空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

男の顔は履歴書 県民の顔は氏系図


以前、桜島さんに教えていただいた動画ですが、いろいろ面白い話をしています。
私には内容にコメントする能力がないので、人の「顔」について、今回はたわいもない話を書きます。


動画には、司会の女性の知人が四国の神社を周っているときに、祭りに集まってきた住人達の顔がみな外国人に見えた、^^; という話があります。
それに似た経験を私もしています。
剣山に向かうルートの一つを車で走っていたとき、あれは何月だったかなぁ?
季節外れで「え?」と思うような月に、神輿を担ぐ地元の集団に会いました。
小さな神輿を担ぐ数人と、その前後を歩く全部で20人くらいの人たちです。

彼らを見てどきっとしました。
忘れもしません。そのとき、その集団の全員が外国人に見えました。
かつ、全員が親族のように見えました。
つまり、みな同じ“系統”の見慣れない顔立ちだったのです。

テレビなどで旅のドキュメント番組などを見ていると、モンゴルや中国大陸の少数民族が紹介されることがあり、その顔立ちに「中国人やモンゴル人や朝鮮人とは明らかに違う。むしろ日本人に似ているが微妙にどこかが違う」というような感想を持つことがあります。
そんな感じですね。


それで「山間部の狭い空間に作られた村で、何十代何百年と生きてくれば全員混血して親戚になるだろうし、血統の濃さが保たれて外見的な特徴もはっきり残るんだろうな」と思ったことでした。
それはたとえば、天皇家の人々を見てもそうだし、沖縄県人を見てもそうです。
顔には一人一人個性があるのに、見ると(ああ、天皇家の顔だなあ)とか(どう見ても沖縄の人間だなぁ)とかいうことが分かる、というような現実があることに誰でも思い当たると思います。
つまり長い歴史の中で、意図的に血統を保とうとしたり、限定的な生活空間で子孫をつくっていけば、外見的特徴が生まれ、保たれていくのです。


しかし、上記の経験を四国の山の住人にだけ当てはめるのは間違いです。
ほとんどの日本人は気づいていないだけです。
日本人はルーツをたどれば多くの民族の集まりです。
それは顔を見るだけで分かるのです。

そのことに気付いたのは10数年前、まだ東京にいるころでした。
東京で働いていたころも、職場の同僚の中に外人っぽいやつらが複数いて、今思い出してもロシア人みたいなやつや、ヨーロッパ系の顔立ちのやつ、東南アジア系に見えるやつなど、いろいろでした。
それで仲間内でからかったり「お前先祖は外人だろ」とか言って笑ってましたが、もちろんそれはジョークで、それらの顔立ちは本当は「日本人の中の個性」なのだと思っていたのでした。
都会で働く人、多くの人間が職場にいる人なら、人の顔というものをよくよく見てみれば、ここに書いているようなことが実感として分かると思います。


あるとき、所用があって、東京でいわゆる下町と呼ばれる地区へ電車を使って行きました。
普段はほとんど車で移動するか、電車に乗っても山手線とか中央線とか京浜東北線とか、都心を抜けていろいろな地区の人が乗りあうような路線ばかりなのですが、その路線はそれらから乗り換えて、その地区の住民しか使わないようなローカル線でした。
車内はがらがらで、一車両に十数人程度の利用者がいましたが、そのとき何気なく車内を見回して、えっ、と思いました。
そのときも、そこにいる全員が外国人に見えたのです。
これには、かなりの衝撃を受けました。
こんなことがあるのか!?と、ひとりひとりをもう一度ゆっくりと見まわしたほどです。
同種の経験をした、これが一番最初の出来事でした。

それでその時気付いたのです。
先祖代々東京んに住んでいる江戸っ子と呼ばれる人たちも、一人一人見れば違う顔をしているが、実は共通する外見の特徴を持っているのだということに。
なぜ、そのことに気付かないかといえば、江戸っ子の場合はその外見的特徴も薄いし、「その中にいれば気付かない」という面と「混ざってしまえば気付かない」という面があるのです。

A県人の特徴の強い顔、B県人の特徴の強い顔、C県人の・・・、といろんな顔の人間が、日本中の田舎者を寄せ集めたかのような街である東京の都心部を歩いていれば、みな同じ「日本人」にしか見えないのです。
顔の違いは「個性の違い」としか認識されないのです。




別のある時は、こんなことがありました。
連休で徳島に帰省しようと羽田空港へ行きました。
いつもは香川の高松空港を利用するのですが、空席がなく、その日は徳島行きを予約しました。
羽田空港は巨大ですので入口のゲートがたくさんあります。
ゲートを通過する時点では、日本中へ飛び立つ人がごっちゃになっているわけです。

その手前で並んでいて、ふと列の前に並ぶ男性の顔を見たとき「あ!徳島県人だ」と思いました。
もちろん初めて見る人です。
(へ~、顔で分かるんだ。徳島県人の顔っていうのがあるんだ・・)
と一人思いましたが、もちろん勘違いの可能性もありました。

そのあと、さらに2~3人前に並ぶ若い女性二人組が目に入りました。
私には、彼女たちも徳島県人に見えたのです。
しばらくすると二人の会話が聞こえてきました。
それがなんと阿波弁丸出しの話し言葉で、自分の直感に確信を持つと同時に可笑しくなりました。

