明治の後は、忌部の祖神天太玉命これなりと云ふ。
阿波國一之宮 大麻比古神社(3) (ぐーたら気延日記(重箱の隅))
御祭神に就きては古来数説あり
なる説、はなはだ疑わしき ものなり。
いや~、この調子で全部書こうかと思いましたが、何日かかるか分からないのでやめました。
建速素盞嗚命 ─
天事代主籖入彦命 (事代主神)(玉櫛彦命)─
奇日方天日方命・・・
原文は確認していませんが、検索すると複数のサイトでこの系図が取り上げられており、なかには上のように(別名)を併記するものがあります。
「大物主」「事代主」の名が、それぞれ2回登場します。
こういった、いわゆる「痕跡」というものが島根県には何も無いことは多くの研究者が指摘するところです。
しかし、「事代主」と呼ばれた人物が2人いた、と考えれば、これらの痕跡も含め、もっと自然に、阿波に2社の事代主神社がある理由を受け入れることができます。
上の系図に見るように、「大物主」「事代主」というのは、おそらく個人名ではなく、称号のようなものだったのでしょう。
古代の神名、人名には、複数の別名があるのが普通です。
私は名前の多さを誇っていた向きもあると思っています。
なぜなら、これらの別名は自称するものではなく、何らかの理由で周りからそう呼ばれるものだからです。
つまり、功績、人望、支配地(地名が名になることも多い)の多い者ほど、別名が増えると考えられるからです。
つまり、功績、人望、支配地(地名が名になることも多い)の多い者ほど、別名が増えると考えられるからです。
鴨氏系図に関して、もう一つ見ていただきたいブログがあります。
天事代主籖入彦命 (あめのことしろぬしくじいりひこのみこと)
のもうひとつの別名が 阿波神 だと書いてあります。
(続く)