創祀年代不詳。
岡本監輔著 『
名神序頌』 には、
貞観(じょうがん)年間(859~877)の創建と記す。
旧名は「十二所明神」、「十二所大権現」。
明治12年、「
十二所神社」と改称。
明治43年、舞中島の
武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀。
昭和になり(年不明)、「伊射奈美神社」と改称。
延暦七年(788)に
国司の奉幣があったと伝えられている。(
徳島県神社誌)
上記『
名神序頌』に、文禄3年(1594)の棟札に「式内
伊弉冉尊」とあることが記され、式内伊射奈美神社の論社の根拠の一つとなっている。
他にも、応永三年(1396)、天文元年(1532)の棟札が残っているらしい。
同書に記載の「
貞観年間の創建」という説は、この『
日本三代実録』の記述をもとにしていると考えられる。
従って、「
貞観十年以前のいつ、創建されたのか」また、「三代実録に記された“伊奘再神”が当社のことを指すのか」は、不明といえる。
『
名神序頌』 当社以外の
穴吹町の伊射奈美命に関わる神社の記述も見える
当社石碑には、
延長五年(九二七)式内伊射奈美神社に 「比定された」
という記述があるが、この年は
延喜式神名帳が書かれた年であり、
阿波国伊射奈美神が
式内社に認定された事実を述べているにすぎない。
なお、『阿波志』が、式内伊射奈美神社に比定している同名の「
十二所神社」(同町尾山)は、当社の奥社だという。
また、同じく式内伊射奈美神社に比定される高越山頂 「高越神社」 と、この二社は、ほぼ直線上に位置する。