御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)
創祀年代は不詳。
鳥居横の案内板には、
鳥居横の案内板には、
『徳島県神社誌』では、
~往昔此の地は京都賀茂別雷神社の神領で守護神として同社の分霊を奉斎したものである。
寿永二年(1183)、賀茂別雷神社々領文書に「阿波国福田庄」(加茂村)とみえ、
賀茂山賀茂川ありて川上に貴布彌神社もあり(西庄)京都の賀茂に擬している。
(中略)
当社の祭式は荘厳を極め奉仕の神主三人と十人の社人により行われて、
福田庄時代には京都賀茂摂社の神官毎年出張神事を奉掌していた。~
寿永二年(1183)、賀茂別雷神社々領文書に「阿波国福田庄」(加茂村)とみえ、
賀茂山賀茂川ありて川上に貴布彌神社もあり(西庄)京都の賀茂に擬している。
(中略)
当社の祭式は荘厳を極め奉仕の神主三人と十人の社人により行われて、
福田庄時代には京都賀茂摂社の神官毎年出張神事を奉掌していた。~
『阿波志』 に、「鴨祠延喜式小祠と為す。加茂村に在り、旧事記にいわゆる 事代主の神孫鴨王 是也」
『阿府志』 に、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り 祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某同河原某」
と記されている。
約56社が合祀されている |
『道は阿波より始まる』では、正反対の見方をとっており、当社及び、対岸下流の下鴨社を京都に分祀したとしている。
それはおそらく、文献では確認できないと思われる。
岩利大閑氏のこの説は『阿波風土記』を中心とした父祖よりの伝承が元になっている。
さらには、周辺の地形・地名・古墳、当社御祭神と阿波の周辺神社の御祭神の関係、複数の状況証拠から導き出された説である。
南の鳥居から |
詳しくは長くなるので、別の機会に書くが、少しばかり書くと、
『道は阿波より始まる』によれば、当社裏山の加茂山中腹にある
が、阿遅鉏高日子根神の陵墓で、当社の本宮「鴨の宮」。
山下の鴨神社は拝所で、つまり本来の御祭神は阿遅鉏高日子根神とのこと。
妹は、市寸島比売(いちきしまひめ)と 多岐都比売(たきつひめ)である。
その「 市寸島比売命 」は、当社と同じ 東みよし町加茂の
横田神社
田寸(たき)神社
で祀られている。
(鎮座地に関しては、それぞれ比定社のひとつ)
多紀理毘売の夫、つまり阿遅鉏高日子根神の父は「 大国主命 」で、阿波では、
と、県下全域で祀られ、阿遅鉏高日子根神の異母兄弟である「 事代主命 」は、
同じく「 建御名方命 」は、
で、祀られている。
他にも式外の古社で祀られるが、今回は式内社のみの紹介とする。
生身の人間としての血縁関係が、ほとんど阿波一国で繋がるのである。
『道は阿波より始まる』には、
と解説されている。
丹田古墳については、よりくわしいこちらをどうぞ。