式内社 阿波國那賀郡 賀志波比賣神社
阿南市津乃峰町東分の津峯神社が当社に当たりますが、同見能林町柏野にもその元社と伝わる賀志波比売神社が鎮座します。
御祭神・賀志波比売命を主祭神とする日本唯一の式内社ですが、唯一であるがゆえ、この賀志波比売命という女神がどなたのことなのか?は不確定であり、現在までにおよそ三つの説があります。
その壱 天照大御神
御祭神賀志波比売命を天照大御神の幼名とする阿波古事記研究会が唱える一説が有名で、論拠は、黄泉帰った伊邪那岐命が穢れを祓うために禊した「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」が当地である、とする神話地比定によります。
神話と史実は100%イコールではありませんが「神話の舞台」としての「橘の小門の阿波岐原」は阿波の橘湾の小門であろう、という点は私も同意します。
その「地を代表する神」として式内社で祀られる女性が、他に存在し得るか?という「土地と神格の一致性」がポイントになるといえます。
史料としては上記画像『神祇全書 第5輯』明治41(1908)年刊に収録の「阿波式内神社考」長谷川貞彦(文化文政年間・1804年~1830年ころの人)に「祭神 天照皇大神ㇳ云う」とあり、主語がありませんが、おそらく江戸時代の宮司か土地の人は、賀志波比売を天照大御神と認識していたようです。
その弐 夏之売命(夏高津日神) ※羽山戸神と大宣都比売の娘
『阿波誌』(1815)に「賀志波比売神社 夏之売命を祭る 見能潟に在り 俗に津峰権現と号す」とあり、江戸時代の伝承として夏之売命説があったことが史料上で確認できます。
ただ、その根拠(伝承なのか、社伝や何らかの史料があったのか、当時の考察なのか)は不明です。※江戸時代の文献は根拠を記さないものが多い。
神社の立地と「夏高津日」というイメージの一致も感じられますが、夏之売(なつのめ)命を夏之売(かのめ)命と読み(かしはのめ)との共通感を持ったのかもしれません。日本各地の御祭神不明の古社で「御神名の音が社号に似ている」ことだけを根拠に御祭神を推す説が数多見受けられます。
と、書いた後、さらに調べていると『阿波國式内略考』文化12(1815)年 永井精古(1772-1826)著、に上記の私見と同様の見解を発見しました。
夏之売(ナツノメの)神を(カシノメの)神と訓み改めて社号「賀志波比賣」神にこじつける説であり、信じがたいと述べています。私の考察も“まんざらでもない”ですね。(自画自賛)
その参 石長比売命
津峯神社の南方明神山に木花之佐久夜比売命をお祀りする峯神社が鎮座するのですが、その社伝には「猶(なお)北方ニ望ム津乃峰ニハ、姉君賀志波姫命ガ祀ラレシコト、洵(まこと)ニ奇ナルベシ」と記されているとのことです。
つまり、木花之佐久夜比売の姉=石長比売が賀志波姫であるとの伝。相殿に大山祇命(二比売の父)が祀られることと相まって説得力を持ちます。
疑問があるとすれば、この社伝がいつからの伝承なのか?という点ぐらいです。「静岡縣富士山ニ祀ル浅間神社ハ此ノ神社ノ本宮ニ當リ」「亦タ西方ノ愛媛縣大三島ニ祀ル大山祇神ハ父君ニ當リ」などの記述から、これも明治期以後の伝だとは思われますが、もちろん、その伝承をいつまで遡れるかは不明です。
ただ、そもそも「石長比売」とは本当に木花之佐久夜比売の姉なのでしょうか?
神話はエッセンスで見なければいけません。(史実を元とした神話の場合)
抽出すると
①石長比売は大山祇神の娘、または血縁、一族の者。
②邇邇藝命によって「拒絶」「御役御免」とされた。
③寿命を司る・延命の神格を持つ。
といったところでしょうか?
そしてまた「石(イワ)」の意が「岩のように永遠のもの」という神話上の説明を真に受けていいものでしょうか?
イワとは「伊和大神」のイワと同じ。発語における「ア」「イ」同義説を当てはめると「アワ」となります。
そもそもこの徳島は「イ(ア)ワ + ナガ」の国。イワナガ比売とは「阿波の長の比売」「阿波と長の比売」なのではないでしょうか?
賀志波比売神社が鎮座する一帯の浜を「長浜」(現在も字名で残る)といいます。
日本各地に長浜という地名は数多くありますが、「中」「長」地名は「中ほど」「長い」という地理地形を表すものの他、古代からの「ナカ」「ナガ」地名を移したものが複数あります。「那珂・那賀」グループの別表記なのです。この地は阿波の「長国」→「那賀郡」の一部であり、「長浜」は「長の国の浜」の意です。(その先に「長島」という決して長くはない島もあるのが確認できると思います)
さらに、この「長浜」が在るのは見能林町。元は「那賀郡」見能方村。『阿波志』には「賀志波比売神社、見能潟に在り」とあり、地名としては「見能」+林・方・潟、で「ミノ」がベース地名だと分かります。
阿波においてミノに祀られる女神といえば、
では、次回後編で結論、