私の住む徳島の田舎に「滝ノ宮」という地名があります。
同級生の家もあって、子供のころの私の遊び場のひとつでもありました。
町には他にも字名がたくさんありますが、どれ一つとしてその地名の意味など聞いたことも考えたこともありませんでした。
同級生の家もあって、子供のころの私の遊び場のひとつでもありました。
町には他にも字名がたくさんありますが、どれ一つとしてその地名の意味など聞いたことも考えたこともありませんでした。
数年前四国に戻り、香川にも出入りするようになり、讃岐にも「滝宮(たきのみや)」という場所があることを知りました。
香川県人なら知らない者はない地名です。
「滝宮天満宮」という菅原道真公を祀る有名な神社があるからです。
香川県人なら知らない者はない地名です。
「滝宮天満宮」という菅原道真公を祀る有名な神社があるからです。
瀧宮神社(綾川町) |
学問の神様に参拝する気はなかったけれど、その横を通りかかったとき道をはさんで隣にも別の神社があることに気付きました。
車を止め参拝すると、神社の由緒書きには御祭神が「素戔嗚尊」であると書かれていて、大変驚きました。
まだ、このブログに書いているようなことに興味も知識もなく、(なぜ、香川に素戔嗚尊が祀られているのだ!)と感激したのです。
古事記に登場する大物の神ですし、荒ぶる神素戔嗚尊に以前から魅力を感じていたのです。
由緒には、「和銅二年(七〇九)行基菩薩当国へ奉勅下向の時、阿野の川辺に岩窟の霊区のあることを感見し、一宇を造立し巖松山綾川寺龍燈院と号した。
その後神託により、六月八日綾川の滝渕から応現し給ふ霊神を御維新迄旧号を瀧宮牛頭天王社と称し、往昔より五幾八道の一南海の惣鎮護と仰がれる」とあります。
その後神託により、六月八日綾川の滝渕から応現し給ふ霊神を御維新迄旧号を瀧宮牛頭天王社と称し、往昔より五幾八道の一南海の惣鎮護と仰がれる」とあります。
と、いかにも「滝」と「牛頭天王」の関係のルーツのようなことが書かれていますが、本当でしょうか?
この付近を流れる綾川は、広い讃岐平野の中流域で水量も少なく、「滝」と言えるようなものがないのです。
「滝」「滝宮」の地名がつくことのほうが不自然な場所なのでした。
徳島の地名との一致に関しては、(ああ。同じ地名ってあるんだなぁ)くらいにしか思っていませんでした。
この付近を流れる綾川は、広い讃岐平野の中流域で水量も少なく、「滝」と言えるようなものがないのです。
「滝」「滝宮」の地名がつくことのほうが不自然な場所なのでした。
徳島の地名との一致に関しては、(ああ。同じ地名ってあるんだなぁ)くらいにしか思っていませんでした。
最近、『徳島県神社誌』をはじめ数冊の神社関係資料を見ていて「あっ」と気付きました。
徳島には「滝宮」と名のつく神社、「滝宮」という地名にある神社が複数ありましたが、例外なく御祭神が「素戔嗚尊」なのです。
徳島には「滝宮」と名のつく神社、「滝宮」という地名にある神社が複数ありましたが、例外なく御祭神が「素戔嗚尊」なのです。
これは、どうみても偶然ではありません。
それらのなかに、上記「滝ノ宮」に鎮座する「八坂神社」がありました。
それらのなかに、上記「滝ノ宮」に鎮座する「八坂神社」がありました。
私は少々興奮しました。
子供のころは、そこに神社があることも知りませんでした。
友達の家や遊び場から外れた場所にあったからです。
数年前、付近をうろついていて古びた神社があることを知りましたが、それが延喜式式内社に比定されるほどの古社だとは知りませんでした。
さらには「素戔嗚尊」が祀られているというのですから。
子供のころは、そこに神社があることも知りませんでした。
友達の家や遊び場から外れた場所にあったからです。
数年前、付近をうろついていて古びた神社があることを知りましたが、それが延喜式式内社に比定されるほどの古社だとは知りませんでした。
さらには「素戔嗚尊」が祀られているというのですから。
☆ 滝宮神社 徳島県三好郡東みよし町昼間字櫻井529
通称は「瀧宮」「井内谷瀧宮」
☆ 八坂神社 徳島県板野郡上板町西分滝ノ宮2
☆ 滝の宮神社 徳島県名東郡佐那河内村字根郷
★ 『徳島県神社誌』その他最近の資料には記載がないが、
『佐那河内村史』によれば『寛保改神社帳』の下地区(滝ノ宮の字名あり)の項に「滝宮大権現」の記載あり。
上記と同じ社かどうかは不明。
