空と風

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天岩戸別神社 名東郡佐那河内村

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天岩戸別(あまのいわとわけ)神社

鎮座地 徳島名東郡佐那河内村上字牛木屋15

御祭神 天手刀雄(あめのたぢからお)神  天照皇(あまてらすすめ)大神  豊受皇(とようけすめ)大神 

創立年代不詳


別名 三社皇大神宮。俗に、三社様、三所様と呼ばれる。

徳島県神社誌』記載の字名は、「牛木屋」
佐那河内村HPでは、「府能牛小屋」となっている。

本来は「大人(うし)木屋」であったはずだが、後世地名の意味を喪失した住民によって「牛」の字が当てられたようだ。
「天降」「天帯」が「雨降」に変わるなど、地名や神社名でよくあるパターンである。


東方に紀淡海峡を望む府能山の上に鎮座し、開運武運長久の神様として知られる。
江戸時代の享保(1716~35)の頃に不思議の霊験があり、藩主蜂須賀探珠院の進行深く、
代参を差し遺わし、金幣、幟、灯籠が奉納されている。

「不思議の霊験」とは何事か、『徳島県神社誌』にも村のHPにも書いていないため不明である。

『阿波志』に「天岩戸別祠 中辺村天領にあり鎮守と称す」とある。


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当社の主祭神は、古事記では天手力男神日本書紀では天手力雄神と表記される。
徳島県神社誌』にしては珍しく、解説の中で『先代旧事本紀』の「天手刀雄神批者座ニ佐那県一也」 という一文を紹介し、御祭神と当地の関連を示唆している。


『各県神社誌』は、神社本庁に属する「県神社庁」が発行している。
他県には、全国に広がる同じ系統の神社の本社とされる大社が複数存在する。
その政治的組織的関係を壊すようなことは、当然のこと書けないようである。

徳島の神社こそが元宮、というような情報が社伝や町村史にあっても一切書かれない。
逆に他県の神社から勧請したという情報は、それが一説であっても紹介されている。

そんな中、

天手力男神は佐那縣(さなのあがた)に坐(いま)す~

という記述を紹介できたのは、他県にも同じ名前の神社が存在するとはいえ、全国的には小規模の社数で大社も見当たらないからか?


天孫降臨のあと、天手刀雄神は佐那縣に住まわれている、と記されている。

佐那河内村の古地名が「佐那県」(さなのあがた)、「狭長村」(さながむら)なのである。

つまり、佐那河内村の近くに高天原があったと考えるのが自然である。

県(あがた)の固有名詞が「佐那」である。
佐那河内という現在の地名は「佐那」+「河内」で、河内(こうち)は徳島を中心に四国各地に点在する地名群の一つであり「高知」の語源でもある。
河内を(かわち)と訓み、現代人の感覚で根拠もなく関西地方に限定するから歴史を見誤ることになる。
すなわち、邇藝速日命が天下った河内之国というのも四国である。


伊勢に天手力男命を祭神とする式内佐那神社があり、この佐那縣が伊勢国のことであるという人がいる。
しかし、研究者によっては、その事実がありながら 「佐那縣の場所はいまだに不明」 などとも言っている。
伊勢国も阿波人が開拓した事実を無視しているようである。



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神社名の頭の「天岩戸別」は、天手刀雄神が「岩屋戸隠れ」の際、天照大神の手を引いた(古事記)、岩戸を引き開けた(日本書紀一書や古語拾遺)という故事にちなむという見方と「天石門別神」の名を冠したという見方ができる。

しかし、当社の御祭神は上記三柱の神々で、天石門別神の名は見当たらない。
そこで、天石門別神について少し調べてみる。

長崎県壱岐市の天手長男神社を解説したHPには、天手力雄神の別名は「天石戸別命櫛盤窓命、伊佐布魂神、明口名戸命、阿居太都命、天背男命、天岩戸別安国玉命、天嗣鉾命」であると書かれている。

これが正しければ、天手力雄神天石門別神 で、神社名の理由はあっけなく解明する。

そこで、もう少し踏み込んで調べてみる。

天石門別神は、天照大神が隠れた天岩戸が神格化した神とされている。
別名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)豊石窓神(とよいわまどのかみ)のという。
御門の神で、古来より天皇の宮の四方の門に祀られていた神である。
「忌部の四至石」を連想させる。


天太玉命(忌部の祖)の御子に当たるという説と天思兼神の御子という説がある。

さらに『安房斎部系図』には、「天背男命(天手刀雄神)の后神が八倉比売神で、その子が天日鷲翔矢命(阿波忌部の祖)」とある。



阿波の神社名の頭には「天石門別」と冠した社が複数あるため、個別に検証する必要があるが、その中の一社に有名な「天石門別八倉比売神」がある。
御祭神の八倉比売命とは、天照大神の別名である。

ちなみに、この神社の一の鳥居をくぐってすぐのところに、摂社「箭執神社」があり、御祭神が 櫛石窓神 豊石窓神 である。



これらを総合すると

天太玉命」または「天思兼神」の子が「天手刀雄神」で、その妻が「天照大神」。そしてその子が「天日鷲翔矢命」ということなる。

ただし、『安房斎部系図』によれば、天太玉命の妻「天比理刀咩命」の兄弟が天日鷲命であり、太玉命と日鷲命は義理の兄弟となっている。



さらに古事記文中では、邇邇芸命天孫降臨の際、三種の神器に、常世思金神 天力男神 天石門別神 を添えた、と記され、天力男神天石門別神は別神の扱いである。

神話時代の神々の系譜は、文献によって微妙に違うことがあるため、総合的に見なければならない。
御神名の別名にしても仮説の域を出ないものがある。



それでも当社は、皇祖と忌部と阿波の関係の深さが充分うかがい知れる神社と言える。
場所が分かりづらいが、道順その他の情報は「不思議の徳島」で説明する。