空と風

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土佐高知と阿波の地名

 
高知を車で走りながら、案内標識を見たり、地図を眺めていると、なかなか興味深い地名が複数見当たります。
 
徳島から海岸ルートを走っていて、真っ先に気づくのは、 河内 という地名の多さです。
「河内」といえば、大阪のことと思う人が多いでしょうが、徳島県内いたる所にある複数地名のひとつです。
 
この「河内」、高知県内にも複数見られます。
それどころか、「河内」の読みは、(かわち)(こうち)であり、高知県の名の由来にもなっているのです。
 
大阪東部の「河内国」は、古代、物部氏の本拠地のひとつであったといわれています。
高知県東部に位置する香美市に「物部町」(合併前は物部村)があり、中央を物部川が流れています。
 
ここには、独特の古神道ともいわれる いざなぎ流 が伝承されています。
 
 いざなぎ流は、陰陽道の要素を含むが、中世の京都で発展した陰陽師の家元である
 土御門家や賀茂氏とは歴史的な関連性が確認されておらず
 土佐国で独自発展した民間信仰である。
 
 (Wikipedia
 
記紀を見ればわかるように、物部氏も神事に関わる氏族でした。
古代の神事といえば、忌部氏です。
 
阿波倭説では、この土佐の物部こそが物部氏の源流で、阿波国内にいた邇藝速日命と阿波忌部氏との血縁(おそらく)関係から生まれた氏族であると考えています。
 
地図を見ればわかるように、物部川は、その反対に流れ出す阿波の那賀川と同じ源流地を持ち、地名を探るだけでも、土佐と阿波の関係がみてとれます。
 
 
物部氏の祖は、饒速日命の六代目子孫、伊香色雄命(父は大綜杵命、母は高屋阿波良姫)です。
 
孝元天皇妃・開化天皇皇后・崇神天皇の母である伊香色謎命の弟にあたります。
 
 
日本唯一の式内社「伊加賀志神社」で姉弟ともども祀られており、隣町の「御所神社」で父、大綜杵命も祀られていることは何度も書きました。
 
この地域は、阿波忌部の本拠地で、上記の神社も忌部系の神社です。
この伊加賀志神社と吉野川を挟んで北側対岸の地名が「香美」(かがみ)です。
 
高知県香美市の読みは(かみ)ですが、元々は(かがみ)。
『和名抄』は、土佐国・加々美(かゝみ)郡と訓じています。
 
 
その東、徳島の那賀地区と隣接するのが馬路村であり、饒速日命の子、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)を連想させます。
この「馬路」も徳島に複数存在する地名です。
 
 
しっかり調べれば、まだまだあるのでしょうが、他にも標識や地図で今回見つけた興味深い高知県内の地名を書いてみましょう。

 河内(複数) 吉野(複数) 馬路 生見 白浜(複数) 加茂(複数) 岩戸(複数) 一宇
 
 大山 日浦・日裏(複数) 飛鳥 長野(中野)(永野)(複数) 中の川(複数) 中川 和食
 
 井川 井ノ谷 井ノ口 井ノ岬  吉野川四国三郎とは別) 宇佐 日下 気田 奈良 
 大津 大浦 鍵掛
 
阿波古代史に興味があれば、あれ~!という感じを受けるでしょう。

一部を地図で示してみます。
 
 
イメージ 1
イメージ 2
 
 
イメージ 3
 
この部分です
 
 
イメージ 4
 
もう少し広域で 鷲敷、和食はともに(わじき)
 
書ききれないので、代表的な地名のみ書き入れています。
 
たとえば、今回私が参った土佐国式内社天石門別安國玉主天神社の鎮座地には、加茂山があり、毛田の地名も。
 
阿波の加茂山には、式内社 鴨神社があり、そこにある丹田古墳は、阿波倭説では御祭神の阿遅鉏高日子根神の神陵とされています。
 
 
その加茂山の南が深渕であり、深淵水夜禮花神という神は、スサノオの命の曾孫、そのまた曾孫が、大国主命です。
 
大国主命の長男が、別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)ともいう上記、阿遅鉏高日子根神です。
 
本居宣長の『古事記伝』では、「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語とされ、上記の「馬路」が思い出されます。
 
同書ではさらに、「シキ」はを「磯城」のこととしており、アジシキとはウマシシキ「馬路磯城の可能性もあります。
 
上の地図の、加茂、毛田、深渕、の位置関係を見てください。
 
私が、土佐国式内社、深淵神社の御祭神、深淵水夜禮花神が、阿波の深渕の神、と考える理由の一端が分かってもらえるのではないでしょうか?