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式内社(弥都波能賣神社)論社① 八坂神社 美馬市美馬町

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日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 弥都波能賣神社 (論社) 八坂神社
鎮座地 徳島県美馬市美馬町字滝ノ宮231
御祭神 素盞嗚命

 

創立年代不詳

 

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式内社「弥都波能賣神社」論社の一社。
比定社は他にも美馬市脇町拝原にある「八大龍王神社」、美馬市脇町猪尻の「建神社」、三好市井川町井内「武大神社」などがある。
武大神社は、当社の地名と同じ「滝宮」と称されており、御祭神も当社と同じく「素盞嗚尊」。建神社の御祭神も「素盞嗚尊」で論社に共通点がある。
 
神名そのままの弥都波能賣神社という式内社も日本で唯一阿波にしかない。
弥都波能売神は、古事記の神産みにおいて、カグツチを生んだため陰部を火傷し苦しむ亡くなる間際のイザナミの命の尿から、和久産巣日(ワクムスビ)神とともに生まれたとしている。すなわち代表的な「水神」である。

 

日本書紀』 巻第三 神日本磐余彦天皇
神武天皇即位前紀の戌牛年九月条に、
時勅道臣命。今以高皇産霊尊。朕親作顕斎。〈顕斎。此云于図詩怡破毘。〉用汝為斎主。授以厳媛之号。而名其所置埴瓮為厳瓮。又火名為厳香来雷。水名為厳罔象女。〈罔象女。此云瀰菟破廼迷。〉糧名為厳稲魂女。〈稲魂女。此云于伽能迷。〉薪名為厳山雷。草名為厳野椎。

 

時に道臣命に勅すらく、今高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)を以て朕(わ)れ親ら顕(うつし)斎(いはひ)を作(な)さむ。
汝を用て斎主(いはひぬし)と為て、授くる厳媛(いつひめ)の号(な)を以てせむ。
而して其の置ける埴瓮(はにべ)を名づけて厳瓮と為し、又火の名をば厳(いつの)香来雷(かくつち)と為し、水の名をば厳(いつの)罔象女(みつはのめ)と為し(罔象女、此をばミツハノメと云ふ)、粮(くらひもの)の名をば厳(いつの)稲魂女(うかのめ)と為し(稲魂女、此れをばウカノメと云ふ)、薪の名をば厳(いつの)山雷(やまづち)と為し、草の名をば厳(いつの)野雷(のつち)と為したまふ。

 

とあり、弥都波能賣神を、「厳(イツ)ノ罔象女(ミツハノメ)」と記している。
つまり、ミツハノメをはじめとする上記神々は、イツ(阿波)の神々である。

 

 

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歌人で、民俗学者、国文学者、神道学者でもある折口信夫(おりくちしのぶ)氏は、『水の女』に次のように書いている。

 

「結論の導きになることを先に述べると、みぬま・みぬは・みつは・みつめ・みぬめ・みるめ・ひぬま・ひぬめなどと変化して、同じ内容が考えられていたようである。地名になったのは、さらに略したみぬ・みつ・ひぬなどがあり、またつ・ぬを領格の助辞と見てのきり棄てたみま・みめ・ひめなどの郡郷の称号ができている。」

 

阿波の国美馬郡の『弥都波能売神社』は、注意すべき神である。大和のみつはのめと、みつは・みぬまの一つものなる事を示している。美馬の郡名は、みぬま或は、みつま・みるめと音価の動揺していたらしい地名である。地名も神の名から出たに違いない。

 

 

地名の「みま」は、弥都波能売の神の名から出たのだと結論づけている。
現在の“みま”の表記は「美馬」であり、語源は当地が名馬の産地であったとして、自治体などは名馬「池月」の昔話などを地名由来の紹介などに使っている。

 

それで私などは、市町村合併による新市名の市民応募に「池月市」を書いたくらいであった。あやうく騙されて後悔するところだった。
美馬の古代表記は「美万」であるらしい。
「天帯神社」を後世の人々が「雨降神社」と書いて雨乞いの神に変えてしまったような間違いに似ている。「無知は罪」「土民之を知らず」を地で行くところだった。

 

中には、四国一の清流穴吹川があるから「美川市」にしようだとか、観光の目玉、うだつの町並みがあるから「うだつ市」にしようとか、聞くのも恥ずかしくなるようなことを平気で言う輩も多かったのである。
地名は商店街や公園の名前とはわけが違う。
幸い美馬市は、私などと違い正常な市民が多かったせいで、歴史ある「みま」の地名を引き継ぐことができた。

 

日本建国にも関わる、千数百年もの間引き継いで来た歴史ある地名「麻植郡」を捨て、「吉野川市」などというけったいな何のありがたみもない市名に変えてしまった例もある。残念なことである。



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鳥居もなく石碑らしき立石も倒れたままになっている。
周囲は雑草も生え放題なのだが、社殿の前だけは草が無い。
つまり周辺住民の参拝は続いているあかしである。
周辺は民家も少なく、氏子の数も比例していると思われる。

 

この神社の御祭神と地名などの話は「不思議の徳島」に書く予定。