空と風

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天日鷲命とは、何者なのか?

天日鷲命 (あめのひわしのみこと)
 
 
別名 天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと) 麻植神(おえのかみ) 
天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)    天日別命 (あめのひわけのみこと) 
 
 阿波忌部の祖
 伊勢/伊賀国造の祖

「天日鷲」「天金鵄」とあるように、「天」の、「日」「金」(光り輝く)、「鷲」「鵄」(猛禽類)、という組み合わせが名の由来となっています。
 
ちなみに、
 
※ 金鵄(きんし)
 
日本神話の霊鳥。神武天皇が大和の実力者である長髄彦と戦って勝てなかったとき、金色の鵄(とび)が天皇の弓弭(ゆはず)に止まって雷(いかずち)のように輝いたため、賊は眩惑されて戦意を失い、天皇は大和を平定しえたと語る。
金鵄は皇室の守護霊であり、これが弓に憑依(ひょうい)して建国の業が果たされたのである。

このように、辞書でさえ「倭」と「大和」を同じとみなし、混同するのが、間違った常識なのですが・・・。
 
天日鷲命の別名である、「天金鵄」と、この神武天皇を救った「金鵄」は関係があるのでしょうか?
天日鷲命知名度が一般的に低いのは、古事記に登場しない神だからだと思われますが、この金鵄が天日鷲命のことだったとしたらどうでしょうか?
 
平田篤胤も、「この時、弓の弭に留まりし金色の霊鵄(れいし)は、此の神(天日鷲命)の化(な)りし鳥ならん」といっています。
 
 
 
安房斎部系図』には、「天背男命(天手刀雄神)の后神が八倉比売神で、その子が天日鷲翔矢命」との記述があります。
 

また、『阿波国風土記編輯雜纂』の「倭大國玉神大國敷神社」の項には、
 
 天津國玉神ノ御子 天日鷲命ハ 即日向皇子ニテ 是天石門別神 其御霊ヲ倭大國玉神トイフ
 天石門別神 櫛磐竃神ノ后神ヲ 天石門別八倉姫トイフ 
 次妃豊玉姫ハ 椎根津彦ノ祖ナリ 
 天石門別ノ子ニ非サル事ハ別ニ記ス
 其御子 御間都比古 即大若子命 一名大幡主命(此ヲ垂仁天皇ノ時ノ人ト為ルハ別ニ故有)
 郡名ニ因テ考ニ大國敷神ハ御間津比古命ナルベシ
 
と記されています。

安房斎部系図』では、天手刀雄神と八倉比売神の御子が、天日鷲命
『続・阿波国風土記』では、その天日鷲命が、実は天手刀雄神であり、八倉比売は妃神。との違いがあります。
 

それだけならともかく、いろいろ驚くべきことが書かれています。
最初の一行だけでも、「天日鷲命ハ 即日向皇子」とありますが、一般的に「日向皇子」とは「神武天皇」のことなのです。
天日鷲命神武天皇天石門別神=櫛磐竃神で、その霊神が倭大國玉神だというのです。
現時点では、これは一説でしかありませんが、その説に従ってもう少し見てみましょう。

 
 
神武天皇の本名は「伊波礼琵古命」(いわれひこのみこと)であり、倭国を制したことにより「神倭」(かむやまと)の称号がつき、「神倭伊波礼琵古命」となりました。
倭国」の「大國玉神」とされるには必然性があります。
ただし、そういった推測からの一説にすぎない可能性はあります。

その父と記される、「天津國玉神」とは、古事記において、高天原から葦原中國大国主命のもとへ国譲り交渉に行かせた天若日子(あめのわかひこ)の父の名として登場します。
 
 
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徳島市渋野町にある経塚古墳は、天若日子の神陵と云われる

 
その正体は不明ですが、高天原の「國玉(国魂)」神なのですから、相当の大物であることは間違いありません。
国魂・国霊(くにたま)とは、神道の観念の一つで、国や国土そのものを神格化したものです。
大国主命のことを指す葦原中國の「大国魂神」、別名である「宇都志国玉神」に対比させているとも考えられます。
こう考えると、古事記高天原の記述から考えれば、高御産巣日神ではないか?とも考えます。
 
 
 
古事記によれば、神武天皇の妃は、「阿多の小橋の君が妹、阿比良比売」、次に大后として求めたのが、大物主神の娘「伊須気余理比売」です。
板野郡東中富(現在は藍住町徳命に移遷)には、式外の大社『日本三代実録貞観14年(872)阿波国正六位上伊比良咩神と記される「伊比良咩神社」が在り、阿比良比売が祀られています。
 

