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式内社(天村雲神伊自波夜比賣神社)比定① 天村雲神社 吉野川市山川町

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日本一社 式内社 阿波國麻殖郡 天村雲神伊自波夜比賣神社二座(論社)
             天村雲(あめのむらくも)神社

鎮座地  徳島県吉野川市山川町村雲133

御祭神  天村雲命  伊志波夜比女(いしはやひめ)命 『徳島県神社誌』


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創祀年代不明。
社伝に「 往古忌部の氏人が創始した 」とある忌部神社の摂社。
( 「村雲家」は、忌部神社の神官家の一つ )

全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する唯一の神社である。


伊志(自)波夜比賣は、

建御名方命の孫にあたる出速雄命(いずはやおのみこと)の女であり、天村雲命の妃である 」
大日本史神衹志 』

信濃諏訪系に 建御名方命の御子 出速雄命の女に 出速姫(いずはやひめ)命 あるは、伊自波夜比賣(いじはやひめ)神に由あり 」
『 大日本地名辞書 』

天香語山命(あめのかごやまのみこと)異味穂屋姫命を妻とし一男を生む。孫子 天叢雲命なり。此命 阿俾良依姫(あいらいひめ)を妻とし、二男一女を生む 」
『 旧事紀 』

貞観14年 (872年)伊良比咩(いらひめ)に従五位下を授く 」
『 三代実録 』

「 此伊良比咩は恐らくは即ち 伊自波夜比賣 ならんか 」
『 阿波志 』

とあり、上記のように一説では建御名方命の孫で、天村雲命の妃 である。



『 寛保改神社帳 』には、「 東川田村 天村雲神伊自波夜比賣神 神主東川田村 早雲治郎 」とある。
建久9年(1198年)の棟札があり、
「 上棟天村雲命 伊自波夜比賣命 聖皇玉体安穏 」と記されている。

( ※参考『 日本の建国と阿波忌部 』 )



天村雲命は、別名を「天五多底命(あめのいだてのみこと)」という。
射立の神。

湯立」という地名が残っているが、これはこの地が元「 射立郷 」であった名残である。

射楯神 伊達神 因達神 (いだて・いたち)と呼ばれる神は、
素盞鳴(すさのを)命の御子である 五十猛(いそたける)命 の別称とされる。

素盞鳴命が、八岐大蛇を退治して手に入れた剣を、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という。

天村雲命の別称が、射立神 である。

何らかの関係があることは間違いないだろう。


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先代旧事本紀 』では、饒速日命( にぎはやひのみこと )の孫が 天村雲命 で、
そのまた孫が、 天日鷲命 (阿波忌部氏の祖) とされる。
もちろん、饒速日尊とその一族も阿波にいたと考えられ、その痕跡はあちこちに残されている。
一部は、このブログでもすでに紹介した。

また同書には、天牟良雲命(あめのむらくものみこと)は、度会神主(わたらいのかんぬし)等の祖、と書かれている。
度会神主とは、伊勢神宮外宮の神主である。

『 豊受皇太神御鎮座本紀 ( とようけこうたいじんごちんざほんき) 』 にも、
「 天村雲命 伊勢大神主上祖也、神皇産霊神六世の孫也 」とある。

外宮の御祭神は、豊受大御神 で、一般に 大宜都比売(おおげつひめ)と同神であるといわれる。
大宜都比売は、古事記 国産み神話において、阿波国の別名として記されている。


その 伊勢国 に関しては、『 先代旧事本紀 』「 国造本紀 」に、

伊勢国造。橿原の帝[神武天皇]の御世に、天降る 天牟久怒命(天村雲命)の孫 天日鷲命 を勅し賜いて国造に定む、即ち 伊賀伊勢国造 の祖。」

とあり、天村雲命の孫で阿波忌部の祖、天日鷲命が、伊賀伊勢国造の祖になったことがわかる。

『 神宮雑例集 』でも、

「 天牟羅雲命、国常立尊12世孫、度会遠祖など見ゆ。その孫天日別命(天日鷲命)は神武朝 伊勢国造 となれり 」

と、記されている。


さらに、籠神社の海部氏系図 『 勘注系図 』 によれば、倭宿禰命 の父が 天村雲命 となっている。
宿禰命とは、神武天皇を水先案内し、後に 倭国造の祖 となった 珍彦(うずひこ)のことである。


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饒速日命(一般に物部氏の祖と言われている)の直系でありながら、忌部の神。
素盞鳴命との関係。
丹後・伊勢・大和等 諸国との関係。


調べなければいけないこと、書かなければいけないことが、まだいっぱいある。
それら周辺情報は、今後「不思議の徳島」で。