空と風

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阿波国の語源がわかりました 2


前回に引き続き馬鹿を晒すことにしますが、私は徳島に生まれ育ち、阿はずっとawaだと思ってきたのです。
だって、あらゆる場所で阿波はアワとフリガナされていますし、awaとキーボードを打てば阿波と変換されますし、『あわわ』という雑誌が『あはは』では一体何の本かわからなくなるわけです。
 
しかし、普通に考えてみれば、「波」は「波動」「電波」など音読みではhaなのですから、阿波はもともとahaなのです。
「は」が現代では「わ」と発音されるから「あわ」と書き直されるだけで、語源的に見れば、「あは」「あば」と訓む地名の方が、そのルーツを正確に表しているといえるでしょう。
 

ところが、古代この国の名の音を漢字表記で当て字した祭、元々は「粟」であり、それを二字に置き換えたものが「阿波」だったということは、それは現代のahaという発音でもなかった可能性が高いのです。
出雲では「」をewaと発音するのですが、仮にこれが古代の発音だったとすると、オリジナルはyewaだったかもしれません。
少し調べると、eoと発音されるようになったのは江戸時代末~明治期で、それ以前はyewoという発音だったそうです。
たとえば、「円」は「Yen」と表記されますし、ビスビールのラベルには今も「Yebisu」と書かれています。
 
 
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FEIQE  MONOGATARI 天草本平家物語』(1592)大英図書館所蔵
 
 
まず○○という国名を表す音があり、それへ「粟」という字を当てた。後にそれを「阿波」という二字に置き換えたとき、この二つの音は全く同じだったのか?
字義が良いからこの字を使ったということかもわかりませんが、少なくとも当時は粟と阿波は同じ発音だったと考えることにします。
 

前回の話に戻って、「あっぱれ」の語源が「あはれ」であるというのは確実なのですが、ではその「あはれ」とは、もともと何なのか?
と考えたときに、これは「あは」+「」ではないか?と、見当をつけたのです。
そこで調べると、やはり?というか、様々な説がありました。
 
 

あわれ[あはれ]【哀】
 
[一]〔感動〕
①うれしいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけて、心の底から自然に出てくる感動のことば。
 
[二]〔名〕(形動)
([一]の感動詞から転じたもの)心の底からのしみじみとした感動や感情、また、そういう感情を起こさせる状況をいう。親愛、情趣、感激、哀憐、悲哀などの詠嘆的感情を広く表わすが、近世以降は主として哀憐、悲哀の意に用いられる。
 
①心に愛着を感じるさま。いとしく思うさま。また、親愛の気持。
②しみじみとした風情のあるさま。情趣の深いさま。嘆賞すべきさま。→もの(物)の哀(あわ)れ。
③しみじみと感慨深いさま。感無量のさま。
④気の毒なさま。同情すべきさま。哀憐。また、思いやりのあるさま。思いやりの心。
⑤もの悲しいさま。さびしいさま。また、悲しい気持。悲哀。
⑥はかなく無常なさま。無常のことわり。
⑦(神仏などの)貴いさま。ありがたいさま。
⑧殊勝なさま。感心なさま。→あっぱれ。

【語誌】
 
語源を「あ」と「はれ」との結合と説くものが多いが、二つの感動詞に分解しうるかどうか疑わしい。
②「あっぱれ」は、「あはれ」が促音化して生まれた語形である。

【語源説】
 
(①について)
(1)ア(彼)ハに、ヤ・ヨに通じる感動詞が添わったもの。〔万葉集辞典=折口信夫
(2)自然音アの修飾であったらしい。〔方言覚書=柳田国男
(3)アアにハレマアと感嘆する語が重なった語。〔俗語考〕
(4)アアアレ(有)から。〔名言通〕
(5)天岩戸の故事から、アメハレ(天晴)の略。〔日本釈名・和訓栞〕
(6)アという嘆息の声から。〔紙魚室雑記・和訓栞〕

(②について)
(1)アハは淡、はアレ(彼)か。〔和句解〕
(2)アア‐オモハレ(想)の義。〔日本語原学=林甕臣〕
 
 
 
