空と風

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阿波の方言 ワ

 
「わ」 が、方言だと言っても、徳島県人でも、は? と思うかもしれない。
「わぁ」 と言えば、分かるだろうか?
 
 
  わ 
 
  私 自分

 
わぁ というのは、「発音」の問題で、本来は「わ」、一音なのである。
阿波弁の特徴の一つに、一音節の名詞の長音化 がある。

たとえば、
 
 湯 ゆー沸かす  絵 えー書く  胃 いーが痛い  
 
 木 きー植える  毛 けーが生える  子 こーが生まれる 
 
 背 せーが伸びる  目 めーが痒い  戸 とー閉める
 
 歯 はー磨く    手 てー出す
 
例を探せば、いくらでもある。

 
 
わ(わぁ)の「自分」は、1人称でもあり、2人称でもある。
現在の関西弁でも、「自分」を2人称で使うのと全く同じである。

この わ から発生した1人称が、
 
 わし  わい  われ  わが  わて  わたし  わらわ
 
などである。

自分のことを「わし」という地方は西日本に多い。
私も高校時代までは「わし」であった。
徳島・香川では「わし」をよく聞くが「わい」という人も多い。
 
「われ」は、関西で、
 
  なにさらしとんじゃ、われー!
 
と、同じく1人称の2人称使いされる。
 
標準語としても、「われらがタイガース」というふうに使われている。
 
「わが」も「我が日本」などと使われるが、徳島では今も普通に、1人称あるいは2人称として使っている。

  買い物いてくるけん、車貸してだ。
 
  わが(あなた)の車で行かんかえ。 
 
 
  また新しいカメラこうたんえ?
 
  わが(私)の金つこおて何が悪いんな。 
 

「わー」も、ほぼ同じ使い方をする。 2人称として使うことの多い1人称である。
 
 わーの◯◯ = お前の◯◯  わーら = お前ら
 
「わが」の「が」は、「我らが」の「が」と同じ、助詞の「の」と同義であり、 
 
 わが母校  われらが母校
 
つまり、本来、「わ」一音で「自分」を表すのだ、ということがわかる。
 
 
すなわち、「我れ」「我が」 の語源をたどっても、「わ」だけで「自分」を表す言葉を持つ地方 に行き当たるのである。
 
しかも関西弁の特徴として、時に気持ち悪がられる、1人称の2人称使い の元祖でもあった。
 
 
ちなみに、昔、「イの国」の人々(おそらく庶民レベル)は、自分のことを「ワ」と言っていたのである。
イ国と交易を持っていた中国人特使は、本国への報告書に、中国読みで「イ」とも「ワ」とも発音する 「倭」の字を使い、
 
 「倭(い)国」 「倭(わ)人」 と書いた。
 
倭国の国民」であるところの「倭人」という意味ではない。
国民国家の概念は、フランス革命以後、はじめて生まれたのである。

 

 
 
※追記 (ぐーたら先生提供資料による)
 
日本紀私記』弘仁私記
 
日本書紀者 日本國、自大唐東去万餘里、日出東方、昇於扶桑。故云日本。古者謂之倭國。伹倭意未詳。或曰、取稱我之音、漢人所名之字也。
 
それ日本書紀は、日本国、大唐より東に去ること一万余里なり。日、東方より出るに、扶桑を昇る。故に日本(ひのもと)と云う。古くはこれを倭国(ワコク)という。ただ「倭(ワ)」の意味は未詳。あるひと曰く、我(わ)という音を取り、漢人が名づけたる字なりと。
 
 
釈日本紀』巻第一開題
 日本國 倭國
 
問 唐國謂我國爲倭奴国、其義如何?
 
答 師説、此國之昔到彼國、唐人問云、汝國之名稱如何?
 自指東方答云、和加(奴)國耶云々。和奴猶言我國。
 自其後謂之和奴國。 或書曰、筑紫之人隋代到彼國、稱此事。
 
1300年前当時、すでに日本では、古代日本を中国側で倭国と称した理由が正確にはわからなくなっていた。
伝わるところによると、大昔(少なくとも後漢書の時代)、彼の地へ渡った原日本人が“当時の”中国人に国名を訊かれ、
 
 和加(奴)國のことを訊いているのか?
 
と答えたことを国名と勘違いされた、としている。
 
 
※「答」が“唐人”と書いているのは“唐の時代の漢人”という意味ではない。現代日本人が、古代から中国大陸に続く様々な国家の様々な人種を“中国人”と総称(正確には間違い)しているのと同じである。