空と風

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大国主命とは 天日鷲命 である 1

 
 
大国主命」とは「天日鷲命」のこと。
 
前回のタイトルと前振りから既に察していただいたと思いますが、系図中心に見るならば当然こういうことになります。
様々な神社や氏族に系図が残されており、当然その全てが一致するものではありません。
それは当然のことで、古事記序文にみるように、古代の物語や系図を文字(漢字)に残そうとした1300年前の時点で、すでにこれらの伝承は乱れに乱れ、どれが真実か分からなくなりかけていたのです。
 
日本書紀では、それを「一書に曰く」という形で併記(この時点でも厳選したと思いますが)しましたが、古事記では「これらを正しい一本の物語に整えよ」と天武天皇の勅命を受けたので、太安万侶、一生懸命に頑張りましたが、完全なものはできませんでした。誰が読んでもわかるように、ところどころに矛盾した記述が見られます。
 
一例を上げれば、天地創造・万物生成をなした「造化三神」である高御産巣日神神産巣日神は、もっと後の時代の天照大神大国主命の物語にも登場しますし、大国主命須佐之男命の六世の孫と書いているにもかかわらず、その大国主命が娘の須勢理毘売と結婚したりします。複数の伝承をまとめあげるときに、どうしても筋の通る一本の物語にはできなかったのです。

ここで私たちが気をつけるべきことは、古事記は完全な書物ではない、ということを前提として読むことです。
たとえば、古代の神や実力者には複数の名前がありますが、古事記ではそれをすべて解明しているわけではありません。
わかっているものについては「またの名は~」と別名を書いていますが、それが全てではないのです。
 
そうすると、実は同じ人物の物語をそうとわからず別の並びで書くことになり、違う時代の違う人物の逸話のように見えることになります。
また逆に、先の例でいえば、「大物主」「事代主」のように称号名を個人名と捉えると、2世代の物語を一人の人物の逸話として書いてしまいます。系図も同じ事です。
古事記(特に上~中巻)は書かれている通りの人物関係・時系列で物語が展開されたとは限らないのです。
 
したがって今現在、一つの古記録だけで正しい系図や物語を復元することは不可能と考えるべきで、複数の情報をもとに「極力整合性があり筋の通る解釈」をする努力が必要だと思います。
 

それでは、賀茂一族系図を中心に私の仮説を述べてみましょう。
下の系図は目安とするため、私が賀茂一族系図に合わせて、おおよその世代別に書き並べてみた私案です。
系図を見るときに注意するべきは、古代では実力者は一夫多妻制だったということです。
最近の芸能界の流行り?のような歳の差結婚などは普通のことで、同じ人物の子供同士でも親子ほど歳が離れることもあったでしょう。
また、人皇と呼ばれる時代の物語を見てもわかるように、兄弟姉妹の間で結婚することも普通でした。
父親が同じでも母親が違えば、結婚できたのです。
 
●白字が賀茂一族系図。色字は私の着色。 
※ブログ引っ越しに伴い系図が崩れたので削除しました。
 
 
☆賀茂一族系図(三輪高宮家系譜)
                     
建速素盞嗚命 - ①大国主命 - ②阿遅鉏高日子根命
                                       ┗ ③都美波八重事代主命 - ④天事代主籖入彦命 -
                                                                                 ┣  比売蹈韛五十鈴媛命
                                    ┗  五十鈴依媛命   
①(和魂大物主神)(荒魂大国魂神)                
② (高鴨神)(加茂別雷神)(松尾坐神)(日枝坐神)
③(猿田彦神大物主神)(賀夜奈流美神)(長田大神)             
事代主神)(玉櫛彦命)(率川阿波神)                    
                                             
                                                               
 
まず前回、「大物主」「事代主」は、称号・敬称だと書きましたが、それは「高御産巣日」「大日孁貴(天照大神)」「栲幡千千姫命」も同じだと考えています。
上に書いたように、高御産巣日神造化三神ですが、後の天孫降臨の物語まで高天原の首長的立場で登場します。
この時代、もちろん「天皇」や皇室に関わる言葉は存在しませんが、理解しやすくするために(以下も)あえて使うと、古事記を見る限り「タカミムスビ」が「天皇」的存在と称号だったとみえます。
その何代目かのタカミムスビが「高木神」だったのです。
 
私の考えでは「独神(ひとりがみ)」というのは、高天原の首長で、一人でマツリゴト(政治・祭祀)を仕切っていた存在で、神世七代の三代目からそれが二人体制になったのです。中でも、祭祀長は女性が担当しました。
古事記をみれば、後のいわゆる人皇の時代に入っても、神社(かみやしろ)の宮主は主に女性がなっています。
 