※角川『古語大辞典』

あはれ【〓(心+可)・怜・哀】
[一]〔感〕
 
①喜怒哀楽によって生ずる深い感動を表す語。ああ。上代では、
 
阿波礼あなおもしろ、あなたのし(古語拾遺)」
「後も組み寝むその思ひ妻阿波礼(記歌謡・九一)」
尾張に直に向へる一つ松阿波例(紀歌謡・二七)」
 
など主観的、直接的感情の表出であり、後代においても、
 
哀れ、一とせ国に下りし時此を過し(今昔物語集・二六・二)」
、しつるせうとく哉。年比はわろく書けるものかな(宇治拾遺物語・三・六)」
 
など、同様に用いられることもあるが、平安時代には、情趣の世界を表す名詞・形容動詞の用法とともに感動詞の場合も、
 
「大原やせかひの水をむすびつゝあくやと問ひし人はいづらはといひて来にけり。あはれ/\(伊勢物語・一二七)」
 
など情趣性を帯びてくる。
 
②どうぞ。なにとぞ。この意味では芝居に多く使用されている。
③終助詞「や」との間に名詞をはさみ、その名詞の内容に関する感動を表す。

[二]〔名・形動ナリ〕
 
①「あはれ」と感ずること。「あはれ」と感ずるさま。愛情・同感・感慨・賞嘆・悲哀などの感情を詠嘆的に表す語。平安時代には、情趣の世界を表す最も重要な美の表象として、しみじみとした感動を催す意に用いる。
 
夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。…秋は夕ぐれ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり(枕草子・一)」
 
のように「をかし」と対比して使われ、特に『源氏物語』は「あはれ」の世界を描いたものとされている。
 
「あはれ」は元来、詠嘆的表現であるから、悲しみとともに喜びをもそのまま表したものであるが、
 
「上に候ひし兵衛佐(=佐理)、まだ年も若く、思ふこともありげもなきに、親をも妻をもうち棄てて山にはひのぼりて法師になりにけり。あないみじとのゝしり、あはれと言ふほどに(蜻蛉日記・上)」
 
などに見るように、平安時代においても、悲しみの面が強く、後には、宣長
 
「後の世には、あはれといふに、哀の字を書て、たゞ悲哀の意とのみ思ふめれど(玉の小櫛)」
 
というように、悲哀・憐憫の情を催すようなさまの意に固定していく。
 
②歌学用語。しみじみとした情緒。『古来風体抄・上』に
 
「何となく艶にもあはれにも聞ゆる事のあるなるべし」
 
とあり、「艶」とは対照的な寂しさを秘めた美的情緒として、歌合(うたあはせ)の判詞や歌論・連歌論にしばしば用いられた。
 
 

「あはれ」は、上代阿波礼と書かれ、後代にその意味からの字が当てられるようになったとわかります。
 
「哀」の字は「衣」の中に「口」で、字義は「衣で口を隠しものを言うのを押さえて悲しみを堪えること」なのです。
 
この字をわざわざ阿波礼に当てたということは、阿波礼の本義が「口をつぐむことと、そこから発生する様々な悲哀」だということができます。
 

阿波説をご存知の皆さんは、阿波国隠国(こもりく)、柿本人麻呂が「言挙げせぬ国」と歌を詠んだ「葦原の瑞穂の国」であると聞いたことがあると思います。

万葉集

巻五  八九四  山上憶良
 
  神代より言ひ伝来らく そらみつ大和の国は 皇神(すめかみ)のいつくしき国
  言霊の幸はふ国と 語り継ぎ言ひ継がひけり 

巻十三 三二五三  柿本人麻呂
 
  葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国
  然れども 言挙げぞ我がする
 
  言幸く(ことさきく) ま幸く(まさきく)ませと つつみなく
  幸く(さきく)いまさば 荒磯波(ありそなみ)
  ありても見むと 百重波(ももえなみ) 
  千重波(ちへなみ)にしき 言挙げす我は 言挙げす我は
 

例によって「大和の国」と当たり前のように各種文献に書いていますが、当ブログでも何度も指摘したように本当に「大和」だったのかは、当然疑問を持たなければいけません。
原文を見てみましょう。

