空と風

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後漢書に見る倭国 3

 
 桓霊間倭國大亂 更相攻伐 暦年無主。
 有一女子 名曰卑彌呼。
 年長不嫁 事神鬼道 能以妖惑衆。於是共立為王。
 侍婢千人 少有見者。唯有男子一人給飲食、傳辭語。
 居處宮室樓觀城柵 皆持兵守衛。法俗嚴峻。

 桓帝霊帝の間(146-189年)、倭国は大いに乱れ、更相攻伐しており、
 年を暦るも主無し。
 一人の女子有り、名を卑彌呼という。
 年長ずるも嫁がず、神鬼道に事え、よく妖術を以て衆を惑わす。
 ここにおいて(卑彌呼を)王に共立した。
 
 侍婢は千人、会える者は少ない。
 ただ飲食を給仕し、言葉を伝える一人の男子がいる。
 暮らしている宮殿、楼観、城柵、いずれも兵を持って守衛する。
 法俗は峻厳である。
 
 

「倭國大亂」が、正確には「倭国の内戦状態」ではないことは既に明白です。
「倭」の「国々」が戦った、ということで、普通に考えれば「主導権争い」でしょう。
先に書いたように「邪馬臺國」が「倭」の首都です。
この首都を争ったのが倭國大亂と見るのが自然です。
ただし、頭から読んでいけばわかるように、『後漢書』東夷列傳「倭伝」は、全文時系列に従って書いているとは断定できません。
 
まず、「倭」についての「主文」、どのような国か?というメインの解説がある。
「倭在」から「其大倭王居邪馬臺國」までがそうです。
 
次にその「位置」の説明。
次にその「歴史」。
 
歴史というのは、もちろん「倭」が「中国や皇帝とどうかかわってきたか?」を書くことです。
その書き出しが、
 
 「建武中元二年(57年) 倭奴國奉貢朝賀・・・・・」です。次に、
 
 「安帝永初元年(107年) 倭國王帥升等・・・・・」。そして、
 
 「桓霊間(146-189年) 倭國大亂」。
 
 
そして、各王が共立した女王「卑彌呼」が、『三国志』「魏書」によれば「邪馬臺國」の女王ですから、「歴史上」は、ここで初めて邪馬臺國が「倭」の首都国になったと見るべきでしょう。
 
「歴史上」というのはもちろん「文献上」という意味で、現実には元々邪馬臺國が倭の宗主国で、反乱の後に元の鞘に収まったのか(その場合、倭奴國=邪馬臺國という可能性も出てくる)、大乱後初めて宗主国に選ばれたのかは不明です。
 
それにしても面白いのは、この宗主国確立の過程が、倭の内部で自己決定された点です。
何故主導権争いしたかといえば、これは当然経済問題です。
なぜならば、これが書かれているのは中国の正史であり、中国との様々な利害関係のある国のことしか書かれていないからです。
当時の日本で最も力を持てたのは、中国と直結する交易ルートを抑えた国で、どの国もその立場を欲したはずです。
中国側からすれば、ばらばらに30の小国がやってきても経済的には面倒、政治的には無意味なだけですから、「お前ら、倭の中で代表国を決めて来い」となるのです。
 
最も決定力があるのは、中国側が「お前の国を倭の代表国と、我が皇帝が認定する」とお墨付きを与えることです。
その原初が、光武帝が授けた金印「漢委奴国王」です。
しかし、この時点での中国側の意図は「倭の国々の代表を認定」するものなのか、前回書いたように、単純に皇帝の徳を証明するために最遠方の委奴国を朝貢国に選んだだけなのかは不明です。

しかし、100年以上もの時間をかけて、しかも倭の内々で、自分たちの側の代表を「邪馬臺國」とする決定をしたわけです。
 
 
自国の利を抑えてまで、従うことにした他国の女王とは、どんな人物なのか?
どれほどの実力とカリスマ性を備えていたのか?
その最たる特徴は、ずばり記録されています。
 
 事神鬼道 能以妖惑衆 於是共立為王
 
神鬼道に仕え、よく妖術を以て大衆を惑わす。ここにおいて(卑彌呼を)王に共立す。
 

倭人の各国王たちが、彼女に従う意思決定をした、最たる理由が“これ”なのです。
中国正史において、倭人がいかに信心深いか、複数の記述があることを指摘しました。
『隋書』にも、
 
