空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

鵜の部山古墳へ行きました

イメージ 2
 
 
目的の二つ目は、鵜の部山(うのべやま)古墳、です。
前から、行きたい行きたい、と思っていました。
 
内容については、仁徳天皇は讃岐の天皇 6 に書きますが、この古墳は、八田若郎女の御陵と考えられます。
 
ネットで調べてもなかなか正確な位置がわからず困っていましたが、やっと確実な情報を見つけたので行くことにしました。
それで、正確な地図もここに載せる気でいましたが、行って気が変わりました。
何というか、そっとしておきたい、という気持ちです。
 
巷では、パワースポットなどと呼ばれるものが話題を呼んでいるようです。
私には、そんなものを感じる力はないはずですが、ここではそれらしき力をがんがん感じました。
周りを歩くだけで力を感じて、ちょっと興奮してしまいました。
 
私もこれまで、あちこち、神社や古墳を訪れてきましたので、ここは何か?他とは違うなあ・・・、という感覚くらいは得られるようです。
 
以前、八倉比売神社の例の五角形の祭壇のところでも不思議な力を感じましたが、ともに古墳です。
本来、人が上を歩きまわるような場所ではないのです。
 
 
イメージ 3
 
 
鵜の部山古墳は、古墳時代前期前方後円墳ですが、後円部の一番上に後世に置かれた石祠があります。
この石祠に使われている石は、その石質から、阿波の八多町のものではないか、という説があります。
 
 
イメージ 1

 
その下の板石は石室の天井石に当たるものか?とも言われています。

しかし、その後円部の盛り上がりに上がることさえためらわれ、しばらくその周りをぐるぐる周っていましたが、上に説明板などもあったため、意を決して手を合わせて登らせていただきました。
 
 
イメージ 4
 
 
帰宅してからネットで見ると、ここは有名なパワースポットだと書かれたページを見つけましたが、何か感じるのは私だけではないんだなと納得するやら不思議やら。

で、申し訳ないが、おちゃらけた浮かれ気分でここを訪れ、古墳の上を歩き回るような一部の不敬な人間には、なるべく行って欲しくないので、地図は未掲載とします。

写真を見て山の中にあるのかと思っていましたが、なんと新興住宅地のど真ん中で、一見公園か何かのように見えます。
というよりも、この古墳を囲むように、近年新築住宅がどんどん建てられたようです。
 
 
イメージ 5
 
 
調べると、以下のような新聞記事がありました。
 
 ※ 調査はこれから ~ 市の対応に批判の声
 
さぬき市津田町鶴羽にある市指定文化財前方後円墳鵜(う)の部(べ)山古墳」周辺で、市が事前調査をしないまま住宅建設工事が進められ、古墳の一部が壊されていたことが9日、分かった。
 
市によると、古墳を含む土地の地権者との交渉がうまくいかなかったといい、結果的に工事を黙認していた。
市は今後、調査を行うと共に、崩壊した部分にコンクリート壁を作り、これ以上の崩壊を防止する方針。
しかし、関係者からは市の姿勢に批判の声が上がっている。
 
古墳は、全長約30メートル、後円部直径約15メートル、前方部の1辺は約15メートル。
高さは約12メートルあり、墳丘は林になっている。
 
古墳時代前期に築かれたとされ、土の代わりに石が積み上げられた構造。
大和朝廷の成り立ちを知る上で貴重な文化財という。
 
市などによると、古墳南側の前方部周辺で、昨年11月末に工事が始まった。
後円部の東側に重機を運び入れる通路が造られ、続いて古墳周辺の土の掘削に着手。
工事がほぼ終了した今年4月までに、前方部周辺の丘陵が約16メートル削られ、前方部も一部崩れた。
 
古墳など文化財の保護活動をする「さぬき市文化財保護審議委員会」が工事が進められていることを知り、昨年12月3日に緊急に会合を開き、市に古墳の広がる範囲の特定などの調査と、工事の立ち会いを求めた。
文化財保護法などによると、古墳周辺で工事を行う場合は、自治体が古墳の墳丘とその周辺で埋蔵物などの調査をする必要がある。しかし、市は調査せず対策も講じなかった。
 
市教委生涯学習課は「(事前調査のために)財政面で余裕がなかったのと、地権者との交渉が進まなかった」と釈明。
前方部は既に南側の土が削られ絶壁になっており、市は今後、絶壁になった部分にコンクリート壁などを設け、土や石の飛散などを食い止める策を講じるほか、今年中にも古墳の調査に乗り出すという。
 
しかし、同委員会のメンバーは「貴重な資料となる古墳の事前調査をせずに工事を許可した市の責任は重い。文化財保護行政の在り方についてもっと考えるべきだ」と厳しく指摘している。
 
 
 
2004年のことだそうです。
まことに憤懣やるかたない事実です。
壊してしまったものは元に戻らないのです。
ましてや、これほどの古墳を・・・。
 
 
イメージ 6
 
南側から見た全体像
 
上記新聞記事の「コンクリート壁」というのが、写真の左下に見える白い部分で、その手前が本来存在した古墳の丘陵部になります。
その上方、部分的に残っている前方部はロープが張られ立入禁止になっています。
 
この一帯には、他にも古墳がたくさんあります。
 
 
その中でも、鵜の部山古墳は最古級で、原始的な石積み構造の前方後円墳なのですが、その価値も分からない人間が多いというのは広報や教育の至らなさでしょう。
 
教育といえば、四国新聞の記事に、この古墳について近くの児童たちに教育するものがありました。
 
 この日は、古墳時代前期にかけて営造された同古墳を特別に開放。
 児童たちは市教委職員から、
 「他部族に対して権力を誇示するため海岸線に造られた」などと説明を受け、
 歩いて全体の大きさを測るなどして疑問点を次々と質問していた。
 
なんの根拠があってこんなことを言うんでしょう?
まあ、何も教えないよりは、余程ましですかね。
 
 
イメージ 7
 
 
イメージ 8

 
こんな石も転がっていました。
これはすえドンさんの得意分野ですが、祭祀に使われた石ではないでしょうか。
 
 
イメージ 9
 
 
一面の曇り空が、ここへ来たときにはごらんの通りの青空に。