佐那河内の「ももいちご」うますぎ! |
私は馬鹿ですから、どんな本でも1回や2回読んだだけでは、ほとんど頭に入っていません。
その時特に興味を持っていた話や、特別印象深い話以外は、ほとんど頭から抜け落ちています。
しかし、それもいいと思って、あまり続けて読み込むことはしていません。
何故なら先入観ができてしまうからで、(もしかしたら、こういうことなんじゃないか?)というような自分の発想を邪魔してしまうからです。
それで(おお!)と自分で何か見つけたような気になって、その後以前読んだ本を読み返すと、すでにそこに書いてあった、というようなことがたびたびあります。 (▼_▼;
でもそれはそれで、状況証拠を並べていけば誰が考えても同じ結論に達するということで、仮説の信憑性が増すような気もします。
でもそれはそれで、状況証拠を並べていけば誰が考えても同じ結論に達するということで、仮説の信憑性が増すような気もします。
『記・紀の説話は阿波に実在した』を一部読み返しました。
「滝の宮」と「須佐之男命」に関する情報が何かないかと思って読みました。
この本でも、妣国(ははのくに)根の堅州国(ねのかたすくに)と黄泉の国(よみのくに)は同じであるとし、スサノオの居住地「根の国」を「佐那河内村字根郷」に比定しています。
国には郷(さと)の意味があり、日本書紀には国の表記を“郷”としている個所もあることから、「根郷」=「根国」と見ることもできるという意見です。
国には郷(さと)の意味があり、日本書紀には国の表記を“郷”としている個所もあることから、「根郷」=「根国」と見ることもできるという意見です。
~須賀の地に至り坐して詔りたまひけらく、「吾此地(ここ)に来て、我が御心須賀須賀斯(すがすがし)。」とのりたまひて、其地(そこ)に宮を作りて坐しき。故、其地をば今に須賀と云ふ。~
地図で左上の地名が「須賀」です。
その「根の堅洲國」がはたして「根郷」なのかどうか、今のところは確信を持てません。
「根の国」を「地底」だと、いかにも神話らしく解釈する人もいるようで、著者も「低い場所」と考えているらしく「根郷は山に囲まれた佐那河内では最も低い場所」と説明しています。
「根の国」を「地底」だと、いかにも神話らしく解釈する人もいるようで、著者も「低い場所」と考えているらしく「根郷は山に囲まれた佐那河内では最も低い場所」と説明しています。
私は少なくとも「黄泉の国」は山上と考えていますので、イザナギや大国主が坂を下って逃げるのか、上って逃げるのか、著者や他の方々と正反対の解釈になりますが、黄泉国と根堅洲國は別の国とも考えていますので、「根の國」が低所にあることには反対する根拠がありません。
あ、でも根の國の須佐之男命から逃げた大国主命も「黄泉津良坂」から脱出していますので、やはり山上でしょうか?今後の検討課題です。
あ、でも根の國の須佐之男命から逃げた大国主命も「黄泉津良坂」から脱出していますので、やはり山上でしょうか?今後の検討課題です。
黄泉の国を山上と考える根拠については以下の通りです。
に、あとから追加した部分ですが、地名に関する本を読んでいて、
③ 古代において「坂」(さか)とは「境界」を表し、「境」(さかい)の語源となったこと。
平野部の国(邑)の境界には同祖神などを置いたが、
平野部の国(邑)の境界には同祖神などを置いたが、
山上・台地上の国の境界は、その国へ至る途中の「坂」とされたこと。
を、知り、必然的に坂を国境とする「黄泉の国」とは、山上国と考えられること。
それはさておき、このように佐那河内村とは大変興味深いところで、他にも調べたいことがいっぱいありますが、以前も書いた「天岩戸別神社」が鎮座する村でもあります。
~手力男神は佐那那縣(さなのあがた)に坐(いま)す~
この「佐那県」も通説では、どこやら他県のこととされています。
何度も紹介した「阿波忌部の祖」です。
御祭神は「天手力男神」です。
しかも、この神社の住所は、
なのです。
「スサノオ」と「滝の宮」のつながりは間違いなくある。
「天手力男神」と「滝の宮」にも何やら関係がありそうである。
阿波の古代は、深淵の如し、であります。
(▼0▼)/~~see you again!