ゲートを抜けたのち、日本各地へ向かう飛行機の搭乗口を横目に見ながら、徳島行きの待合室を目指します。
さっきの3人も私の前を歩いています。男性もやはり徳島行きに乗るようです。
だんだん徳島空港行搭乗口が近づいてきます。
もう、私はおかしくておかしくて一人で笑ってしまいました。
右を見ても左を見ても徳島県人なのです。

全国に向かう人の群れから、徳島行きの人たちに絞られていくのだから当然なのですが、見てそうと分かるくらい顔がみな徳島の顔なのです。
高松行きの飛行機を利用するいつもは、当然こんな経験はありませんでした。
面白かったので、搭乗口の前で待機する人々の顔を隅から隅まで見渡しましたが、これは徳島の顔だなあ、と分かるのは6~7割という印象でした。



それ以来、私は人の顔というものを「民族性」で見る癖がつきました。
「阿波人」という民族がいて、その特徴的な顔がある、というようなイメージで全国の人を見るのです。
もちろん他県の人の特徴はほとんどわかりません。
徳島県人でも、徳島に生まれ育って、徳島で働いて、県外へはほとんど出ないというような人には、私が言っていることは分からないと思います。

そういう見方をするようになると、「あ、この人の祖先は渡来人だな」とかいうことも、すぐわかる(つもり)ようになります。
嫁の父方の家系も間違いなく渡来人です。
親戚の集まりで一同の顔を見て確信しました。以前は冗談で嫁に言っていたのですが、茨城で渡来人となると案外本当に忌部系の秦氏かもしれません。
嫁なども実際、東京に住んでいた頃、ある外国人に声をかけられ「私の国の女性ですよね」と訊かれたことがあります。(笑)

私のような見方で他人の顔を見ると結構楽しいですよ。
テレビを見ていても外出先でも、よく嫁に「おい、あの顔よく見てみろ。(先祖は)日本人じゃねえぞ」などとよく話します。
本当に白人系の人もいれば南方系の人もいるし、実に様々な方面から極東の島へやってきたのだなと感じます。



で、すっかり徳島県人の顔というものがわかった気になっていたのですが、つい最近認識が甘いことに気付きました。
徳島にも最低でも3つの民族がいます。
私がわかった気になっていたのは、そのうちの一つのグループのようです。
個人的にこれを「猿田彦系」と呼んでいます。
この顔立ちが一番多く、かつ分かりやすいので、阿波土着の人々の子孫だと思うからです。

まあ、有名人でいえば、

板東英二水野雄仁瀬戸内寂聴、などはこのグループです。
しかし極めつき、うわ~っと思ってしまうくらいもっとも典型的な阿波男の顔は、大川隆法です。

ところが、最近県内をうろうろするようになって、ほかのタイプの顔がよく見えるようになってきました。
特に東部、徳島市周辺や、ちょくちょく出かけるようになった神山町周辺は、県西部や猿田彦族とは違った顔つきの人が多いです。
簡単に言うと面長で鼻筋の通った顔立ちの人が多いのです。
特に「鼻」は顔の特徴をみる上で大きなポイントになります。
神山温泉などに入って、利用者の顔をずら~っと眺めると、私がよく利用する県西部の温泉の利用者たちと同じ県民とはとても思えないほどです。

この顔のグループを、私は「忌部系」と呼んでいます。
本当に忌部氏の血を引く人もいますし、そうでない人もいるでしょうが、あくまで顔立ちの個人的分類です。
「天津系」と呼んでもいいでしょう。

三木武夫後藤田正晴後藤田正純仙谷由人立木義浩大杉漣などは、このグループです。

これに例の山上部落の異民族のような顔の人たちを合わせると3グループになります。




ところで、世間には「日ユ同祖論」というものがありますが、興味のない一般の人たちは
ユダヤ人が日本人の祖先の一部になったと言ったって顔が違いすぎるだろう」
と普通は考えると思います。

後世、ヨーロッパで描かれた金髪で面長の白人のようなキリストの絵から、ユダヤ人の外見を連想するからです。


イメージ 3

ジョヴァンニ・カリアーニ画

下は有名な写真ですが、イギリスのマンチェスター大学法医学教室が2000年前のイスラエル人男性の頭がい骨、および、西暦3世紀に描かれたフレスコ画に残るイスラエル人男性の姿を参考に再現した「イエス・キリスト」の顔です。


イメージ 2


このように、黒い巻き毛と濃い肌色、丸顔で丸い鼻をした中東男性として再現されています。
もちろんキリストの顔の個性を正確に再現したというよりは、キリストを含む一般平均的な当時(聖書に記された時代)のイスラエル人の顔ということでしょう。

中国・開封ユダヤ人や、その他アジアのユダヤ人子孫の写真を見ると、そのままアジア人として溶け込めるような顔立ちをしています。
ましてや2000年間の混血を考えれば、仮に彼らが本当に日本にいて、今現在普通に「日本人です」と名乗っても、誰も容姿からそれを不思議に思うことはないでしょう。



実は、私が徳島の山で見た、小柄で色黒の神輿を担ぐ人々の顔が、この顔に(髭を剃ったら)似ているのです。



(▼0▼)/~~see you again!