★ 『徳島県神社誌』その他最近の資料には記載がないが、
『佐那河内村史』によれば『寛保改神社帳』の下地区(滝ノ宮の字名あり)の項に「滝宮大権現」の記載あり。
上記と同じ社かどうかは不明。
よく調べれば、他にもあるでしょう。
地名変更でわからなくなってしまったケースもあるはずです。
すでに廃社になっているものもあります。
神社関係資料には載っておらず、町村史だけで確認できるものもありました。
地名変更でわからなくなってしまったケースもあるはずです。
すでに廃社になっているものもあります。
神社関係資料には載っておらず、町村史だけで確認できるものもありました。
複数の場所で「滝宮」と「八坂」の名称がセットになっていることもわかります。
八坂神社はもちろん、もっとも有名な素戔嗚尊を祀る神社で、徳島県海部郡海陽町には「日本三大祇園」の一つである八坂神社も鎮座します。
八坂神社はもちろん、もっとも有名な素戔嗚尊を祀る神社で、徳島県海部郡海陽町には「日本三大祇園」の一つである八坂神社も鎮座します。
しかし、今まで「滝宮」と「素戔嗚尊」を結びつけて論じた文章を見たことがありません。
八坂神社(美馬町) |
他県も探しましたが、ネット検索ではなかなか見つかりません。
私が興味を持っているのは、「素戔嗚尊」と「滝宮」の結び付きのルーツはどこなのか、ということです。
当然その場所は、スサノオの命ゆかりの地であるからです。
そこから、この神名と地名・神社名のセットが各地に伝搬していったはずなのです。
不肖・乃良根公、ここで、ハタと困りました。
また「土民之を知らず」を繰り返す可能性が出てきたからです。
また「土民之を知らず」を繰り返す可能性が出てきたからです。
本来「田寸(たき)の宮」だったものが、後世「滝の宮」に変化したという可能性も考えなければいけません。
であれば、川や滝を追いかけている場合ではありません。
であれば、川や滝を追いかけている場合ではありません。
『古事記』によれば、スサノオの命はイザナギの命から「海原を治めるように」と言われたが、母神イザナミのいる根の国に行きたいと泣きわめくため、イザナギの怒りを買って追放されてしまいます。
阿波に当てはめるならば、東部海岸地帯を治めよと命じられたにもかかわらず、そこから見て西部内陸部または山間部を統治したいと欲した、ということになります。
そのうち山間部の一部は高天原ですから、それ以外の土地になります。
阿波に当てはめるならば、東部海岸地帯を治めよと命じられたにもかかわらず、そこから見て西部内陸部または山間部を統治したいと欲した、ということになります。
そのうち山間部の一部は高天原ですから、それ以外の土地になります。
上記の部分を古事記では、
「僕者欲罷妣國根之堅州國。故、哭。」
「僕(あ)は妣国(ははのくに)根の堅州国(かたすくに)に罷らむ(まからむ)と欲ふ。故(かれ),哭くなり」
と記しています。
これを上記のように、「母親であるイザナミのいる国」=「黄泉の国」=「根の堅州国」と、ほとんど、どの解説でもそう説明されています。
前段として、「命(よ)させし国を治らさずて、泣き続け」るスサノオの姿があるために、母親を恋しがる子の姿と連想させられるのです。
前段として、「命(よ)させし国を治らさずて、泣き続け」るスサノオの姿があるために、母親を恋しがる子の姿と連想させられるのです。
単純に「妣(はは)」という名の国があったのではないでしょうか?
その「はは」国は「根の堅州国」と表現されるような土地にあります。
黄泉の国とイズモと葦原中国の「近く」にあります。
黄泉の国と根の堅州国は同じ、と解説する人がほとんどですが、それも断定できる根拠がありません。
「黄泉津良坂」が「黄泉の国と出雲の境」であり、「妣国(根の堅州国)と葦原中国の境」でもあるから、というのが定番の解釈ですが、同じ国でなくても隣り合ったり一部が重なったりすれば、境界が重なることもあります。
黄泉の国とイズモと葦原中国の「近く」にあります。
黄泉の国と根の堅州国は同じ、と解説する人がほとんどですが、それも断定できる根拠がありません。
「黄泉津良坂」が「黄泉の国と出雲の境」であり、「妣国(根の堅州国)と葦原中国の境」でもあるから、というのが定番の解釈ですが、同じ国でなくても隣り合ったり一部が重なったりすれば、境界が重なることもあります。
(続く)
(▼0▼)/~~see you again!