逮于人定、大地震。
挙国男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。
諸国郡官舍及百姓倉屋、寺塔、神社、破壌之類、不可勝数。
由是人民及六畜多死傷之。
時伊予湯泉没而不出。土左国田苑五十余万頃、没為海。古老曰、若是地動未曾有也。
是夕、有鳴声、如鼓聞于東方。
有人曰、伊豆嶋西北二面、自然増益三百余丈、更為一嶋。
則如鼓音者。神造是嶋響也。
土左国司言。大潮高騰。海水飄蕩。由是運調船多放失焉。

『日本書紀』天武天皇十三年(684)の白鳳地震は、南海トラフ三連動地震の記録であり、マグニチュードは8.25と推測されています。とすると、最大震度は6~7クラス、10~20m級の大津波も宮崎から伊豆半島にかけての広範囲に押し寄せたと考えられます。
その地震・津波被害の日本書紀による具体的記録が「伊予・土佐・伊豆」に限定されているのは何故でしょうか? 古代史の阿波説に鑑みれば、およそ二つの理由が考えられます。一つは前回紹介した岩利大閑説。もう一つが今回書く「神への畏怖」です。
前回、「一部の人は、この両地域の地震を起こした神の一致性を頭に描いたのです」と書きましたが、鋭い人は、直ちにその意味を理解したことと思います。
古代人は、天変地異・自然災害は疎か、旱魃や豪雨までも「神の意思」であると考えたのですが、たとえば、四国を見ても、大津波が寄せたのは太平洋側の南部であり、瀬戸内側では同様の被害が出ませんでした。津波発生のしくみを彼らは知りません。
どちらの神による、どのような理由で、被害の地域差が生じたのか?
という考え方をするのです。
東を見れば、大津波は伊豆半島まで押し寄せました。そこに祀られる神は、伊豆国一宮「三嶋大明神」でした。
西の九州は、『記紀』に、倭健命やその第二子・仲哀天皇による熊襲(九州南部)征伐の様子が語られますが、『続日本紀』も、養老4年(720)の隼人反乱を伝え、この頃(684)は、まだ朝廷の一部(完全な支配下)ではありませんでした。
その手前、土佐国を襲った津波は豊予海峡を北上しますが、佐田岬半島から北で急激に衰えます。そこには、伊予国一宮「三嶋大明神」大山積神が鎮座します。
この高縄半島に日本最古の温泉「道後温泉」がありますが、『紀』の「時伊予湯泉没而不出」は当然この湯のことです。
これを、当時の人々が、果たして偶然と考えるか否か? です。
古代史の見方には、歴史学や考古学等有力な手段がありますが、「宗教の視点が疎か」であると、常々私が言うのはまさにこういった点なのです。
このシリーズで見てきたように、伊豆諸島を造成した「三島神」の本后は阿波神なりと『続日本後紀』に記され、平田篤胤は、その本后を「阿波命神と申す。また阿羽羽命神といい、また阿波神といい、また天津羽羽神という」と説きます。
土佐国二宮の御祭神は、一宮土佐大神の后神「天津羽羽神」です。
白鳳地震の記録に名の挙がった、この「伊予、土佐、伊豆」の地名。
これが偶然なわけない、ことくらいは気づいていただかなければ困ります。
伊予の三島神と土佐の阿波神。伊豆の三島神と神津島の阿波神。
この神々の鎮座地の間の海にだけ押し寄せた高津波。
当時の朝廷や人々がその意味を全力で探るのは必然中の必然です。
人知を駆使し、卜占・託宣、あらゆる手段を使い、地震と津波の意味・神の意志を知ろうとしたでしょう。
①「三島・阿波」神に東西を挟まれる地域だから津波が押し寄せたのか?【神の怒り】
②「三島・阿波」神が東西に鎮座した故、それより先には津波が来なかったのか?【神の守り】
さらに、『紀』に土佐国・伊予国の被害を記された「四国」に目を向けると、当然、津波は室戸岬から阿波国の海岸部に向かって北上します。そして瀬戸内海の玄関口、古代の板野郡(現鳴門市を含む)で、また急速に衰えます。
