

鳥の一族 18 賀茂氏のルーツ

f:id:awanonoraneko:20190914230529p:plain


葦原の中ノ国の王たる大国主命となった大穴牟遅命は、その後どうしたのでしょうか。
完成された住みよいクニを任されたわけではありません。
大国主命は大変な苦労を重ねて天の下の国造りに励みました。
この仕事は、とても一人の手に負えるような作業ではなく、高天原は優秀な人物を応援の任に就かせます。 少彦名(すくなひこな)命です。

古事記』では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされます。
少彦名命は医薬の神ともされ、大国主命とともに伊予国道後温泉を開いています。

さらに少彦名命の個性を最も特徴づけるのは、禁厭(まじない)を得意としたという点です。
 
※禁厭とは、日本在来の呪術のことである。
神道では、大国主神少彦名神を禁厭の祖神としている。
日本書紀』では、鳥獣や昆虫の害を払うためにそれ除去する呪いを(両神が)定めた旨の記述があり、農耕に関わる禁厭であった事が分かる。(Wikipedia
 
※禁厭(まじない、きんえん、きんよう) まじないで、病気や災害を防ぐこと。きんえん。
 

「禁厭」とは「厭を禁ずる」で、「厭(いと)わしい」は(嫌らしい・汚らわしい・忌まわしい・煩わしい・疎ましい・不愉快)。
つまり、「忌むべきこと」を「禁ずる」、「禁忌」と同じような意味で、凶事を避けるための術を定めたわけです。

夫(そ)の大己貴命少彦名命、力を戮(あわ)せ心を一にして
天下(あめのした)經(おさ)め 營(いとな)みき。
復た顯見蒼生(うつしきあおひとくさ)及び畜産(けもの)の爲に、
則ち其の病を療(おさ)むる方を定む。
 
又、鳥獸(とりけもの)・昆蟲(はふむし)の災異(わざわい)を攘(はら)う爲に、
則ち其の禁厭(まじなひやむ)之法(のり)を定む。
是を以ちて、百姓(おおみたから)、今に至るまで咸(ことごと)く恩頼(みたまのふゆ)を蒙(こうむ)る。
 
 『日本書紀

決して科学的な方法で凶事を避けたわけではありません。
この様子から想像・推察するのは、祭祀族の姿であり、私はこれまで書いたように、
少彦名命とは、忌部氏の祖、布刀玉命(太玉命)のことであると見ています。
布刀玉命は、『古語拾遺』では、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子とされます。

即ち久延毘古を召して問はす時に「此は神産巣日神の御子、小名毘古那(すくなびこなの)神ぞ」
と答へ白しき。
故爾に神産巣日御祖(みおやの)命に白し上げたまへば、答へ告(の)りたまひけらく、
「此は実(まこと)に我が子ぞ。子の中に、我が手俣(たなまた)より久岐斯(くきし)子ぞ。
故、汝(いまし)葦原色許男命と兄弟(あにおと)と為りて、其の国を作り堅めよ」とのりたまひき。
故、爾(そ)れより、大穴牟遅と小名毘古那と、二柱の神、相並ばして此の国を作り堅めたまひき。 
 
 『古事記

私は、大国主命とは天日鷲命であると書いているわけですが、
大国主命少彦名命は上のように義兄弟。
天日鷲命と布刀玉命も義兄弟。
 
新撰姓氏録』では、
 
左京 神別 天神 多米連  多米宿祢同祖
神魂命五世孫天日和志命之後也
成務天皇御世。仕奉炊職賜多米連也
 
右京 神別 天神 多米宿祢
神御魂命五世孫天日鷲命之後
成務天皇御世。仕奉大炊寮。御飯香美。特賜嘉名
 
摂津国 神別 天神 多米連
神魂命五世孫天比和志命之後也
 
河内国 神別 天神 多米連
神魂命児天石都倭居(アメノイワトワケ)命之後也
 
右京 神別 天神 天語連  県犬養宿祢同祖
神魂命七世孫天日鷲命之後也
 
大和国 神別 天神 田辺宿祢
神魂命五世孫天日鷲命之後也
 
左京 神別 天神 弓削宿祢
高魂命孫天日鷲翔矢命之後也
 
とあり、天日鷲命と布刀玉命はかなり近しい関係だったと読み取れます。

鷲子山上神社(とりこのさんしょうじんじゃ)は、 栃木県那珂川町茨城県常陸大宮市の県境に鎮座し、大同2年(807)阿波国から天日鷲命を勧請し創建、その後に大己貴命少彦名命が合祀されたと伝わります。
 
歴代領主や権力者達からも崇敬され鎌倉時代には源頼朝が社殿修理料を寄進し、その後周辺を支配した武茂氏の崇敬社となり社殿の再建や社領の寄進などを行っています。
江戸時代に入ると幕府の庇護となり社領20石の朱印状を渡し除地免税地100石を認めていました。
又、水戸藩主、徳川光圀が2度参拝したとされ"鷲子山十景七奇"を選定、9代藩主斉昭がその碑を建立しました。
 
 
式内社でもない山深い地のこの神社が、これほどの厚遇を受けるのはなぜでしょうか?
やはり、源氏や徳川家は本当の歴史を知っていたようです。
 
この神社は、ご覧のように栃木県那珂川町に在るのですが、那珂川はもちろん那珂の地を流れるから那珂川なのであり、これは阿波の長ノ国、のちの那賀郡と、そこを流れる那賀川から来ている名称なのです。
現に、那珂川は元々阿波川と呼ばれていました。
下流には、茨城県那珂市があり、その先は那珂湊(現ひたちなか市)です。
 
 
途中、東茨城郡城里町阿波山には、式内社常陸国那賀郡 阿波山上神社 が在ります。
周辺地名はなんと、桂です。カツラ地名についても、これまで何度も書いてきました。
この神社の御祭神が、少彦名命です。
 
