空と風

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スサノオと滝宮の暗号 2

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佐那河内の「ももいちご」うますぎ!

私は馬鹿ですから、どんな本でも1回や2回読んだだけでは、ほとんど頭に入っていません。
その時特に興味を持っていた話や、特別印象深い話以外は、ほとんど頭から抜け落ちています。
しかし、それもいいと思って、あまり続けて読み込むことはしていません。
何故なら先入観ができてしまうからで、(もしかしたら、こういうことなんじゃないか?)というような自分の発想を邪魔してしまうからです。

それで(おお!)と自分で何か見つけたような気になって、その後以前読んだ本を読み返すと、すでにそこに書いてあった、というようなことがたびたびあります。 (▼_▼;
でもそれはそれで、状況証拠を並べていけば誰が考えても同じ結論に達するということで、仮説の信憑性が増すような気もします。

『記・紀の説話は阿波に実在した』を一部読み返しました。


以前も、私の発想と桜島さんのアドバイスで「葦原中国」=「葦原長国」という結論を導いて興奮しましたが、これを読みかえすと既にそう書いてあった、というような本です。(阿呆丸出し・・)


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「滝の宮」と「須佐之男命」に関する情報が何かないかと思って読みました。


この本でも、妣国(ははのくに)根の堅州国(ねのかたすくに)と黄泉の国(よみのくに)は同じであるとし、スサノオの居住地「根の国」を「佐那河内村郷」に比定しています。
国には郷(さと)の意味があり、日本書紀には国の表記を“郷”としている個所もあることから、「根郷」=「根国」と見ることもできるという意見です。

ここにはスサノオを祭神とする「滝の宮神社」があり、著者はスサノオの住居跡と考えています。
(根郷の隣の字名が滝の宮)
隣りの神山町もそうですが、この佐那河内村内にも複数の美しい滝が流れ落ちています。

また、同地の「杉の宮神社」をイザナミの命の「殯(もがり)の宮」とし、「黄泉比良坂」を佐那河内村との境にある勝浦町坂本としています。
古事記には「到黄泉比良坂之坂本時、」とある)

この佐那河内村には、スサノオを祀る神社として「滝の宮神社」以外にも、「八坂神社」(9社)、「天王神社」(2社)、「八王子神社があり、祇園祭もおかなわれ、全域にスサノオの痕跡が見られるとのことです。


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須佐之男命は八俣の遠呂智を退治したあと、櫛名田比売との新居の地を求めました。

~須賀の地に至り坐して詔りたまひけらく、「吾此地(ここ)に来て、我が御心須賀須賀斯(すがすがし)。」とのりたまひて、其地(そこ)に宮を作りて坐しき。故、其地をば今に須賀と云ふ。~

地図で左上の地名が「須賀」です。

古事記でその後須佐之男命が登場するのは、大国主命の話のときで、「須佐能男命所坐之根堅洲國」と書かれ、「須賀」から元々の目的地である「根堅洲國」へ移住したことがわかります。

その「根の堅洲國」がはたして「根郷」なのかどうか、今のところは確信を持てません。
根の国」を「地底」だと、いかにも神話らしく解釈する人もいるようで、著者も「低い場所」と考えているらしく「根郷は山に囲まれた佐那河内では最も低い場所」と説明しています。

私は少なくとも「黄泉の国」は山上と考えていますので、イザナギ大国主が坂を下って逃げるのか、上って逃げるのか、著者や他の方々と正反対の解釈になりますが、黄泉国と根堅洲國は別の国とも考えていますので、「根の國」が低所にあることには反対する根拠がありません。
あ、でも根の國の須佐之男命から逃げた大国主命も「黄泉津良坂」から脱出していますので、やはり山上でしょうか?今後の検討課題です。


黄泉の国を山上と考える根拠については以下の通りです。

① 黄泉国の大王となったイザナミの命は山上に葬られていること。
② 火葬のない時代、一般的に古代人は山に葬られたこと。


に、あとから追加した部分ですが、地名に関する本を読んでいて、

③ 古代において「坂」(さか)とは「境界」を表し、「境」(さかい)の語源となったこと。
  平野部の国(邑)の境界には同祖神などを置いたが、

  山上・台地上の国の境界は、その国へ至る途中の「坂」とされたこと。

を、知り、必然的に坂を国境とする「黄泉の国」とは、山上国と考えられること。



それはさておき、このように佐那河内村とは大変興味深いところで、他にも調べたいことがいっぱいありますが、以前も書いた「天岩戸別神社」が鎮座する村でもあります。

御祭神は「天手刀雄神」(あめのたぢからおのかみ)。
高天原「天の岩戸隠れ」の際、アマテラスの手を引き、岩戸から外にお連れした神です。
天孫降臨のあと、

「次手力男神者坐佐那那縣也」『古事記』、「天手刀雄神批者座ニ佐那県一也」『先代旧事本紀

手力男神は佐那那縣(さなのあがた)に坐(いま)す~

と記されたとおり、佐那河内村に祀られているのです。
佐那河内村の旧名を「佐那県」(さなのあがた)、「狭長村」(さながむら)といいます。

この「佐那県」も通説では、どこやら他県のこととされています。

古事記に記された佐那那縣が阿波である証拠に、『神道大辞典』『大日本神名辞書』等では「手刀雄神」の子が「天日鷲翔矢命」となっています。

何度も紹介した「阿波忌部の祖」です。





さて、実は、 岡山県延喜式式内社にも、佐那河内村の社と同名の天石門別神社」があるのです。


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御祭神は天手力男神です。


しかも、この神社の住所は、

  岡山県美作市 滝宮 89番

なのです。



由緒によれば「第10代崇神天皇の御代、大吉備津彦命が、吉備地方平定報賽のため鎮斎した」とのことです。
このブログでも阿波国古代のことを調べていくと、必ずというくらい崇神天皇が出てこられますね。


スサノオ」と「滝の宮」のつながりは間違いなくある。

スサノオ」と「滝の宮」と「佐那河内村」のつながりも濃いようである。

佐那河内村」と「天手力男神」のつながりは明白である。

天手力男神」と「滝の宮」にも何やら関係がありそうである。


阿波の古代は、深淵の如し、であります。



(▼0▼)/~~see you again!