空と風

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八幡神社 美馬市美馬町

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鎮座地 美馬市美馬町重清字八幡15

「倭大國魂神社」の隣に鎮座する、田舎町としては大きめの神社。
隣接する「重清城」「八幡古墳群」「大国魂古墳群」などの存在からも、特別な地であったことが分かる。

Wikipedia) によれば、

 八幡神(はちまんしん、やはたのかみ)は、八幡大菩薩とも呼ばれる神で、
 八幡神社は稲荷神社に次いで全国2位の数を誇る神社なのだという。
 「若宮神社」も八幡神社の系列だそうで、徳島では稲荷系よりも圧倒的に八幡系が多い。

(同じく) 祭神については、

 現在では、応神天皇を主神とし、神功皇后比売神を合わせ八幡神(八幡三神)ともしている。
 神功皇后応神天皇の母親であり、親子神(母子神)信仰に基づくものだといわれる。

 比売神八幡神の妃神と説明されることも多いが、その出自はよく分かっていない。
 八幡神は外来神で比売神はそれ以前に宇佐に祀られていた地主神だという説や、
 比売神は宗像三神または市杵島姫命であるという説、
 近年では比売神はヒミコでありアマテラスであるという説も登場している。


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「天照皇大神」「大己貴神」「垣安姫神」「倉稲魂神」「少彦名神」「猿田彦大神


猿田彦大神の名は一柱だけ、特別大きな石碑に刻まれ、他の神々の名は五角柱の石塔のそれぞれの面に彫られている。
古事記を見る限り、「猿田彦」は天津族でも出雲族でもない土着の人物と見られ、大杉氏などの研究者の言う通り徳島山上が高天原だった場合、この一帯の豪族であった可能性が出てくる。

この町には、国の史跡である「段の塚穴」という古墳時代後期の二つの古墳があり、その特徴は近畿地方徳島市方面のものとはまったく違っていて、この一帯に強力な勢力と独自の文化を持つ集団がいたと考えられている。
猿田彦を、その一族と考えると、つじつまが合うのである。
この神社では、なぜ、猿田彦大神だけを別格に扱っているのだろうか?


五面の石塔は他の神社でも見られ、「天石門別八倉比賣神社」の五角形の祭壇?といい、五角形、五柱の神、には何か意味があるのだろうか?

ネットで検索すると、「八幡」に限らず、いろいろな神社に、この五柱の神の名が五角柱の石塔に彫られていることが分かる。



上の動画では、隣の「倭大國玉神大國敷神社」とユダヤ秦氏の関係が囁かれているが、
そもそもこの「ハヤタ」の神・神社も秦氏との関わりが深いと言われる存在である。
八幡神社の総本社とされる「宇佐八幡宮」は、秦氏の創建と言われている。

「八幡」とは「ハチマン」とも「ヤワタ」とも読むが、「ヤハタ」というのが本来の読みだと言われる。

同じくユダヤと関わりの深い「八坂(ヤサカ)神社」は「弥栄神社」とも書き、弥栄(イヤサカ)は、「国の弥栄を祈る」などと言うように
(ますます栄えること)という意味で使われる。

同様に、「ヤハタ」を「イヤハタ」と読むならば「弥秦」と書くことが可能である。
古語拾遺』や『新撰姓氏録』を見れば「秦」の読み方は「ハダ」が正しいようだ。


「イヤハダ」=「弥秦」で、「ヤハダ」=「八幡」の語源であるという説がある。
そしてさらにその語源は、「ユダヤ」を表すアラム語「イエフダー」であると言う。

渡来人である祖谷(イヤ)の秦(ハダ)氏(秦氏族の第一陣)が皇族の祖で、その部族の主要メンバーの一族が阿波忌部であると考える私には興味深い話である。