このように常世の国、常陸国では、阿波、那珂(那賀)、桂(勝浦)、忌部で、天日鷲命少彦名命が結びついており、少彦名命と対をなすべき大国主命天日鷲命で、天日鷲命と対をなすべき布刀玉命が少彦名命だと分かります。
 
布刀玉命、天日鷲命忌部氏で、天日鷲命賀茂建角身命は同一人物である、すなわち賀茂氏はイコール忌部氏または同族の祭祀氏族ということになります。
  
 
イメージ 2
 

カモ氏という氏族は謎が多かったのです。
カモ氏には、一般的には3系統の流れがあると言われています。
 
新撰姓氏録』から、とりあえず「鴨」「賀茂」氏族だけを抜き出してみます。
 

山城国 神別 天神
 
※賀茂県主  魂命孫 武津之身命之後也
 
※鴨県主  賀茂県主同祖
 
神日本磐余彦天皇[謚神武] 欲向中洲之時 山中嶮絶 跋渉失路 
於是 神魂命孫鴨建津之身命 化如大烏翔飛奉導 遂達中洲 
天皇嘉其有功 特厚褒賞 天八咫烏之号 従此始也
 
※矢田部  鴨県主同祖  鴨建津身命之後也
 
※西泥土部  鴨県主同祖  鴨建玉依彦命之後也
 

大和国 神別 地祇
 
※大神朝臣
 
素佐能雄命六世孫 大国主之後也 初大国主神娶三島溝杭耳之女玉櫛姫
夜未曙去 来曽不昼到 
於是玉櫛姫績苧係衣 至明随苧尋□ 
経於茅渟県陶邑 直指大和国真穂御諸山 
還視苧遣 唯有三□ 因之号姓大三□
 
素佐能雄命の六世孫、大国主の後なり。初め大国主神、三島溝杭耳の女、玉櫛姫に娶ひたまひき。
夜の曙ぬほどに去りまして、来すにさらに昼到まさざりき。
ここに、玉櫛姫、苧を績み、衣に係けて、明くるに至りて、苧のまにまに、まぎゆきければ、
茅渟県の陶邑を経て、直に大和国の真穂の御諸山にいたれり。
還りて、苧の遺をみれば、ただ、三輪のみありき。これによりて、姓(うぢ)を大三輪と号けり。
 
 
※賀茂朝臣
 
賀茂朝臣 朝臣 大神朝臣同祖 大国主神之後也
大田田祢古命孫大賀茂都美命[一名大賀茂足尼] 奉斎賀茂神社
 

摂津国 神別 地祇
 
※鴨部祝   賀茂朝臣同祖 大国主神之後也
 
 
※日下部宿祢           出自開化天皇皇子彦坐命也
 
※依羅宿祢 日下部宿祢同祖 彦坐命之後也
 
※鴨君     日下部宿祢同祖 彦坐命之後也
 

☆左京 皇別
 
※鴨県主  治田連同祖 彦坐命之後也
 
 
整理すると、
 
 山城国の、賀茂県主と鴨県主は、賀茂建角身命の後裔。
 大和国の、賀茂朝臣は、大国主命の後裔。
 摂津国の、鴨部祝は、大国主命の後裔。
 京の、鴨県主。摂津国の、鴨君は、彦坐命の後裔。
 
ということです。
彦坐命は、第9代天皇の皇子ですから時代が少し下りますが、鴨君・鴨県主に関しては『日本書紀』に、第4代懿徳天皇の母は、「事代主神の孫 鴨王(かものきみ)の女(むすめ)」とあり、大国主命事代主命の血を意識した氏族名と思われます。
 

そうしますと、鴨、賀茂氏の祖は、大国主命賀茂建角身命の二人に行き着く こととなります。
 
大国主命出雲国で、賀茂建角身命神武天皇と行軍したのだから日向国だとかいう説がありますが、それでは全くルーツを異にする氏族がともにカモ氏になったということになり不可解なわけです。
 
そこで山城国のカモ氏は、大和国のカモ氏の分派だと解釈されることがあります。
出雲 → 大和 → 山城 というわけですが、そうすると賀茂建角身命は出雲から神武東征軍に合流したことになります。
しかし、そんな痕跡はないのです。
ある理由がありませんね。
それで、カモ氏の出自は謎のままなのです。
 
 
大和国の大神氏にいたっては、祖の大国主命が、(日本書紀には事代主命だと書かれている)大物主神で、三島溝杭耳の娘、玉櫛姫と結婚したとしています。
これは間違いであり、あるいは系図にも書かれているように親子二人いた「大物主神」を混同しているのであって、玉櫛姫と結婚したのは事代主命です。
 
 
もうお分かりと思いますが、大国主命と三島溝杭耳は同一人物ですから、自分の娘と結婚するはずがないのです。
 
さらには、賀茂建角身命も同一人物ですから、結局全てのカモ氏は一人の人物をルーツとするのであって、
 
大国主命=三島溝杭耳=賀茂建角身命、である 天日鷲命 なのです。
 
 
今まで書いたように、賀茂別雷命神武天皇であるということが分かってしまうと、賀茂氏のルーツが大国主命でもある天日鷲命に行き着いてしまうのです。

そうすると、記紀の神代に記される出雲も阿波であることが分かってしまう。
大和国のルーツが阿波(倭)国であることが分かってしまう。
認めざるを得なくなる。
だから隠すしかないのです。

逆を言えば、阿波説(阿波高天原説・阿波出雲説・阿波倭説)を信じられない方には、賀茂氏のルーツは永遠に分からないのです。

もっとはっきり言えば、日本国のルーツが。です。
 
 
(続く)