空と風

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鳥の一族 3

 
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 『安房国忌部家系』には、大麻比古命の子に、千鹿江比売命と由布津主命の名があります。
安房国忌部家系』とは、式内社安房国朝夷郡「下立松原神社」の論社のひとつである白浜町の下立松原神社に伝わる系図で、神社は、由布津主命が祖神である天日鷲命を祀ったことに始まるとされています。
この中に、興味深い表現の逸話が記されています。
 
 曰く、由布津主命、この国に至り坐す時、奇(あや)しき鳥在りて大空を翔(か)ける。
金色(こがねいろ)の羽を日に輝らし、火電(いなびかり)のごとく光(かがや)けり。
その聲(こえ)は、山川に鳴り響き、地も震えき。
 
 人々が恐れ逃げまどう中、由布津主命がその正体を知るため誓約(うけい)を行うと、祖神である天日鷲命の顕現であることが分かり、その希望通りにこの地に祀ったというのです。
 
金鵄でもある天日鷲命が巧みに表現されています。
さらに、天日鷲命は「賀茂建角身命」でもありますが、その孫は、賀茂別雷命
 
 
この火雷神は、大山咋神と同神なのですが、さらに大山咋神は、大国主命の子、阿遅志貴高日子根神と同神なのです。
このことは、あとで詳しく書きます。
 
 下立松原神社創建の、この由緒には、天日鷲命の一面が、まさに稲光のごとき光と音響を持ち合わせた神であることを記しており、その子らが「火雷」「別雷」と呼ばれた理由も頷けるというものです。
 
 
 もう一点、大国主命が鳥の一族の祖であると理解して初めて分かる物語や歌の意味がありますが、その一つを書いておきます。
 
このブログでも一度書いた、大国主命が、高志国の沼河比売に求婚するさいの歌です。
 
 
ここで私は、これまでの一般的な解釈に従って、この歌を理解し、さらに歌に出てくる「鳥」が結婚に反対する沼河比売の近親者たちの比喩だと指摘しました。
しかし、この解釈は間違っていました。
 

此八千矛神 將婚高志國之沼河比賣 幸行之時 
到其沼河比賣之家歌曰
 夜知富許能 迦微能美許登波 夜斯麻久爾
 都麻麻岐迦泥弖 登富登富斯
 故志能久邇邇 佐加志賣袁 阿理登岐加志弖 久波志賣遠
 阿理登伎許志弖 佐用婆比邇
 阿理多多斯 用婆比邇  阿理迦用婆勢
 多知賀遠母 伊麻陀登加受弖 淤須比遠母 
 伊麻陀登加泥(婆) 遠登賣能 那須夜伊多斗遠 淤曾夫良比 
 和何多多勢禮婆 比許豆良比 
 和何多多勢禮婆 阿遠夜麻邇
 奴延波那伎奴 佐怒都登理
 岐藝斯波登與牟 爾波都登理 
 迦祁波那久 
 宇禮多久母 那久那留登理加 許能登理母 
 宇知夜米許世泥 伊斯多布夜 
阿麻波勢豆加比 許登能 加多理其登母 許遠婆
 
 
この八千矛神、高志國の沼河比賣を婚はむとして、幸行でましし時、
その沼河比賣の家に到りて、歌ひたまわく、
 
 八千矛の 神の命は 八嶋国
 妻覓(ま)ぎかねて 遠遠し
 
 高志の国に 賢(さか)し女を ありと聞かして 麗(くわ)し女を
 ありと聞かして さ婚(よば)ひに
 あり立たし 婚ひに あり通はせ
 
 太刀が緒も いまだ解かず 襲(をすひ)をも
 いまだ解かねば 乙女の 寝(な)すや板戸を 押そぶらひ
 我が立たせれば 引こづらひ
 我が立たせれば 青山に
 
 鵺(ぬゑ)は鳴きぬ さ野つ鳥
 雉(きぎし)は響(とよ)む 庭つ鳥
 鶏(かけ)は鳴く
 慨(うれ)たくも 鳴くなる鳥か この鳥も
 打ちやめこせね いしたふや
 
天馳使(あまはせづかひ) 事の 語り言も こをば
 
大国主命は、天日「鷲」命、金「鵄」、八咫「烏」、「賀茂」建角身命、と好んで多くの鳥の変名を持つ人物です。
そしてそれは周知の事実でした。
上記以外の歌を見ていてもわかります。

