空と風

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鳥の一族 1

 
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備前市伊部の山陽道沿いには備前焼の店がずらりと並ぶ
 
ただ、食い意地だけでカキオコを食べに訪れた備前市でした。
車を走らせていると、助手席の嫁が「あれでインベって読むんだね~」と言うのです。
案内標識には「伊部」の文字とローマ字が。
 
全く何も知りませんでした。
2回目に日生町へ行く時には、インベならインベ神社があるんじゃないか?と思い、地図を確認すると、やはりありました。
 
 
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山陽道沿いに、「伊部天津神社」の鳥居がある
 
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御祭神は少彦名命 「古くより伊部の総鎮守」とある 隣の山は「医王山」だ
 
少彦名命に関しては、今ひとつの仮説を持っています。
少彦名命とはおそらく、天太玉命の別名です。
 
天津神社の参道を左にそれると裏山への登り口があり、その先に忌部神社があります。
 
 
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途中にある忌部稲荷
 
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何も知りませんでした。
有名な備前焼のルーツは、忌部の須恵器にあったのです。
 
 
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つまり、天津神社と忌部神社の御祭神は実は別名同神であった、ということになります。
天日鷲命少彦名命が同神であるという説があるようですが、天日鷲命オオクニヌシなのだと気づけば、その義兄弟(『古事記』では、大国主と少彦名は神皇産霊神から義兄弟になるよう命を受け、斎部氏系図では、天日鷲と天太玉は義兄弟)で共に天の下の国づくりを行った人物すなわち、天太玉命こそが少彦名命だと理解できるでしょう。
 
粟茎(あわがら)に弾かれて淡島(あわしま)より常世国に至ったと日本書紀に記される少彦名命は、阿波から常陸国に渡ったのです。
常陸国の神社の御祭神を見れば分かるでしょう。
アワ、ナカ、キ、の国の地名と共に、天日鷲命少彦名命が祀られています。
 
そして、常世国=常陸国という従来からの一説が正しかったこともわかります。
というか、常陸国風土記にも、そう書かれています。
 
 
 
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忌部氏の須恵器ですから、これはおそらくすえドンさんの御先祖の一派が備前に移り住んだのでしょう。
 
ルーツは、現在の地名で言えば、穴吹町の三島地区から隣の山川町、吉野川対岸の脇町拝原遺跡の一帯。
 
 種穂忌部神社と拝原の神社♪ 「すえドンのフォト日記」
 
ここは、このブログに以前書いた、「三島溝咋耳命」(みしまみぞくいみみのみこと) 、別名「陶都耳命」 (すえつみみのみこと)の居住地であり、そのまた別名が「賀茂建角身命」であり、一番有名な別名は「大国主命」。
そして隠されてきたその正体は「天日鷲命」です。
 
初めて読む人には何がなんだかさっぱり分からないでしょう。
 
 
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昨年少し書いたように、大和の「鴨」系神社では、事代主命が、鴨氏・葛城氏等によって祖神として祀られています。
古事記を見るならば、カモの名の初見である「迦毛大御神」(かものおおみかみ)と称された、異母兄の阿遅志貴高日子根神を祀るのが筋でしょう。
 
ここから分かるのは、実は事代主命も「鴨の一族」だったということで、すなわち本来の鴨氏の太祖は二人の父である大国主命だということです。
小学生にも分かる理屈です。
 
大国主命とは、「日鷲」(鷲)であり、「金鵄」(鵄)であり、「八咫烏」(烏)であり、「賀茂建角身」(鴨)でありました。
他にもたとえば、大鳥氏や鳥取氏の祖にも当たります。
 
 
※参照  カツラと事代主命 ~ 板野郡の式内社に見る大国主命と天日鷲命 
 
この鳥の一族の太祖を、私はずっと以前、「この天日鷲命という神は、ここに書いている以上の凄い人物かもしれない」と、ただ直感でそう書いたことがありますが、実は自分のその感をもはるかに超える存在でした。
 
なぜそのようなことが言えるのか、これから書いていきましょう。
 
 
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「なんとかなるって!」に励まされつつ・・・
 
「なんとかなる」、かなぁ・・・。
 
(続く)