御祭神 天村雲命 伊志波夜比女(いしはやひめ)命 『徳島県神社誌』
全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する唯一の神社である。
伊志(自)波夜比賣は、
「 此伊良比咩は恐らくは即ち 伊自波夜比賣 ならんか 」
『 阿波志 』
『 阿波志 』
とあり、上記のように一説では建御名方命の孫で、天村雲命の妃 である。
『 寛保改神社帳 』には、「 東川田村 天村雲神伊自波夜比賣神 神主東川田村 早雲治郎 」とある。
建久9年(1198年)の棟札があり、
「 上棟天村雲命 伊自波夜比賣命 聖皇玉体安穏 」と記されている。
建久9年(1198年)の棟札があり、
「 上棟天村雲命 伊自波夜比賣命 聖皇玉体安穏 」と記されている。
( ※参考『 日本の建国と阿波忌部 』 )
天村雲命は、別名を「天五多底命(あめのいだてのみこと)」という。
射立の神。
射立の神。
「湯立」という地名が残っているが、これはこの地が元「 射立郷 」であった名残である。
素盞鳴命が、八岐大蛇を退治して手に入れた剣を、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という。
天村雲命の別称が、射立神 である。
何らかの関係があることは間違いないだろう。
『 先代旧事本紀 』では、饒速日命( にぎはやひのみこと )の孫が 天村雲命 で、
そのまた孫が、 天日鷲命 (阿波忌部氏の祖) とされる。
もちろん、饒速日尊とその一族も阿波にいたと考えられ、その痕跡はあちこちに残されている。
一部は、このブログでもすでに紹介した。
そのまた孫が、 天日鷲命 (阿波忌部氏の祖) とされる。
もちろん、饒速日尊とその一族も阿波にいたと考えられ、その痕跡はあちこちに残されている。
一部は、このブログでもすでに紹介した。
『 神宮雑例集 』でも、
と、記されている。
調べなければいけないこと、書かなければいけないことが、まだいっぱいある。
それら周辺情報は、今後「不思議の徳島」で。
それら周辺情報は、今後「不思議の徳島」で。