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地名の一致は阿波忌部進出の痕跡か? ⑤茨城編

 

★ 那珂湊市(なかみなとし)とは、かつて茨城県県央地区にあった市。
  1994年11月1日に勝田市と合併し、ひたちなか市ひたちなかし)となり消滅した。
★ 那珂郡(なかぐん)は、茨城県の郡

 

(下記の那珂・那賀の地名は、古代、現代の地名がまざっています)



☆ 式内社 常陸那賀阿波山上神社

 

  茨城県東茨城郡城里町大字阿波山 (那珂川の西岸)

 

  御祭神 少彦名命

 

この神は、童子の姿で、手にはの穂を持って降臨したという。

 

各地の粟島神社、淡嶋神社(あわしまじんじゃ)の祭神は、少彦名命

 

少彦名命かかわる場所に、「阿波」「粟」「淡」と、「アワ」との関係が見て取れます。
阿波国は昔は「粟国」と表記されていました。
大国主命が、「阿波の長の国」の大王だったという説を補強する現実といえます。

 

少彦名命は、大己貴命大国主命)と協力し国造りに活躍されました。
医薬の知識も豊富で、伊予に続き、伊豆の温泉も開拓されています。
のちに渡り去ったとされる「常世国」というのが「常陸国」のことであるという説があります。

 

☆ 式内社 常陸国那賀郡 酒烈礒前薬師菩薩神社

 

  ひたちなか市磯崎町

 

  御祭神 少彦名命

 

☆ 式内社 常陸国那賀郡 石船神社

 

 

  御祭神 天鳥船命(忌部系)



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☆ 式内社 常陸久慈郡 靜神社 名神大

 

  茨城県那珂市静

 

  御祭神 建葉槌命  
  相殿神 手力雄命 高皇産霊命  思兼命

 

建葉槌命(タケハヅチノミコト)は別名、天羽雷命(アメノハヅチノミコト)。
天羽雷雄命・天羽槌雄神とも書きます。

 

靜神社のHP、靜神社を解説したサイト、その他どこを見ても、御祭神「建葉槌命」は、倭文(しづり、しどり)の祖で、織物・機織りの神、と書かれているだけです。
社名の「静」は、「倭文」からの転訛と考えられています。

 

常陸風土記久慈郡には、常陸において初めて機織りをした場所が当地の「静織の里」であると書かれています。
古代において、機織りの技術集団とは即、秦氏をさしますが、常陸では何でも中臣氏と関連づける悪癖があるようです。
風土記を含め、常陸のことを書いたHPを見ても、秦氏との関連は掴みきれていません。

 

倭文(シドリ)布は、古代、「志豆波多(シヅハタ)」または「阿衣(アヤ)」といったそうです。

 

「波多」は「秦」の別表記ですし、「阿衣」とはいかにも「阿波の衣」ではないですか?

 

あるHPには、~「シズハタ」の地名が古代秦氏の影響の強かった土地名だとしたら、常陸の静織の里も本来は秦氏に由来していたのかも知れません。~と書かれています。

答えは、『安房国忌部家系』に書かれています。
 
天羽雷雄命は、「天日鷲翔矢命の子、大麻比古神の兄弟」です。

 

秦氏の中の秦氏「阿波忌部」の直系なのですから、「阿衣」も「志豆波多」の名も当然で、茨城の地も古代阿波忌部が開拓したのですから、あまりにも自然な結論です。
みなさん、忌部のことを知らなすぎて、あれやこれや回り道している感じです。



天日鷲翔矢命は「阿波忌部の祖」、大麻比古神は阿波国一宮、式内名神大社大麻比古神社」の御祭神です。

 

大麻比古神社の御祭神は、大麻比古神」「猿田彦大神で、この大麻比古神とは、忌部の祖「天太玉命」とされていますが、実はそれも一説です。
猿田彦大神は阿波ではおなじみの神。
古事記では、邇邇芸尊が天孫降臨するときに、途中天の八街から道案内する国津神として登場します。猿田彦大神は阿波の国津神なのです。
猿田彦大神もまた、茨城県内の数多くの神社で祀られています。

 

建葉槌命は、もとは境内社「高房社」に祀られていた神で、それ以前は手力雄命主祭神であったそうです。



なんと、この「手力雄命」の子が、上記阿波忌部の祖「天日鷲翔矢命」。
手力雄命」と「建葉槌命」は、祖父と孫の関係ということになります。



古事記』に、天孫降臨のあと「次手力男神者坐佐那那縣也」、『先代旧事本紀』に「天手刀雄神批者座ニ佐那県一也」とあり、

 

 手力男神は佐那那縣(さなのあがた)に坐(いま)す~とあるとおり、
徳島県名東郡佐那河内村(古地名・佐那縣)にある「天岩戸別神社」の御祭神が「天手刀雄神」です。

 

 

どこをどう見ても、阿波との深いかかわりが分かります。

 

当社の近くには、「粟」「阿波山」の地名もあります。

 