この歌のこれまでの解釈を読んで、私もそうでしたが、殆どの人は「大国主命も変われば変わるものだな」と思ったのではないでしょうか?
あの「因幡の白兎」のころの大国主はどこへ行ったのか?
富と力を手に入れれば、大国主といえどもこんな横暴な男になってしまうのか?
そういう印象です。
なかなか求婚の申し出を受けてもらえず、イライラも頂点に達し、「あちこちで鳴く鳥さえ鬱陶しいから殺してしまおう」と沼河比売に向かって歌っているというのです。
脅し、ですね。
 

でも、本当は全く違う意味でした。大国主命の名誉のために私がここに訂正いたします。
 
大国主命がそんな男なら、大昔の家屋です。さっさと戸を蹴破って中に入っているでしょう。
彼は戸を1枚隔てて、一晩中、中の沼河比売と歌を詠み合っているのです。
 
やがて夜が明けてきて、あちこちで鳥が鳴き始めました。
 
 鵺(ぬゑ)は鳴きぬ さ野つ鳥
 雉(きぎし)は響(とよ)む 庭つ鳥
 鶏(かけ)は鳴く
 慨(うれ)たくも 鳴くなる鳥か この鳥も
 打ちやめこせね いしたふや

そしてここにも、もう一羽、ずっとあなたに向かってさえずっている(私という)鳥がいる。
 
あなたもうっとおしいでしょうから、この鳥を打って黙らせてしまいなさい。

と、詠んでいるのです。
 
「この鳥も」は、大国主命自身の比喩なのでした。
「この私を、もういいかげん黙らせてしまいなさい」、つまり「もう私の申し出を受ける決意をしてください」と言っているのです。

流石に頭の良い沼河比売、即座に歌を返します。

爾其沼河比売 未開戸 自内歌曰
 
 夜知富許能 迦微能美許登
 奴延久佐能 売邇志阿礼婆
 和何許許呂 宇良須能登理叙
 伊麻許曾婆 和杼理邇阿良米
 能知波    那杼理爾阿良牟遠
 伊能知波   那志勢多麻比曾
 
伊斯多布夜
阿麻波世豆迦比 許登能
加多理碁登母  許遠婆

ここにその沼河比売 いまだ戸を開かずして 内より歌い曰く
 
 八千矛の  神の命 
 ぬえくさの 女にしあれば
 我が心   浦渚の鳥ぞ
 今こそは  我鳥(わどり)にあらめ 
 のちは   汝鳥(などり)にあらむを
 
 命は     な死せ賜ひそ
 
いしたふや 
天馳使ひ 事の
語り言も 是をば

早速、大国主命に続いて、自分を鳥になぞらえて返歌しています。
 
私はか弱い女ですから、その心は浦渚の鳥のようなもの。
今までは、自分は自分だけのものでしたが、これからは、あなたの鳥(私)になるのですから、
戸の外にいらっしゃる鳥(あなた)を、無理やり黙らせる必要も、もうないでしょう。

と、求婚の申し出を受けたのです。
 
 
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           大国主命とは、賀茂建角身命。その妻になるから賀茂女(かもめ)という
 
この二人のユーモアたっぷりの微笑ましい歌の詠み合いを、まるで大国主命強要罪の証拠のように説明してきたんですから、これまで間違った解釈をしてきた先生方は直ちに訂正してください。
 
(続く)