空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

式内社 鴨神社 三好郡東みよし町

イメージ 1


延喜式式内社 阿波國美馬郡 鴨神社

鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650  

御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)  



イメージ 2


創祀年代は不詳。
鳥居横の案内板には、

貞観庚辰二年以前の創建にして京都上賀茂神社の勧請所」と書かれている。


徳島県神社誌』では、

~往昔此の地は京都賀茂別雷神社神領で守護神として同社の分霊を奉斎したものである。
 寿永二年(1183)、賀茂別雷神社々領文書に「阿波国福田庄」(加茂村)とみえ、
 賀茂山賀茂川ありて川上に貴布彌神社もあり(西庄)京都の賀茂に擬している。
 (中略)
 当社の祭式は荘厳を極め奉仕の神主三人と十人の社人により行われて、
 福田庄時代には京都賀茂摂社の神官毎年出張神事を奉掌していた。~

とあり、「鎮座は白河氏らとともに、六世紀ごろとみてよかろう」と結んでいる。
現在の宮司も「白川」氏である。


『阿波志』 に、「鴨祠延喜式小祠と為す。加茂村に在り、旧事記にいわゆる 事代主の神孫鴨王 是也」

『阿府志』 に、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り 祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某同河原某」

と記されている。


イメージ 3

約56社が合祀されている

『道は阿波より始まる』では、正反対の見方をとっており、当社及び、対岸下流の下鴨社を京都に分祀したとしている。
それはおそらく、文献では確認できないと思われる。
岩利大閑氏のこの説は『阿波風土記』を中心とした父祖よりの伝承が元になっている。
さらには、周辺の地形・地名・古墳、当社御祭神と阿波の周辺神社の御祭神の関係、複数の状況証拠から導き出された説である。


イメージ 4

南の鳥居から

詳しくは長くなるので、別の機会に書くが、少しばかり書くと、

『道は阿波より始まる』によれば、当社裏山の加茂山中腹にある

丹田(たんだ)古墳」 全長37メートル、古墳時代前期の前方後円墳

が、阿遅鉏高日子根神の陵墓で、当社の本宮「鴨の宮」。

山下の鴨神社は拝所で、つまり本来の御祭神は阿遅鉏高日子根神とのこと。

その母、多紀理毘売とは、アマテラスとスサノオの誓約(うけい)で生まれた須佐之男命の御子(三女伸)の長女で、吉野川下流下鴨神社の本来の御祭神だという。


妹は、市寸島比売(いちきしまひめ)と 多岐都比売(たきつひめ)である。

その「 市寸島比売命 」は、当社と同じ 東みよし町加茂の

 横田神社

多岐都比売命 」は、吉野川対岸、三野町加茂野宮(つまり下賀茂神社のすぐ近く)の

 田寸(たき)神社

で祀られている。

 (鎮座地に関しては、それぞれ比定社のひとつ)


多紀理毘売の夫、つまり阿遅鉏高日子根神の父は「 大国主命 」で、阿波では、

 八十子神社 
 倭大國玉神大國敷神社
 大御和神社 
 勝占神社 
 八桙神社

と、県下全域で祀られ、阿遅鉏高日子根神の異母兄弟である「 事代主命 」は、

 事代主神社 (勝浦郡
 事代主神社 (阿波市

同じく「 建御名方命 」は、


で、祀られている。

 ※ 上記の神社は全て 式内社 である。
   

他にも式外の古社で祀られるが、今回は式内社のみの紹介とする。

生身の人間としての血縁関係が、ほとんど阿波一国で繋がるのである。


イメージ 5

実物の葵は神紋・家紋とそのまま同じ

鴨神社の神紋は「二葉葵」で、有名な徳川家の「三葉葵」の原形だ。
双葉葵(賀茂葵)ともいい、山林に生える多年草である。

1566年、朝廷に願い出て、松平から徳川に改姓した家康は、同時に家紋も三葉葵に変えた。
その後、幕府が阿波藩に徳島藩へ改名するよう命を出したことはすでに紹介した。

『道は阿波より始まる』には、

丹田殯宮は陰暦まつりのころに葵群生する故に、この加茂の大神のまつりを葵祭と呼ばれています」

と解説されている。



丹田古墳については、よりくわしいこちらをどうぞ。