倭文と天羽槌雄神について、昨日、ALI爺さんからコメントがありましたが、これは、今下書き中の記事をアップせよとのメッセージ(誰からのじゃ?)と受け取りました。
時間を見ながら少しずつ書いているんですが、まだ7割くらいなのです。
それでもかなりの長文なので、整理して短くしながらアップします。
それでもかなりの長文なので、整理して短くしながらアップします。
今回の記事は、まあ“読み物”として読んでください。
私自身は、ほとんど「そういうことだろう」とは思っているのです。
ただ、それを文章にして、かつ読む人に説得力を感じてもらうには、まだ弱いのです。
私自身は、ほとんど「そういうことだろう」とは思っているのです。
ただ、それを文章にして、かつ読む人に説得力を感じてもらうには、まだ弱いのです。
古代の歴史を完全解明した人はおらず、史実に近づくためには、昨今の裁判関係のニュースで時々報じられるように、直接的な証拠がない場合、質の高い状況証拠を数多く積み上げることで事実を認定する、という方法しかないのです。
それで、出来るだけの情報を並べてから書くつもりだったのですが、それではいつになるかわからないので、おいおい追加していくことにします。
それで、出来るだけの情報を並べてから書くつもりだったのですが、それではいつになるかわからないので、おいおい追加していくことにします。
天日鷲命は、別名、三島の「溝咋耳命」ですが、その子の名が「津杭耳命」というのも自然な感じがいたします。
於是、二神、誅 諸不順鬼神等
【一伝、二神、遂誅 邪神、及 草木石類、皆已平了。其所不服者、唯 星神香香背男 耳。
故、加遣、倭文神 建葉槌命。者則服。
故、二神、登 天也。
倭文神、此云 斯圖梨俄未】
果、以復命。
高天原から下された経津主神と武甕槌神は、大国主命一族に国譲りを了承させたあと、中の国の従わぬ神たちを誅し、草木石の類まで平定したが、唯一人、星の神、香香背男が屈しなかった。
そこで、倭文神・建葉槌命を遣わすと、香香背男もついに命に従った、というのです。
経津主神と武甕槌神でさえ、攻略・説得できなかったほど人物を従わせた武勇の人、天羽槌命は、それゆえ「建」葉槌命の別名を持ったといえるでしょう。
しかし、ここには、建葉槌命が香香背男を武力で叩いたのか、懐柔したのか、経緯を一切書いていないのです。
しかし、ここには、建葉槌命が香香背男を武力で叩いたのか、懐柔したのか、経緯を一切書いていないのです。
ここで、昨年から書いている、鳥の一族の系譜を当てはめれば、その謎も解けるでしょう。
大国主命一族が、高天原に国を譲ることを決定しても、葦原の中国(なかのくに)の国津神たちの中にはそれを不服に思う者が少なからずいたのです。
それは以前も書いた大国主命の言葉、「事代主命が天孫に従って見せて初めて、国津神たちもそれに習うだろう」という言葉で分かります。
それは以前も書いた大国主命の言葉、「事代主命が天孫に従って見せて初めて、国津神たちもそれに習うだろう」という言葉で分かります。
おかしいですか?
おかしくないのです。
おかしくないのです。
元々、ばりばりの高天原族なのですから。
そしてさらには、「国譲り」という物語そのものが、歴史の大きなカムフラージュだったのです。
(続く)