 或置小石於沸湯中 令所競者探之 云理曲者即手爛。
 或置蛇甕中 令取之 云曲者即螫手矣。
 
あるいは沸騰した湯の中に小石を置き、競いあう者もこれを探させる。
理由は正直ではない者は手が爛れるのだという。
あるいは蛇を甕の中に置き、これを取り出させる。
正直ではない者は手を噛まれるのだという。
 
というような探湯(くがたち)の記述があります。非常に日本人的だと感じます。
少なくとも昭和生まれの方々はそう思いませんか?
 
古代においては、日常的にあらゆる場面で、現在で迷信と呼ばれるようなことが現実と信じられ実行されていたのでしょう。
ましてや、国の重要事を決めるときに、何で後漢書の言うところの「神鬼」の力を借りないことがあるでしょうか。
ずっと後代にまで、日本では天皇までもが卜占に頼っていたことが明らかなのですから、この時代の優れたシャーマンの力は私たちの想像を絶するものだったでしょう。
 
 

私やうちの嫁は、あの宜保愛子さんが好きでした。
彼女は朴訥としていますが、非常に神秘的なオーラをまとった絶世の美女、卑彌呼が大乱の首謀国の王のもとにやって来て、
 
 
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 こんにちは。卑弥呼です。♡
 
 ・・・・・。
 
 あれ?あなた・・・。見た目、こわもてですけど、実は小心者ですね。(笑)
 最近、胃が痛くありませんか?
 
 な、なぜ? それを!!・・・・・。

 よもぎの葉っぱを煎じて飲みなさい。良くなりますよ。
 
 そ、そうですか・・・。
 
 そうお母さんにも教えられたでしょう?
 
 えー!!! そうです。そうなんです。生前、母がよくそう言っておりました。
 なんでそれがわかるんですか!?

 神が私にその様子を見せてくれるのです。
 それから、あなた・・。この辺、そう、その膝のあたりに怪我をしてますね。
 
 ドキッ。
 
 ああ、そうですか。亡くなったお兄さんと子供のころ遊んでいて崖から落ちたのね。
 
 ー!!!
 
 
 お兄さんが生きてさえいれば、自分より立派な王になって、
 この国を倭で一番の国にしただろうに、
 と思ってるのね。
 
 なんでも見えるんですね~。(泣)

 お兄さんが言ってるわ。
 「私が死んだのはお前のせいではない。自分を責めるな。
 あのとき川で溺れたのは足がつったのだ。
 お前が、兄さん川を泳いで渡って見せてよ、と私にせがんだのが悪いのではない」
 
 あ、兄上ーーー!(号泣)
 兄上、兄上! どこです?

 ほら、今あなたの右肩の後ろに立っていますよ。ご両親も一緒です。
 
 え゛ーーーーー!!!!!

 お父さんも言ってます。
 「息子よ、お前ほど立派な王はいない。父は誇りに思ってるぞ」
 「力を注いで倭を後漢に負けないような大国にするのだ。
 狭い倭の中で争っている場合ではないぞ」
 

 ち、父上・・・・・
 
 
 分かりました。お任せ下さい。やってみせます。
 卑彌呼さま、よくわかりました。
 あなたについていきます!(キッパリ)
 
 

と、まあ、こんな展開が繰り返されたのでしょう。

前から書いているように、私の説では、伊邪那美命卑弥呼=初代天照大御神、ですから。
 
伊邪那岐命伊邪那美命の「国生み」は、この「倭國大亂」と「女王共立」の過程を書いたものなのです。
伊邪那岐命伊邪那美命が、式内社で、どこに祀られているかはご存知ですよね。
 

後漢書』以下略。
 
次は、他の中国正史に見る「邪馬臺國の位置」について書いてみよう、と思ったり思わなかったり。