空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

徳島縣護國神社へ命日祭にゆく

 
イメージ 1
 
 
徳島縣護國神社
 
御祭神
 

戊辰戦争から第二次大戦に至る事変・戦争等の国難に準じた徳島県出身の英霊三万四千三百余柱。
相殿に徳島県出身の殉職自衛官二十余柱。
 
 
祖父の一人は、昭和20年6月29日、フィリピンにて32歳で戦死しました。
 
 
イメージ 2
 
 
今日は20名弱の遺族が参っておられました。
実際の命日以外でも、遺族の都合で参拝することができます。
 
私は両親と参りますが、毎回ご覧のように高齢者が多いです。
帰る間際には、女性の方から声をかけられ、「私は毎年参っていますが、あなたのように若い人を見かけることがない。どなたの慰霊なんですか?」と言うのです。
 
私も若くはないけれど(まあ10歳くらいは若く見られますが)、「これからは、私のような孫やひ孫たちが皆参るようにならないといけませんね」とお答えしました。
 
遺族の中には、あきらかな元軍人のおじいさんがおられました。
神主から玉串を手渡される際、左手、右手の順に手を差し出して受け、うやうやしく横に捧げ持ったまま玉串案の前に進み、サッと縦に回転させ置き、二礼と二拍手の参拝を済ませたあと、右足を引き左足を引いて、びしっと気を付けの姿勢をとってから一礼します。
 
神道の正式な作法というより、軍人の動きなのです。
こういう動きを見ると、人の歴史というものを思って感激しますね。
 
日本人の「神」の定義は独特で幅広いものですが、国のために戦死した方々は靖国において神なのです。
実名の後に、○○命、と、ミコトをつけて、神主に読まれます。
 
 
イメージ 3
 
 
戦争に、「利用」されたから、国旗も国歌も否定する、とか言う低能教師どもは、自分の人生において失敗があれば、その都度改名したり、顔を整形手術したりするんでしょう。
 
光も影も全部ひっくるめて歴史なんですよ。
 
もちろん、先の大戦の「全て」が影だったとも思いませんけど。
 
 
イメージ 4
 
嬉し恥ずかし、初登場の両親
 
 
靖国に参拝しない首相は、首相と認めません。