空と風

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神話と徳島

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話はがらっと変わって、天皇や古代に興味を持つ中で、いわゆる「日ユ同祖論」などを知りました。
神社に興味を持つようになりました。神話や古事記に興味を持ちました。
リアルな最古の国史として邪馬台国に興味を持ちました。
ただし、ミステリー系が好きなので「そっち系」にも関心は飛びました。
テレビの「歴史ミステリー」~「日本ミステリー」みたいなのは大好きですね。
(私の町では映らないんで残念です。)

 

当時私の中で「天照大神」は「卑弥呼」ではないのか?という仮説が浮かびましたが、そんなことは当然のように多くの人が唱えている説だということがすぐわかりました。
ところが私が帰郷する間近(8~10年前?)になって「邪馬台国・徳島説」というものがあることを知りました。

 

私は「何を馬鹿なことを」「恥ずかしいからやめてくれ」と、真剣に思ったものです。
徳島出身の私がそう思ったのですから、多くの人は一笑に付すような話ではないかと思います。

 

田舎というのは、日本中どこでも「村おこし」のような感じで、あることないこと、昔話や伝説や妄想を騒ぎ立てるものです。
たとえば四国では、どこに行っても「空海」伝説で溢れています。実話も後世のこじつけも混在していると思われます。
そういった話しの中でも、特に強引な展開の聞くのも恥ずかしいような類のものだと思ったからです。


四国に戻ってからも首をかしげる事が、たびたびありました。
徳島も香川も、神社や祠などに「古事記」の有名な神様を祀っているところが多いのです。
古事記の舞台は、九州や島根や畿内のはず。何でこれらの神々が四国に祀られているのか?
たとえば、全国的にまったく無名の徳島のど田舎に「イザナミノミコト」の名を冠した神社がぽつんとあったり、香川でも、誰も人が訪れなさそうな丘の上の小さな祠に、「スサノオノミコト」が祀られていたり、あるいは「神武天皇」が祀られていたりして(え~!)と思うことが重なりました。
この点についても今ひとつの仮説が浮かんでいまして、今後書いてみたいと思います。
ただ当初は、単純に不思議だなぁ、と思っただけでした。


ところがその後、いろいろ読むうちに「おいおい」と思える事実がぞろぞろ出てきたのです。
考えてみれば、私は社会にも歴史にも郷土にも何一つ興味の無かった10代のうちに徳島を離れ、最近戻ってきたばかりで、徳島の歴史なんて何ひとつ知らなかったのでした。
今まで何十年も、複数のグループや人々が、徳島や四国を「邪馬台国」「古事記」の舞台として研究したり発表したりしていたのでした。
それが何故、全国的には全く注目されてこなかったのでしょうか?

 

それは徳島の民放テレビ局・四国放送の2001年の番組内で、畿内前方後円墳のルーツと言われる「萩原墳丘墓」が、1979年に発見された際、全国的には全く注目されず、近年になって徐々にその考古学的価値が認められ始めた理由を、番組の司会者から訊かれた北條徳島大学助教授が、
「徳島が“片田舎”として扱われたから・・・」
と、発言したことに集約されると思います。
古代の日本、日本建国に関わるのは、「九州~中国地方~畿内」と、思考停止したかのように固定観念で考えられ、どの本やサイトの地図を見ても四国だけすっ飛ばされてラインが描かれているのです。


もちろん、上記の説の中には「トンデモ本」の世界のようなものもあります。
間違い・勘違いも多いと思います。
では逆に、邪馬台国古事記の舞台に関して「完璧な」説・比定地がどこかに存在するのでしょうか?
みんな不完全なものだから決着していないのでしょう。
間違った各論部分を否定して、それを根拠にその説を全否定するような非論理的なことは誰しもがやめるべきでしょう。

 

 
もはや今は、私は、邪馬台国が徳島であろうとなかろうと、古事記の神話の舞台が徳島であろうとなかろうと、
少なくとも「そう推理すること・仮説を立てること」
それ自体には何の不思議も無かろう、と、思っています。

 

それほどの根拠があるからです。
その根拠とは、大きく分けると、「神社」と「古墳」と「忌部氏」です。
さらには「地名」です。

 

これらのことについて、これから少しずつ紹介したいと思います。
ただし、私には何の調査能力もありませんから、知り得たこと(誰がどんな説を唱えているかなど)の「紹介」と、個人的な「妄想」になります。
私的には、ファンタジーを楽しめればいいと思っています。
 
 
※以下コメント(当時)
 

わたしは、信じているので、ハンドル名にしているくらいです。学者ではないので、論を立ててどうとかには弱いので、ハンドル名で宣伝しているわけなのです。
神領、行者野、鬼籠野、佐那河内、こういう不思議な地名からだけでも、信じるに足りる気がしてしまうのです。 
2009/3/29(日) 午後 0:21 阿波野ひみ子 

 

私もその可能性はあると思います。
阿波忌部は、全国に暮らしに必要な技術を伝えた事を伊勢神宮の古文書に乗っています。また、小屋平の三木家がいて、天皇交代に必要なあらたえを作っていることも不思議です。実際は大正から復活したようですが。

小松島に豊国神社がありまして、ここは摩訶不思議な神社です。
豊国神社はその名の通り豊臣秀吉を奉る神社なのですが、徳川家康が天下をおさめた時に、各藩の豊臣秀吉にゆかりのある神社、豊臣秀吉木像100体全てを処分せよ。と、おふれを出しました。
しかし、徳島藩だけは、30年間も現存したり、木像は偽装して残したりと、普通では、切腹やリアルに首が飛んでも可笑しくありません。しかし、何故か、徳島だけはそれが許されました。
徳川幕府の厳しさは歴史を知っている人なら分かると思いますが、盗人をするだけで、死刑になり、良くても島流しになるくらいでした。
それなのに、徳島は豊国神社がそんな事が出来たのです。もちろん、犯罪天国だったわけではありません。 
2017/10/1(日) 午後 4:29 [ 暁人 ]