では、天石門別八倉比賣神社の御祭神、八倉比賣とは、本来、伊須気余理比売のことだったのでしょうか?
であれば、真の御祭神は、神武天皇と大后ということになります。
 
しかもその正体が、天日鷲命で「倭」国の「國玉」神となったという。
日本唯一の式内社、「倭大國玉神大國敷神社」も、阿波の古社です。
 
倭大國玉神大國敷神社の御祭神(二座)もはっきりしたことは分からないのです。
「倭大國玉神」と「大國敷神」といわれるが、その正体がわからない。
大國玉神とあるをもって「大国主命」ともいわれるが、大国主命が「倭」の「國玉神」であるという確証はないのです。
 
 
 次妃豊玉姫ハ 椎根津彦ノ祖(おや)ナリ
 
豊玉毘売は、古事記では、神武天皇の祖母です。
これも日本唯一、阿波の式内社、「天岩門別豊玉比売神社」「和多津美豊玉比売神社」で祀られています。
 
しかし、『続・阿波国風土記』によれば、豊玉姫は「次妃」だというのです。そして、その子が別の父親を持つ「椎根津彦」(珍彦)だと記します。
  
珍彦(うずひこ)は、神武天皇東征の際、速吸之門(はやすいなと)(=鳴門)で自軍に引き入れたのですが、そのとき珍彦に声をかけたのは、『先代旧事本紀』(国造本紀)では、天日鷲命だと記します。
神武天皇と、声をかけたとされる天日鷲命が実は同一人物で、義理の息子を呼び寄せた話ということになります。
 

あるいは、豊玉比売は二人いたのか? 同名異神ということが古伝にはあるのです。
「和多津美豊玉比売」と「天岩門別豊玉比売」は、別の姫だということです。
「和多津美豊玉比売」が神武天皇の祖母で、「天岩門別豊玉比売」が「天岩門別ノ神」たる神武天皇の「次妃」と考えられます。

 
豊玉比売の妹に玉依毘売がいます。古事記では、神武天皇の母です。
ところが有名な、もう一人別の玉依毘売がいます。
下鴨神社の御祭神です。
共に祀られるその父、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、神武天皇の東征で活躍した八咫烏の正体だという説もあります。
『紀』ではまた、長髄彦との戦いの場面で、八咫烏と混同されることの多い「金鵄」(金色のトビ)が活躍します。
この金鵄とは、上に書いたように、天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)こと、天日鷲命である可能性が高いのです。

はたして天日鷲命は、金鵄、八咫烏でもあったのか?
一人の人物の側面を別人格として書き記したものだったのか?
別人格として書かれたがために、近親者を当てはめる様々な仮説が生まれたのか?
 
 
神魂命 ー 孫 - 賀茂建角身命 ー 娘 ー 玉依毘売 - 息子 - 賀茂別雷命      『山城国風土記
 
綿津見大神 - 娘 - 豊玉比売 ー 妹 ー 玉依毘売   ー 息子 ー 神武天皇   『古事記

                                             
別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)と呼ばれる、阿遅鉏高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)は、大国主命須佐之男命の娘である多紀理毘売命との御子です。
 
阿遅鉏高日子根神は、『古事記』では、妹の下光比売(したてるひめ)の夫で、葦原中國平定の交渉に赴いたものの高天原に復命しなかったために死んでしまった天若日子の葬儀に訪れました。
しかし、阿遅鉏高日子根の容姿は天若日子と瓜二つだったため、その父の天津國玉神が、息子が生きていたものと勘違いして抱きつきます。

『続・阿波国風土記』では、この天津國玉神の御子が天日鷲命神武天皇)だと記します。
ならば、天若日子は兄弟ということになります。
 
山城国風土記』では、玉依毘売の子が賀茂別雷命で、一説には、阿遅鉏高日子根神と同神といわれます。
古事記』では、玉依毘売の子が神武天皇
 
血脈が違うために、二人の玉依毘売は同名異神といわれるのですが、仮に同じ神だとすれば、神武天皇と阿遅鉏高日子根神は同神、または兄弟ということになり、
『続・阿波国風土記』の記すように、天日鷲命神武天皇)と天若日子が兄弟なら、古事記が書くように、阿遅鉏高日子根神と天若日子の容姿が、親も見間違うほどに似ていたという話も当然なものになるのです。

この辺は各文献の神々・人物の系譜に関する記述や、それを解説、解読しようとした人々の混乱が混乱を呼び現代にいたる気がします。

このほか、天日鷲命は、各地の淡嶋神社で祀られる少名彦命と同神という説もあり、全てを受け入れるととんでもない神だったということになっていきます。
今後も、話の展開の中で、各説を紹介、考察していきたいと思います。

次回は、文献上の天日鷲命の特徴と、天日鷲命を祀る神社について書きます。