 神代欲里云傳久良久 虚見通倭國者 皇神能伊都久志吉國
 
 神代より言ひ伝来らく そらみつ倭の国は 皇神のいつくしき国
 
 言霊能佐吉播布國等 加多利継伊比都賀比計理
 
 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ言ひ継がひけり
 
 今世能人母許等期等 目前尓見在知在
 
 今の世の人もことごと 目の前に見たり知りたり
 
 人佐播尓満弖播阿礼等母 高光日御朝庭神奈我良愛能盛尓
 
 人さはに満ちてはあれども 高光る日の大朝廷神ながら愛での盛りに
 
 天下奏多麻比志家子等撰多麻比天勅旨反云大命
 
 天の下奏したまひし家の子と選ひたまひて勅旨(反云大命)
 
 戴持弖唐能遠境尓都加播佐礼麻加利伊麻勢
 
 戴き持ちて唐の遠き境に遣はされ罷りいませ
 
 宇奈原能邊尓母奥尓母 神豆麻利宇志播吉伊麻須
 
 海原の辺にも沖にも 神留まりうしはきいます
 
 諸能大御神等船舳尓反云布奈能閇尓 道引麻遠志天地能大御神等
 
 諸の大御神たち舟舳に(反云ふなのへに) 導きまをし天地の大御神たち
 
 倭大國霊 久堅能阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利見渡多麻比事
 
 倭の大国御魂 ひさかたの天のみそらゆ 天翔り見渡したまひ事
 
 畢還日者又更大御神等
 
 終はり帰らむ日にはまた更に大御神たち
 
 船舳尓御手打掛弖 墨縄遠播倍多留期等久阿遅可遠志 
 智可能岫欲利大伴御津濱備尓
 
 舟舳に御手うち掛けて 墨縄を延へたるごとくあぢかをし
 値嘉の岫より大伴の三津の浜辺
 
 多太泊尓美船播将泊都〃美無久 佐伎久伊麻志弖速歸坐勢
 
 直泊てにみ舟は泊てむつつみなく 幸くいましてはや帰りませ
 
 
 
ちゃんと國、と書いてあります。
 
倭の国には、「みつ」の浜を含む「海」があり、「倭大國霊」「そらみつ」に鎮座しているのです。
大和に海がありますか?
 
日本唯一の式内社大國玉神大國敷神社は、阿波国そらと呼ばれる地方、「みつ郷」をも含む「美馬郡」に鎮座していることは何度も指摘するとおりです。
 
そして、その国が「言霊の幸はふ国」なのです。
 
しかし、その言霊の幸はふ国、葦原の瑞穂の国は、人麻呂の言う「言挙げせぬ国」=「隠国」となってしまったのです。
 

 「神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする」
 
 「言挙げす我は 言挙げす我は」
 
 
された国と言挙げせぬ国人に対する切々とした柿本人麻呂の心情が伝わってきます。
この「心情」こそが阿波礼なのです。
 

権威ある先生方の、阿波礼語源説もなんとも滑稽に見えてくるではありませんか?
調べても分からなければ、どんな知識人であっても、このように「想像」のレベルで語るしかないのです。
頭の良い人の想像なら正解、ということには残念ながらなりません。
 
 
 
感動詞「あはれ」が語源。「あはれ」は、感動を表す「あは」に接尾語の「れ」がついたもので、喜びや悲しみに限らずあらゆる感情を表す語として用いられた。
次第に、賞賛の意味に用いる場合には特に促音化して「あっぱれ」、「嘆賞」や「悲哀」などの感情を表す言葉が「あはれ」というように使い分けられるようになった。

では、その感動詞である「あは」の語源は何なのか?

感動した時に「あ~」「は~」と声が漏れるから、というのでは、倭大國玉神も怒り、柿本人麻呂も涙するのではないでしょうか?
 
 
ところで、人麻呂を検索していて、阿波人と思われる方の面白いブログを発見しましたので、ご紹介させていただきます。
 
 
 
 
人麻呂の歌に関する考察の進め方も非常に論理的で勉強になります。
 
 
 
(続く)