空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

式内社 伊射奈美神社 比定① 美馬市美馬町

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日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社
鎮座地  徳島県美馬市美馬町中鳥589番地
御祭神  伊射奈美尊 速玉之男(はやたまお)神 事解男(ことさかお)命
合祀   天照大神 素戔嗚尊 大山祇神 猿田彦大神 
神紋   十六菊紋
創祀年代不詳

 

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由緒は以下の写真を参考に

 

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古文書解説
此の大神は古 天地初発し時 神代七代に到り伊射奈美尊
天神より天瓊戈を授かり天降りましまし 天の浮橋の上に立ち淡路島を生み賜う
其気直に生じ阿波国を生み賜うと天の御柱国の御柱を立て
天地の道に随ひ君臣父子夫婦兄弟朋友並に万物の道を正して教を末の代まで置き給ひ
天地開闢本立を開き給う 是阿波国伊射奈美尊
御鎮座を申し伝え 祭所伊射奈美神社祭り奉ると神名記にも相見え候
中鳥 初め島中に稲を負う鳥止り給う
島中故 中は尊き故上にそなへ置き 中を内へ内へとしめよせ 神社となり給う
中の字は君徳にそなへ鳥の字は下臣の行にそなへ置き給う上下和合の徳にて中鳥と定む

 

興玉伝記
第十一代垂仁天皇二十五年 皇紀六五六年紀元前BC四年 皇大神宮が造られ 太田姫命は八十の末社を造った
伊射奈美神社は末社となっている

 

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神社の裏に「中鳥城主・浅野但馬守」の碑がある。
元亀(げんき)2年とあり、戦国時代、1571年当時の城主。

 

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灯篭の裏には「文化」と彫られているので約200年前のもの。
鳥居は明治のものだった。

 

元地から移転した際に、移せるものは全て移設したようである。
元はすぐ南の川中島(中鳥島)の中にあった。
このことについては「不思議の徳島」で書く予定。
ちなみに、式内社「伊射奈美神社」の比定地は、他に「高越神社」「伊射奈美神社」(穴吹町)がある。
当社も創祀年代は不詳だが、『半田町誌』に「1187年、伊射奈美神社再造」の記録があり、相当の古社であることがわかる。

 

美馬町ホームページから抜粋☆

 

【美馬とイザナミ
記紀は、各地に伝わる民間伝承を基に編纂されているという考えがあります。このうち二神による国生み神話については、淡路島周辺に伝わっていた民間伝承が基になっているとされています。記紀では、イザナミは、広島県比婆山和歌山県熊野の有馬村に葬られ、イザナギは、淡路島に幽宮(かくりのみや)(地上に造った永眠の地)を造り(淡路伊佐奈伎神社…現在の伊弊諸(いざなぎ)神宮そこに隠れたとあります。しかし、二神の活躍の話が本来は淡路島付近に伝わっていた民間伝承とするならば、二神の活躍した範囲はもっと狭い地域であるかもしれません。そのように考えた場合、淡路国に隣接する阿波国美馬郡にのみイザナミを社名とする式内社がおかれていることに特別な意味を感じます。
伊射奈美神社は、二神が活躍する話の本来の姿の名残を伝えるものかもしれません。

 

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この地図の伊射奈美神社の位置は正確ではない。イメージ 9
 
もう少し西よりのような気がする。吉野川北岸に堤防ができ、その上が道路になっているが、現在どの地図にも反映されていない。堤防の北側の竹やぶの中にある。
 
 

※以下コメント(当時)

 

こんばんわ。度々の書き込み失礼いたします。
ちょっとこんなのを見つけてしまいましたのでご報告まで。
近所の「御寄神社」です。 
2009/9/5(土) 午後 11:50 [ ぐーたら ] 

 

御寄神社を調べたら、この神社の御祭神は八柱でした。
大正3年に、御寄大明神を同じ敷地村の若宮大明神に合祀、同じ年に同村の野神社・滝宮神社・天神社・落神神社・青木神社・秋葉神社を合祀しています。それぞれの元の神社の御祭神が勉強不足でわかりません。
同じ名前の神社を探れば検討が付くと思いますが。

私が調べていた「滝宮神社」をまた一社発見できて喜んでいます。
この神社も全て水辺で、素戔男命を祀っています。

2009/9/6(日) 午後 10:59 のらねこぶるーす