空と風

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徳島は倭(イ)の国か? ②

☆ 倭とイ

「倭」を「わ」とか「やまと」とか読みますが、なぜ、どう読めば、そうなるのでしょうか?

学校で習った志賀島発見の金印は、漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)と読みました。
ここでは「委」までも「わ」と読まされました。
私も、なんで「い」を「わ」と読むのだろう?と思いながらも、教科書に書かれているのだからそうなのだろう、と考えるくらいでした。

これは、『後漢書』の「東夷傳」に記載された

 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

の印であろうとされています。

この一文の中に「倭奴國」と「倭國」が出てくるため、「倭」に属する「奴」國が朝貢したものとし、印の「委」は「倭」のこと、
と解釈して「わのなのこくおう」と読むわけです。

Wikipedia)によれば、

 倭の発音 「上古音uar 中古音ua 中世音uo 現代音u∂」
 奴の発音 「上古音nag  中古音no(ndo)  中世音nu  現代音nu」 
 (藤堂明保編「漢和大字典」学習研究社
 漢代の漢字音(上古音)では奴をド、トとは読めないというのが定説である。

と、しながら、

「漢の倭(委)の奴(な)の国王」と訓じる説(落合直澄、三宅米吉(「漢委奴国王印考」 『史学雑誌』)など)の他、
  委奴を「いと・ゐど(伊都国)」と読み、
「漢の委奴(いと・ゐど)の国王」と訓じる説もある(藤貞幹、上田秋成、久米雅雄、柳田康雄など)。

という説も紹介しています。



邪馬台国四国山上説を唱える大杉氏は、これを「わのなのくに」と読むのはおかしいと言います。 

「委」=「倭」とした場合、
「倭」は、中国語で「ウェイ(イ)」とも「ウォ(ワ)」とも発音するが、「委」は「ウェイ(イ)」としか発音しないため、
両方に共通する発音は「イ」であり、「倭奴国」は「ウェイヌゥクゥオ」と発音し、日本語の読みは「いのくに」が正しいとします。

いくら漢民族が他国を見下しているとはいえ、皇帝の命で一国の王宛に贈る印に字を刻む際、国名の読み(音)の違う文字を間違って使うことなどありえないと私も思います。
ともに「イ」の表音文字であるから「倭」を「委」と刻んだのだという説は、「委」を無理やり「ワ」と読ませるよりもよっぽど説得力があります。


現代人は現代の感覚で「国」という字を見ると、未熟ではあっても「国家」のようなものを想像しますが、当然この時代の日本にそのようなものはないわけで、倭國というのは、当時の中国人から見た日本列島またはその一部の「地理的概念」ではないかと思います。
「郡県制」を造った中国人からすれば、その「外」の人々の「記録」をする際に、「国」という文字を使う以外に方法はなかったでしょうから。
その「倭」の極南界に「倭奴」があるといい、日本人はその場所や読みに苦心するのですが、肝心の中国の文献にどの程度の信憑性があるのか?という心配もあります。

「極南界」というのも漢人が知っていたわけではなく、朝貢した「大夫」と称する者の申告でしょう。
そして中国人の、日本列島の方角の認識が間違っていたことなどを考え合わせても、文字通りに解釈できるかどうかは疑問です。
小国の国名の記載に関しても、どれだけ真面目に?書かれたか疑問に感じます。
「秦」から「清」にいたるまで中国(当たり前だが中華人民共和国ではない)の国名は「漢字一字」であって、ごく一部の例外を除いて、周辺国、外国は「漢字二字以上」、また「動物の名前」や「軽蔑の意味」を込めた漢字を当てるのが通例です。

「奴」はその代表的な漢字のひとつで、中国大陸内、日本国内で多数使われています。
本当に、単純に純粋に「表音文字」として使ったんでしょうか? 私は疑問に思います。
ちなみに姓に漢字二字以上を使うのは日本人だけであって、中国人や朝鮮人は今も昔もずっと漢字一字です。
漢字一字か二字以上かということに関するこだわりは、日本人には理解が及ばないことなのです。

話がそれましたが、ここでは「倭」の読みがポイントなので「奴」の話はいったん措いて大杉氏の説に戻ります。

韓国の「桓壇古記」には、
 「日本は、舊くは、伊国に有り」
 「任那伊倭に属する」とあります。
「イワ」という国名が出てきます。


倭奴国」は、後漢書旧唐書・通典・日本考略・広輿図 などに見え、
「広輿図」中の「華夷総図」には「日本東海島夷亦名倭」(日本は東海の島である。またの名はなり)と記されていす。

倭は夷(い)なのです。



☆ 阿波と倭とイ

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① 天石門別八倉比売神社に伝わる「御本記」には、

吾れ、前に天より持ち降るところの瑞の赤珠の印璽をば、杉の小山の嶺に深く埋めて、天の赭を以って是を覆い蔵す。
その赭は、諸邪鬼妖怪及び諸病を厭に、奇に妙なる験と教え喩し賜う。只、偖の印璽と号し、秘かに崇め奉るは是なり。

