空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

大麻比古神 とは、事代主命 である

 
イメージ 1
 
 
阿波国一宮、大麻比古神社は、天太玉命を祀ると云ふなれども、この伝定かならず。
式内大麻比古神は元来一座なるゆえ、祭神は大麻比古神なるべし。
いにしえ、これに大麻山峯に鎮まり坐し猿田彦神を合せ祀りしも、明治より前は大麻比古神は阿波国忌部の祖天日鷲命なりと云ふ。
明治の後は、忌部の祖神天太玉命これなりと云ふ。
 
 阿波國一之宮 大麻比古神社(3) (ぐーたら気延日記(重箱の隅))
 
明治41年、大麻比古神社宮司山口定實曰く、
御祭神に就きては古来数説あり
或は猿田彦神と云い或は天太玉命なりとも天日鷲命なりとも又其の御子津咋見命なりとも云いて・・・
阿波国内にても他に天太玉命を祀る式内社なければ

大麻比古神は必ず太玉命ならんと思わるるなり」
「心を潜め思を深めて熟々考ふるに卜部家に傳へたる天太玉命なりとの説はいと正しき古傳説なりと信ずるるを以って・・・」
 
なる説、はなはだ疑わしき ものなり。
 
 
  大麻比古神社 (Wikipedia) 
 

いや~、この調子で全部書こうかと思いましたが、何日かかるか分からないのでやめました。
ここに一つの系図があります。賀茂一族系図(三輪高宮家系譜)といいます。
 

建速素盞嗚命
大国主命 (和魂大物主神)(荒魂大国魂)─
都美波八重事代主命猿田彦神) (大物主神)─
天事代主籖入彦命 (事代主神)(玉櫛彦命)─
奇日方天日方命・・・
                 
                     
原文は確認していませんが、検索すると複数のサイトでこの系図が取り上げられており、なかには上のように(別名)を併記するものがあります。
「大物主」「事代主」の名が、それぞれ2回登場します。
 
阿波の古代に関心のある方で、まず「お!」と思うのは、事代主でしょう。
事代主命の名をそのまま冠した式内社は、全国で阿波しかなく、しかも阿波国にはその事代主神社が2社あるのです。
 
郷土史の先達は、阿波國勝浦郡 事代主神社 は、事代主命の生地、
阿波國阿波郡 事代主神社  を、のちの居住先と考え、私もそれに従っていました。
 
 
これまで書いたように、古事記のストーリーとの一致、弟、建御名方神を祀る式内社とその孫娘、伊自波夜比賣を祀る式内社の存在、母、高志沼河姫の痕跡など多数の周辺情報があります。
こういった、いわゆる「痕跡」というものが島根県には何も無いことは多くの研究者が指摘するところです。
そればかりか、ここ最近の主題の筈だった事代主命の本后、天津羽々命(阿波神)の本籍地がこの阿波郡周辺で、事代主神社の南、粟島で兄の天日鷲命とともに祀られていました。
 
しかし、「事代主」と呼ばれた人物が2人いた、と考えれば、これらの痕跡も含め、もっと自然に、阿波に2社の事代主神社がある理由を受け入れることができます。
 
 
上の系図に見るように、「大物主」「事代主」というのは、おそらく個人名ではなく、称号のようなものだったのでしょう。
古代の神名、人名には、複数の別名があるのが普通です。
私は名前の多さを誇っていた向きもあると思っています。
なぜなら、これらの別名は自称するものではなく、何らかの理由で周りからそう呼ばれるものだからです。
つまり、功績、人望、支配地(地名が名になることも多い)の多い者ほど、別名が増えると考えられるからです。
 

次に、阿波人が驚くべきは、事代主命猿田彦神大物主神 が同神だと書かれていることです。
 
阿波国一宮、大麻比古神社の神、「大麻比古神」は古来、「猿田彦神」であると云われてきたわけですが、それは同時に「事代主命」でもあったということになります。
もう一度よく読んでください。
 
 
私は、記紀に記される本当の葛城は、現在の鳴門地方だと書いてきました。
その地にある阿波国一宮で祀られていたのは、葛城氏が祀る事代主命だったのでしょうか。
 
鴨氏系図に関して、もう一つ見ていただきたいブログがあります。
 
 
天事代主籖入彦命 (あめのことしろぬしくじいりひこのみこと)
のもうひとつの別名が 阿波神 だと書いてあります。
 
では、上記2の「それどころか、1に書いたように、三島溝杭命 = 賀茂建角身命八咫烏 = 金鵄 = 天日鷲命 だったとしたら・・」を鴨氏の系図に当てはめて考えてみましょう。
 
(続く)