まがる と聞いて意味を問われれば、ほとんどの人は、曲がる(カーヴ・ターン) のことだと答えるのではないだろうか?
(あれ? ワンパターン化してきたぞ・・)
1 まっすぐなものが弓形・くの字形などになる。「雪の重みで竹が―・る」「背中が―・る」
2 道の方向が変わる。「土手の手前で道が―・っている」
3 進行する向きを変える。「次の角を左に―・る」
4 正しい位置や方向からそれる。傾く。ゆがむ。「ネクタイが―・っている」
5 (「まがった」「まがっている」の形で)性質や考えなどが正しくない。すなおでない。「心の―・っている人」「―・ったことはきらいだ」
6 衰える。「身代が―・る」
阿波弁では、意味が違う。
まがる
まがる
邪魔 妨害
お隣り、香川でも同じ意味だという。
しかし、愛媛では、「まがる」は「触る(触れる)」になる。
しかし、愛媛では、「まがる」は「触る(触れる)」になる。
※例
おまえはまがるけんむこいとけ。 (お前は邪魔だから向こうへ行ってろ)
道の上の石が、まがるきに除ける。 『阿波言葉の辞典』
阿波人は、進行を妨げられたときなどにも「そこ禍(まが)る」という。『阿波方言の語源辞典』
この阿波弁のマガルに一番近いのは、マガゴトという言葉である。
まが‐ごと 【禍事/禍言】
凶事。災難。また、不吉な言葉。
禍禍(まがまが)しい、という言葉もある。
御門祭の祝詞には、次のようにある。
毎年 6 月・一二月の大殿祭(おおとのほがい)の際に、宮中の門の神をまつり、邪神のはいって来るのを払いのけることを祈る祭り。
櫛磐窓命(くしいはまどのみこと)・豐磐窓命(とよいはまどのみこと)と御名(みな)を申(まを)す事は
四方(よも)の内外(うちと)の御門(みかど)に 湯津(ゆつ)磐村(いはむら)の如(ごと)く塞(ふさが)り坐(ま)して
四方(よも)四角(よすみ)より疎(うと)び荒(あら)び来(こ)む天能麻我都比(あめのまがつひ)と云(い)ふ神の
言はむ 悪事 (まがこと) に 相麻自許利(あひまじこり) 相口会(あひくちあ)へ賜(たま)ふ事尤(ことな)く
上より往(ゆ)かば上を護(まも)り 下より往かば下を護り 待ち防(ふせ)ぎ掃(はら)ひ却(や)り
言ひ排(そ)け坐(ま)して 朝(あした)には門(かど)を開き 夕(ゆふべ)には門(かど)を閉(た)てて
参入(まゐい)り罷(まかり)出(いづ)る人の名を問ひ知(しろ)しめし 咎過在(とがあやまちあ)らむをば
神直備(かむなほび)・大直備(おほなおび)に見直し聞き直し坐(ま)して
平(たひら)けく安(やすら)けく仕(つか)へ奉(まつ)らしめ賜(たま)ふが故(ゆゑ)に、
豐磐窓命・櫛磐窓命と 御名(みな)を稱辭竟(たたへごとを)へ奉(まつ)らくと白(まを)す
さて、古事記の阿波弁説である。
その矢は高天原まで飛んで行った。
上記、「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」の部分は、原文にこうある。
故、高木神、取其矢見者、血箸其矢羽。
於是高木神、告之「此矢者、所賜天若日子之矢」即示諸神等詔者、
取其矢自其矢穴衝返下者、中天若日子寢朝床之高胸坂、以死。
故、高木神、其の矢を取らして見たまへば、血、其の矢の羽に著きたる。
ここに、高木神、「此の矢は、天若日子に賜ひたる矢なり」と、のりたまひ、即ち諸神等に示し、詔りたまひしは、
或し邪き心にてあらば、天若日子に、此の矢よ麻賀礼。 【この三字、音を以ふ。】」
と云りたまひて、其の矢を取らして、其の矢の焜より衝き返し下したまへば、胡床に寝たる天若日子の高胸坂に中りて死ぬ。
この、麻賀礼 まがれ は、阿波弁以外で説明がつかない。
上のように、矢が中(あた)る ことを まがる と表現しているからである。
馬鹿馬鹿しいことである。
高木神が神通力を込めて投げ返した矢が、誘導ミサイルにように途中で向きを変えながら飛んでいくものか。
目標に向かってまっすぐ飛んでいくのである。
目標に向かってまっすぐ飛んでいくのである。
このシーンでの マガレは、
という意味なのである。