今から約10年前、徳島へ帰郷することを決意した当時、私は、すっかり阿波弁を喪失していた。
上京した折は、徳島の方言、とくにイントネーションを消すことに苦労し、誰と話しても
「ご出身はどちらですか?」
と訊かれる始末であった。
しかし、そのうち標準語にも慣れ、いつしか、誰と話しても、
「のらねこさんは、生まれも東京の方だとばかり思っていました」
と言われるようになっていた。
その一方で、20年の間に、生まれ故郷の言葉を話せなくなっていたのである。
そこで、2000年から、Yahoo!掲示板の「徳島」カテゴリーに参加して、そこで阿波弁を思い出そうと考えた。
ちょうどそのころ、タイミングよく「衝撃!徳島の言葉」というトピがあったので、これ幸いと読ませてもらったり、思い出した言葉を書き込んだりした。
ちょうどそのころ、タイミングよく「衝撃!徳島の言葉」というトピがあったので、これ幸いと読ませてもらったり、思い出した言葉を書き込んだりした。
なまじ、言葉を忘れていたせいで、阿波弁の面白さと不思議がよく見えるようだった。
そこに書いていて気づいたことが、
これって、方言というより日本の古い言葉や言い回しだよなあ。
ということだった。
古文や古い時代の物語のセリフに出てくるような言葉がいっぱいあったからだ。
もちろん、その時点では「不思議だなあ」と思っていただけだった。
それは、誰であろうと、現代の日本史 を勉強した人間には、同じ感想しかいだかせないだろう。
どういう事かというと、たとえば、
先日、タイミングよく、書店で『阿波方言の語源辞典』という本を見つけ、購入したのだが、その本の「はじめに」にこう書かれてある。
これは阿波が中央と古くから、
文化や交流で密接な関係であった事を示している。
これらは近隣の府県でも広く使われていたものであるが、
時代の流れの中で廃たれ、
阿波に残っていたものが阿波言葉のようにみられている
ものが多い。
まさに、私が思い、書いていたとおりの感想が書かれている。
確証があるわけではなく、こう考えなければ、説明がつかないからである。
上の文を読むと、阿波と畿内の言葉は、ほとんど同じように見えるが、地元の人間ならわかるようにそんなことはない。
似て非なるものであって、感覚的には「兄弟言葉」かな?というくらいのものである。
それでいて、上の解説のように
阿波にだけ、古語が 方言として 色濃く残っているのは、何故か?
畿内でさえ使わない古語が、阿波にだけ残っていて、
方言だと思われている
のは、何故か?
常識的には説明がつかない。
答えは極めて簡単で、こちらが ルーツ だからなのである。
シンプルに考えれば、すぐに出る結論なのである。
著者の芝原富士夫先生は、20数年の研究の上にこの本を上梓された。
この本の素晴らしいところは、他の本やサイトのように、方言とその意味を解説するにとどまらず、その語源を研究し付記しているところである。
この本の素晴らしいところは、他の本やサイトのように、方言とその意味を解説するにとどまらず、その語源を研究し付記しているところである。
今後も、時折引用して紹介させていただきたいと思う。
なお、この本は3000円もし、「高け~」と思いながら買ったのであるが、帰宅して検索すると、同出版社(教育出版センター)から半額で電子書籍としても発売されていた。
阿波の古代史や、各地の伝承・地名・神社・古墳などを勉強すれば、古代の阿波人が各地に散らばったことが浮かび上がるのであり、その本隊は畿内へ上陸した。
当然、彼らの言葉を持って 移民したのである。
その逆の人の流れはない。