 
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☆ 鷲子山上神社  栃木県那須郡那珂川町矢又・茨城県常陸大宮市鷲子 

 

  御祭神  天日鷲命 大己貴命 少彦名命



☆ 鷲神社 茨城県那珂鴻巣

 

  御祭神 天日鷲命

 

往昔、この地に樹高90丈(約270m)余の一大松があった。
この松に毎年一大巨鳥が西南の方向より口に一幣帛をくわへて飛来してとまる。
里人これを見て不思議とした。時に神人によりて垂示(教え示すこと)して「武尊神である」と。
慎重に三度占うも同じなので人々驚いて奉斎した。時に大同2年(807年)4月18日
  『茨城県神社誌』

 

西南の方向とは、阿波国のある四国のことでしょう。



古語拾遺』に、

 

天富命は更に肥沃な土地を求めて阿波の斎部を分けて東の国に率いて往き麻・穀を播き殖、 良い麻が生育した。
故にこの国を總国(フサノクニ)と言う。穀・木の生育したところは、 是を結城郡(ユフキノコオリ)と言う。
[古くは麻を總と言う。 今の上總・下總のに国がこれで有る。]
阿波の忌部が居るところを安房郡(アワノコオリ)[今の安房の国がこれで有る。]と言う。

 

とあるように、千葉、茨城には、阿波忌部開拓の地で、その痕跡も他県よりはっきりしています。
「那珂」の地名からいったん離れて、その他の神社を見てみます。

 

☆ 大桑神社  結城市小森

 

  「大桑神社の由来については、古代、東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波忌部が、
  養蚕・農業の神、稚産霊尊(わかむすびのみこと)を祭神として北方の大水河原に創建
  この辺り一帯を大桑郷と名付けたことに始まり~」
  「小森という地名は、阿波斎部の伝えた蚕種を守り、養蚕・織物が盛んであったことから、
  いつとはなしに、この辺りは蚕守(こもり)と称され~」(結城市教育委員会

 

  「阿波の忌部、結城に下向のとき、此所を御通りありしに大なる桑生して国民蚕をこふ(中略)
  世に蚕をかいはむるこ事、此所より起こる。故に自今日本国中にて結城種を用いて、
  他の国の種を不要の故是なり」(大桑神社由来書)

 

  「筑波山山麓が日本の蚕業・機業の中心となったのは忌部氏の活躍によるものである」『産業の神々』



☆ 阿波本宮・大杉神社 稲敷市阿波

 

  (地名の由来は不明。旧稲敷郡桜川村)読みは「アワ」ではなく「アバ」。
  御祭神 不明(「アンバさん」と呼ばれる神)

 

 ※さらに調査すると、当社の元社も阿波徳島の大杉神社であるという。
  「アンバさん」とは大杉そのものを指すらしい。

 

☆ 阿波神社  鹿島市神向町

 

  御祭神 猿田彦大神

 

☆ 鷲神社  古河市沼森

 

  御祭神 天日鷲命

 

☆ 鷲神社  坂東市(旧岩井市)馬立町

 

  御祭神 天日鷲命 配祀 経津主命

 

☆ 鷲神社  稲敷市鳩埼

 

☆ 鷲宮神社  稲敷郡河内町

 

  御祭神 天日鷲命 

 

☆ 鷲神社 (旧)新治郡新治村大畑
   
  御祭神 天日鷲命、作木綿者神(ユウツクリのカミ)

 

木綿(ゆう)を作るのも阿波忌部の主産業です。
安房国の神社では阿波から移住してきたのは「由布津(ユウツ)主命」となっています。
式内社「下立松原神社」は、由布津主命が祖神の天日鷲命を祀った神社です。

 

この由布津主命」とは、天日鷲命の孫(大麻比古神の子)なのです。

 

すなわち、上記式内社「靜神社」の御祭神、「建葉槌命」の甥に当たります。

 

忌部系の神社の神々が、架空の神ではなく実在した人物であることが、当地の伝承だけでなく人間関係からもありありと感じられます。
  
 

 

☆ 鷲神社 常総市水海道淵頭町  

 

  御祭神 天日鷲命日本武尊

 

☆ 鷲神社 取手市寺田



☆ 鷲神社 土浦市

 

  御祭神 天日鷲命 作木綿者神

 

☆ 脇鷹(そばたか)神社 稲敷郡桜川村飯出

 

  御祭神 天日鷲翔矢命

 

☆ 式内社 天志良波神社 陸太田市白羽町

 

  御祭神 天白羽命(天日鷲命の御子)



まだまだ、いっぱいあるようです。
今回は天日鷲命系の神社を中心に、少彦名命建葉槌命手力雄命猿田彦大神を通じて、それぞれの神の阿波との関係、茨城との繋がりを見ましたが、実はそれだけではないのです。
他の神については、またの機会に書きます。



※ 参考 ※

徳島出身、関東在住の森さんのHP。
参考にさせていただいています。
上記の神社や、阿波に係わる千葉県の神社の様子は、こちらをご覧ください。
このページの写真も、こちらから提供していただきました。

 




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