とあり、「天(高天原?)より持ち降りた瑞の赤珠の印璽」を「偖(い)の印璽」と記載している。

「阿波」の「天」は「イ」なのです。

古事記は、四国を「伊予の二名島」と記し、「伊」は阿波を指す。

③ 「倭の端」を意味する「倭の鼻」という地名が適当な場所に三ヶ所 
 剣山を中心に「一宇」「市宇」(倭中)という地名が五ヶ所ある。

 地名を主な根拠とし、一部は阿波古事記研究会の主張と重なります。どちらがオリジナルかはわかりません。  徳島は倭(イ)の国か?①
 
貞光町中心の「三里四方の霊地」と呼ばれていた区域は、忌部大神宮の境内とされたが、
 麻植氏(忌部)の「麻植先代家記」は、この地を「中倭大国」と記している。

④ 山川町(忌部の本拠地の一角)山崎周辺を「伊周の里」「伊須の里」と記した二種類の古記録があるが
 「伊周」「伊須」という地名はなく「倭州の里」の意味らしいことが判明。

⑤ 「高野大師御広伝」(1118年)に、
 「阿波の国、高越山寺は、また、大師建立し奉る所なり。また、加法に法華経を書し奉り、
 彼の峯に埋めむと云々。
 澄崇の暁、四遠を望むに、伊、讃(香川)、土(高知)の三州、足下に在るが如し」 と、あるが、

 伊予(愛媛)は、古来から「予州」であり、高越山からは見えない。
 よって伊州」とは阿波のこと。

⑥ 「阿府志」(1782)の大御和神社の欄に「府中ハ古ノ夷ノ都也」 
 尼木の欄に「府中村ニアマキ云所アリ、昔、十二代景行天皇之朝、
 日本武之王子息長田別命ヲ阿波之君ニ置玉フテ、夷之都ニ定賜フ国庁ノ後也」 と、記され、

 阿波の国府、府中の地を古(いにしえ)の「夷(い)之都」と呼んでいる。

⑦ 「和歌山は“きのくに”で、徳島は“いのくに”と言っていた」と、昔、老人からよく聞いたという人がいる。


等等の根拠をあげて、大杉氏は「阿波(徳島)」が「倭」であり、「イ」と呼ばれる国であったことを証明しています。
そしてその語源について、
倭奴国は(いのくに)の音訳だと思われるが、それは(井の国)の意であろう。四国の山上国は「溜池」「井戸」の国であった。」
と仮説しています。



「倭」が「イ」であり、
「イ」が「阿波」であり、

倭大国玉神大国敷神社の存在などからも、
「倭」が「阿波」である。

「倭奴國」が「邪馬台国」だと書いた中国文献がある。
「倭」=「イ」=「邪馬台国」=「阿波」という図式が主張されるのです。

こうなると、例の邪馬台国の正しい“読み”論争が気になります。
「ヤマ・イチ」「ヤマ・イ」という読みが正しい、という説です。

Wikipedia)より

邪馬台国の音》

邪馬台国」の正確な読みは不明。一般的に「やまたいこく」と言われるが、とりあえずの日本語読みである。

三国志魏志倭人伝)』の版本には、すべて「邪馬壹國」または「邪馬一國」[7]と書かれている。『三国志』より後の5世紀に書かれた『後漢書』倭伝では「邪馬臺国」[8]、7世紀の『梁書』倭伝では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』では「魏志にいう邪馬臺(都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也)」となっている[9]。表記のぶれをめぐっては、「壹」を「臺」の誤記とする説のほか、「壹與遣,倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送,政等還。因詣臺,」から混同を避けるために書き分けたとする説、魏の皇帝の居所を指す「臺」の文字を東の蛮人の国名には用いなかったとする説[10]などがある。

「邪馬壹國」と「邪馬臺国」のいずれも、発音の近さから「やまと」の宛字ではないかとする説がある[11]。しかし、「邪馬壹國」は「やまいこく」であり、「やまと」とは別の国であるとする説も在野に根強く残っている。また、古い日本語では同一語根内に母音が連続しないことから、やまい(ya・ma・i)は不自然とする意見もある。

最も一般的な「やまたいこく」という読みであるが、これも、二種の異なった体系の漢音と呉音を混用しているという。例えば呉音ではヤマダイ又はヤメダイ、漢音ではヤバタイとなる。



※ 私の妄想 ※

1 西日本の一部に「イ」という小国群があった。
2 朝貢された漢は、文献でそれを「倭」と表音文字で当て字した。
3 「イ」という音を正確に知っていたものは、他のイの字を使うこともあったが「倭」の字が最も広まった。
4 「倭」は「イ」とも「ワ」とも読んだので、文献を読んだだけのものが勘違いして「ワ」と発音するようになった。
5 「倭」の字と「ワ」の音が日本に逆?輸入された。
6 倭人自身が「イ」と名乗る国名を、中国は「ワ」と呼ぶことから、
  中継点である朝鮮半島で「イワ」という記述がされた。

7 「イ」の中の一国に「ヤマ」または「ヤマト」国があった。
8 中国はこれを「邪馬・壹國」(ヤマ・イ)国または「邪馬臺・國」(ヤマト)国と当て字した。
 「邪」も「馬」も上記のように軽蔑の意味を込めた当て字である。
9 やがて「イ」の中心が「ヤマ(ト)」になったことから、倭国 - 邪馬台国 は同義語になった。
 (倭国邪馬台国のこと、と記した中国文献がある)

10 国内では「倭」を「ヤマト」と読むパターンが生まれた。
11 「倭」が奈良に入り「大倭」になった。
12 「大倭」をさらに「ヤマト」と読む。
13 「倭」を「ワ」と読む「読み」が入っていたため、「和」の文字に書き換え、「大和」の表記が生まれる。


なぜ、「イ」が「ワ」と呼ばれたのか?
どう読めば、「倭」「大和」が「ヤマト」になるのか?
こうでも考えないと、わかりません。  

「イ」国に関する興味は尽きず、今後も少しずつ書きたいと思います。