空と風

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阿波脇町の歴史と探訪編

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『阿波脇町の歴史と探訪編』という、上中下巻の本があるのですが、その中巻は、一冊丸々神社編です。
 
その「まえがき」によれば、明治39年に政府の調査によって判明した神社の数は193,000社余りで、その後明治末期にかけてなされた小社の合祀によって、約11万社になったそうです。

戦後、神社の国家管理が廃止されましたが、その当時の数は、106,137社と記録されています。
 
昭和21年神社本庁が設立され、宗教法人として包括された神社の数は、79,717社
 
美馬市脇町においては、宗教法人として登録された神社の数は50社です。
 
 
ところが、同書の著者の調査では、脇町の神社の数は92社
集落単位で信仰されている祠(小社)と地神碑の数は559社でした。
 
また、屋敷の一隅や野辺に祭られている「一門や家の守護神」とされている祠の数は368社
地主神が230基、お祭りされている神々は、1800神を超えている、ということです。

御祭神の判明しているのもは記されていますが、 祠で祀られている先祖神以外は、みな古事記に登場する神々、天皇です。
これっていうのは、日本全国そういうものなのでしょうか。
 
 
古代史の解明には、神社の研究が欠かせないと思いますが、このように現在では、すでに失われてしまったものや合祀の事実が不明になったもの、一般の人間にはその存在や所在地が知られていないものが多数あることがわかります。
 
脇町という小さな町の中だけで、これだけの神社がるのです。
地図や書物だけを見ていただけでは分からない神社が、いっぱい各地に眠っているのでしょう。
 
地名も同じで、合併や市町村名の変更で、明治以降膨大な数の歴史的地名が失われました。
今手元にその数を記した本が見当たらないので、また他の機会に書きますが、たとえば、明治21年のころ、全国の町村数は71,314ありましたが、平成18年には、その数は1,820に集約されています。
平成の大合併を見てもわかるように、頭の地名が変わるとそれにともなって整理される形で、字名が消えてしまったりします。
 
 
この本を見ていて驚きましたが、ここにも今現在なくなってしまった地名がいくつか散見されました。
 
 宇陀とは、阿讃山脈のこと?  にも書きましたが、
 
 ウダ とは、 の タオ のことであり、
 
  とは、阿讃山脈(讃岐山脈を指し、 タオ は、峠 のこと(語源)
 
 ウジ とは、その山道のこと、というのが、事実を交えた私の仮説です。
 
 
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「宇陀とは、阿讃山脈のこと?」では、脇町付近が「ウジ」に当たるのではないか?とだけ書きましたが、
『阿波脇町の歴史と探訪編』を見ると、ごらんの通り、以前はこの地にも 「滝宇田」 「宇田」 「宇田谷」 「宇多谷」 「田尾」 「仏の田尾」 というような地名があったことが分かります。
 
 
    
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地図を見ればわかるように、まさにタオは峠のことで、徳島県下、他の山間地区でも「〇〇タオ」などと見られる地名で、ウダは阿讃山脈の東西にわたって複数存在する地名だったことがわかりました。
 
ウジは、このウダをつなぐ尾根道、またはウ山に沿った街道のことかもしれません。

脇町の観光名所は「うだつの町並み」で、うだつ は、「うだつがあがらない」の語源とされていますが、その「うだつ」(または、うだち)の語源は何なのか?
は、わからないようです。
案外地名から来ているのかもしれません。
 
また、『道は阿波より始まる』にも書かれていましたが、徳島には、柿本人麻呂を祀る神社三カ所あったと。
鳴門の人丸神社のほか、相生町三野町にあったと記されています。
 
ところが、この『阿波脇町の歴史と探訪編』を見ていると、脇町にも人丸神社があったことがわかりました。
もと猪尻村にあったものが、明治期に上野八幡神社に合祀されています。
 
 
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柿本人麻呂についても、ぜひ書かなければいけませんね。
その前に、三野町の ヒトマル神社 の場所が知りたいんですが・・・。