空と風

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阿波の方言 カド

 
かど と聞いて意味を問われれば、ほとんどの人は、角(コーナー)のことだと答えるのではないだろうか?
 

かど 【角】 Yahoo!辞書  『大辞泉
 
1 物のはしのとがって突き出た部分。「柱の―」「机の―」
 
2 物の隅。「ページの―を折る」
 
3 道の曲がり目の所。「―の銀行」
 
4 人の性格・言動で、一癖あって、他人との付き合いが滑らかにいかないようなところ。圭角(けいかく)。  「言うことに―がある」
 
5 刀剣の峰に沿って小高くなっている部分。しのぎ。一説に、切っ先。
 
 
では、街角 とは何なのか?
 
まち‐かど 【街角/町角】
 
1 町の通りの曲がりかど。「―の交番」
 
2 街頭。「―の風景」
 
「街の一角」というような意味のようである。
 
では、この諺はどうだろうか?
 
 笑う門には福来たる
 
門 を かど と、読み、この場合は 家 を表すのである。
 
 
 

阿波弁では、意味が違う。
 
 かど
 
   戸外   庭
 
 
イメージ 1
 
「おはよう徳島」仙波教授の阿波弁講座の解説図
 
 
 (子どもに向かって)
 いえんなかひこずりさがさんとかどであそんでこい
 
 
 
このカドの使い方は、ちょっと検索したところ、但馬弁 京都弁 讃岐弁などでも同じようだ。
つまり、日本の故国の範囲に分散していると思われる。
古事記では、どのように使われているだろうか。
 
 神武天皇の祖父に当たる、火遠理命(山幸彦・やまさちひこ、として有名)が、海の神の娘、豊玉毘売と出会うシーンである。
 
この火遠理命は、虚空津日高(そらつひこ)とも呼ばれるが、この ソラつひこ を、通説では、皇位を継ぐ尊い御子 の意味だとしている。
 
馬鹿馬鹿しい。
このソラとは、阿波国ソラと呼ばれている地域の王だったという意味である。
后のトヨタマヒメをはじめ、この物語に登場する人物たちが、日本のどこの式内社・古社で祀られているか、ちょっと調べれば分かることである。
 
 
其綿津見突之宮者也。
到二其突御門一隅、傍之井上、有二湯津香木。
故、坐二其木上一考、其恭突之女、見相議隅也。【訓香木云加都良】
故、隨辻少行、備如二其言。來登二其香木一坐。

其(そ)れ綿津見神の宮ぞ。
其の神の御門(みかど)に到りまさば、傍(かたはら)の井の上(へ)に、湯津香木(ゆつかつら)有らむ。
故、其の木の上に坐(いま)さば、其の海神の女(むすめ)、見て相議(あひはか)らむぞ」と、いふ。
故、教へし随(まにま)に少し行でまししに、つぶさに其の言の如し。其の香木に登りて坐す。
 

爾、恭突之女豐玉豐賣之從婢、持二玉器、將酌水之時、於井有光。
仰見隅、有二麗壯夫。【訓壯夫云蘚登古。下效此。】以二│爲甚異奇。
爾、火蘚理命、見二其婢、乞欲得水。婢乃酌水、入二玉器一貢荵。
爾、不飲水、解二御頸之獗、含口、唾二│入其玉器。
於是、其獗著器、婢不得離獗。
故、獗任著以荵二豐玉豐賣命。
爾、見二其獗一問婢曰、若人有二門外一哉。
答曰、有人坐二我井上香木之上。甚麗壯夫也。
環二我王而甚貴。
故、其人、乞水故、奉水隅、不飲水、唾二│入此獗。
是不得離故、任入將來而獻。
爾、豐玉豐賣命、思奇出見、乃見感目合而、白二其父一曰、吾門有二麗人。
爾、恭突、自出見云、此人隅、天津日高之御子、癪捏津日高矣。
 
爾に、海神の女豊玉豐売(とよたまひめ)の従婢(まかだち)、玉器(たまもひ)を持ちて、水を酌まむとする時に、井に光(かげ)あり。
 
仰ぎ見れば、麗(うるは)しき壮夫(おとこ)あり。いたく異奇(あや)しと以為(おも)ふ。
爾に、火遠理命(ほをりのみこと)、其の婢を見、「水を得むと欲(おも)ふ」と乞ひたまふ。
婢、水を酌み、玉器に入れて貢進(たてまつ)る。
 
爾れども、水を飲まさず、御頸(みくび)の獗(たま)を解き、口に含み、其の玉器に唾(つは)き入れたまふ。
ここに、其の獗、器に着きて、婢、獗をえ離たず。
故、獗を着けるまにまにして、豊玉豐売命に進(たてまつ)る。
 
爾、其の獗を見、婢に問ひて曰く、「もし人、門(かど)の外(と)にありや。」と問ふ。
 
答へ曰さく、「人あり。我が井の上の香木の上に坐す。いたく麗しき壮夫なり。
我が王(きみ)にも益りていたく貴(たふと)し。
 
故、其の人、水を乞はしつ。故、水を奉れば、水をば飲まさず、此の獗を唾き入れつ。
是え離らず。故、入れしまにまに将ち来て献る」と、まをす。
 
爾に、豊玉豐売命、奇しと思ひ、出で見るすなわち、見感(みめ)で、目合(めあはせ)して、其の父に白して曰さく、 「吾が門(かど)に麗しき人有り」 と、まをす。
 
爾に、海神、自ら出で見、云はく、「此の人は、天津日高(あまつひこ)の御子(みこ)、虚空津日高(そらつひこ)ぞ」といふ。
 
 
戸外の井戸、その横にカツラの木があり、虚空津日高がその木の上にいることを、カドにいる と表現している。
 
つまり、この場合のカドは、たんに 戸外、庭 というような意味である。
 
 
 
 
 
天皇のことを表す ミカド は、ヘブライ語で表現すると、ミ・カドで、カド族の出身 という意味になる。
イスラエルの3種の神器は、マナの壺、アロンの杖、十戒の石板で、そのマナの壺を継承したのが、カド族であった。
 
聖書には、ガド(カド)族の特徴として、多くの家畜を所有していると書いてある。
民族の移動にともない遊牧民ともなった、カドの名は、アウトドアの意味を持つようになったのかもしれない。
 
マナ とは、日本語で、まな板 と呼ぶように、食べ物のことである。
日本神話における食物神は、大宜都比売であり、古事記には、阿波国の別名であると明記されている。