そこに鎮座するのは、阿波国一宮・大麻比古神社。御祭神・猿田彦神は、三輪氏の祖神・事代主命の別名です。
津波の押し寄せた範囲の海の中で、三島神に東西を挟まれた瀬戸内海だけは波の高さが弱まりました。三島の神に特別な力を確信するのは必然でしょう。大山祇神に至っては別名を「和多志大神」とも伝わる海神(ワタツミ)なのです。
鳥の一族 19 - ⑧ に書いたように、国史上初めて神階を与えられた神社は、
天平神護二年(766)「伊予国神野郡伊曽乃神、越智郡大山積神、並授従四位下、久米郡伊予神、野間郡野間神、並授従五位下」です。
伊曽乃神と大山積神(三島明神)は、いきなり従四位下を授かるという異例の扱いです。(その後、ともに正一位名神大社)
この御祭神・伊曽乃神とは「天照大神の荒魂」です。
を、ご覧ください。
天津羽羽命と同神である可能性が極めて高い波寶神。
この波寶神社御祭神は丹生都比売命という説が有力です。
三韓征伐から帰還された神功皇后が、『播磨国風土記』に云う爾保都比売命(丹生都比売命)を、紀伊国・大和国に祀る地を求められました。
波寶神社はその一社(現在の御祭神の一柱が神功皇后)で、この爾保都比売命は、その記述の一致性から『日本書紀』における神功皇后に神託を下された神であったことが分かります。
そしてその神々は、審神者による問いかけに対し、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神荒魂)、事代主神、住吉三神
であることを告白しました。
つまり、伊曽乃神とは、
天津羽羽命=波寶神=丹生都比売命=天照大神荒魂
であり、大山積神(三島明神)とともに、国史上、初めて(高位の)神階を与えられた理由が、白鳳地震にリンクしてくるのです。

白鳳地震で大きな被害を受けた四国。その中でも特に被害が大きかったのは地震と津波のダブルパンチを受けた土佐国でした。
日本には明確な根拠もないまま日本最古をを謳う観光神社が数多ありますが、よくよく見れば最古級の有名社でも八世紀に創建されたものが多いことが分かります。
土佐神社は『日本書紀』天武天皇四年(675)三月二日条に「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」、朱鳥元年(686)八月一三日条に「秦忌寸石勝を遣して、幣を土左大神に奉る」とみえる本物の最古級神社です。その土佐大神でさえ、延喜式では「都佐坐神社」であり、御祭神はどこからか土佐に遷坐したことが名乗られています。
この土佐大神は、大国主命の子「味鋤高彦根命」であり、その弟「事代主命」は三嶋神であり、それぞれの后が共に「天津羽羽命」である、と伝承されていることになります。
さらに「鳥の一族」に書いたように、二神の父である大国主命とは三嶋溝杭耳命ですから、彼らは大山祇神三嶋大明神に何らかの形で繋がる一族だということがわかります。
三嶋溝杭耳命の息子・事代主命が三島明神なのですから、その兄・味鋤高彦根命もまた三島神であった可能性があります。
しかし、そのような伝承はないため、もう一つの可能性が高まります。
それは、二人の父・大国主命(賀茂建角身命・三嶋溝杭耳命)から、「鴨」氏を味鋤高彦根命が継ぎ、「三島」氏を事代主命が継いだ、という氏族継承です。
そして、ある理由から、事代主命はまた、兄の鴨氏をも引き継ぐことになりました。
鴨(賀茂)と、三島(三嶋)に接点などあるのか?
忘れていませんか?
伊豆の三嶋神は、伊豆下賀茂より賀茂族の
姫・伊古奈比咩命を后に迎えた、と「伊古奈比咩神社縁起」にあります。
うち、名神大社は五社。
伊古奈比咩命神社
物忌奈命神社(阿波神の子)
名神大四社が鎮座するのは、