私は以前書いたように、魏志倭人伝というものをあまり信じていないので極力触れないのですが、その全てが作話だとも思っていないので一部を引き合いに出すと、多くの方が指摘するように、卑弥呼天照大神という図式は当てはまるように思うのです。
そう見ると、国々が乱れた時の天皇タカミムスビだったのです。
そして女王を立てるとそれが静まった。
これが、伊邪那岐命伊邪那美命による「国生み」です。
つまり、初代天照大神伊邪那美命です。
 
伊邪那岐命は、次のタカミムスビになる予定でした。
皇室を見てもわかるように、ユダヤ教のコーヘン家系のように、高天原首長の家系は代々男系で継がれてきたのです。
高天原の時代もそうだったことは、なみがしらさんによる天照大神須佐之男命の誓約(うけい)の解釈で確信が持てました。
 
伊邪那岐命が娘の天照大神(実は二代目)に「高天原を治めよ」と命じたのがその証拠で、自身が皇位継承権を持たなければそんなことは言えません。
高天原も受け入れるわけがありません。
卑弥呼の死後、一旦男王を立てますが国が乱れ、再び女王を立てます。
このときの男王が伊邪那岐命であり、高天原に送り込んだ二代目天照大神が、その娘イヨ(トヨ)です。
なぜ、伊邪那岐命高天原を追われたかは以前書きました。
「天の岩戸隠れ」は、この政治劇を神話になぞらえて物語化したものです。
 
古事記を読むときに注意する点が、そこに登場する神名・人名・地名です。
これらは「古事記が書かれる時点」での名詞が使われています。その物語が実際にあった数百年前のものではありません。
もちろん変わらないものも中にはあるでしょうが。
地名などは昔と現在の名が判明しているものにだけ「今は○○という」と、しっかり記述しています。
古事記が書かれる当時、当然「四国」という言葉はまだなく「伊予之二名島」と書かれています。
統治するイヨには、イヨとオオヒルメという2つの名があったためで、そのイヨという名も伊邪那岐命にオオヒルメを任命されるときに付けられた名前です。
古代の権力者の多くが地名から名を取っているように、イの国とヨの国からなる島の統治者にふさわしい名前として、そう呼ばれたのです。

高木神の娘、栲幡千千姫命天照大御神の正体だという説がありますが、日本書紀の一書には、高皇産霊尊 - 火之戸幡姫 - 栲幡千千姫、とあり孫娘となっています。
私は、この火之戸幡姫が、伊邪那美命の別名だと思っています。名前がその死因を表しています。
 
栲幡千千姫命とは、「栲」は楮の繊維、「幡(ハタ)」は「機(はた)」、「千千(ちぢ)」は、たくさんの意で、機織の職能を表す名前ですから称号のひとつでしょう。
栲幡千千姫命」が称号で、これも二人いると考えていますが、その理由はこのあとに書きます。
 
初代の栲幡千千姫は、別名を稚日女(わかひるめ)尊といい、つまり二代目日孁(ひるめ)尊の意味です。
 
天孫邇邇芸命は、天照大神の子、天忍穂耳尊と、高御産巣日神の子、栲幡千千姫命の間に生まれた、とされるのですが、それでは天皇が女系になってしまいます。
初代アマテラスが伊邪那美命だから、二人の天照大神は一時的な女性天皇で、王座は男系で繋がれていくことになるわけです。
また、天忍穂耳尊が結婚したのは実は二代目の栲幡千千姫で、同じ姫の名から系図の伝承が間違ったと、いうのが私の考えです。
 
 
式内社名神大)阿波國天石門別八倉比賣神社の御祭神、八倉比賣とは、大日孁女命(天照大神)のことと云われます。
 
 
天日鷲命は、平田篤胤の『古史伝』、『大日本神名辞書』では天手力男命の子ですが、『安房斎部系図』には、天背男命と八倉比売命の子、と書かれています。
 
天手力男命と天背男命は同神とされ、その妃である八倉比売命が第二代日孁尊。
その子の一人が、天日鷲命となりますが、『安房斎部系図』はじめ複数の系図で、この天日鷲命の兄弟姉妹に栲幡千千姫の名があるのです。
 
 
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姓氏類別大観 神皇産霊尊裔氏族綱要より

 
これが私が栲幡千千姫が二代にわたっていたとする根拠で、こう考えると物語とすべての系図の辻褄が合います。
 
延久二年(1070年)の太政官符で、「八倉比賣神の祈年月次祭は、邦国之大典也」とまで言われる意味がわかるでしょう。
 
大国主命へ続く)