空と風

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「高越山」は、やはり「比婆山」なのか?

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徳島県美馬市脇町にある「大国敷神社」へ参ったあと、東の方向に大木を発見しました。
地方の平地で神社を探すのは簡単で、このような大木かこんもりとした森を見つければ、それはほとんど神社なのです。
都市部のような高い建物がないので、車を走らせるだけで、右に左に神社を見つけることができます。
予備知識はないけれど、あまりに大木が見事だったので行ってみることにしました。


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正面(東側)に回ると鳥居があり、扁額には「春日社」とあります。


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参拝した後、拝殿の北側へ回ると、合祀された神社でしょう。 祠が三つ並んでいました。


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いちばん左は「天神社」と彫られています。


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真中は「豊玉神社」です。


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右は「伯耆神社」です。


古事記に記される伯耆(ほうき・ははき)国(古事記では伯岐国と表記)は鳥取県出雲国島根県、ということに“なって”います。

亡くなった伊射奈美尊は、出雲国と伯岐国との堺の比婆の山に葬りき」と記されています。

当ブログにも既に書いたように、延喜式式内社「伊射奈美神社」は日本唯一、阿波にしかありません。
比定社は数社あり、いずれも隣接する吉野川市美馬市にあります。

そのうちのひとつ、高越山(こうつざん)山頂の「高越神社」は有力候補の一社で、『阿府志』にも

「伊射奈美神社小社美馬郡拝村山の絶頂にあり、俗に高越大権現、祭神一座伊射奈美尊 別当高越寺神主早雲治郎」

とあり、複数の阿波郷土史家が、この高越山を伊射奈美尊が葬られた「比婆の山」と考えています。

また、そこから連想したわけではなく、様々な数多い状況証拠から、古事記に記載されているところの「出雲国」とは、この高越山の麓付近から吉野川下流方面の地方、逆の上流地域が「倭国」であるとしています。

この境目というのが「岩津」という場所で、昔、渡し船があった吉野川の川幅が中流域で一気に狭まるところ。
忌部の本拠地の一角で数多い伝承が残っています。
「いわつ」とは「伊倭(いわ)津(つ)」なのかもしれません。
徳島市吉野川下流)方面の古地名が「渭(い)津(つ)」であったように。

韓国の「桓壇古記」に記された、

 「日本は、舊くは、伊国に有り」
 「任那は伊倭(国)に属する」とある「伊倭」です。


播磨国風土記』には、葦原志許乎命大国主命の別名として「伊和大神」の名が登場します。
播磨国一宮は、式内伊和坐大名持御魂神社。
その比売神とも言われるのは、式内伊和都(いわつ)比売神社です。

そしてその伊和大神伝説の地には阿波庭神社が祀られています。


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岩津は高越山の真北になります。
そのすぐ左に現在の市の境界線が引かれていますが、古代からこの「岩津」を境に国が東西に分かれていたのです。

その西、倭国側の東端が「ハハ(ハバ)」と呼ばれていたらしく、その境目がすなわち「はは岐」
岐路/分岐などと書くように「岐」は境目のことです。
地図西側の先、山寄りの地名は、つい最近まで「端(はば)山」でした。
地図左上、美馬市吉野川北岸の地名は「町」ですが、岩利大閑氏によれば、古代は倭岐であったといいます。

徳島では昔から、「山の上の方」や「この岩津から西の方」を「ソラ」と呼びました。
古事記には倭国のことを「そらみつの国」と書いてあります。


古事記にはまた、伊射奈美尊の黄泉の国と出雲の境である「黄泉津良坂」を、「今、出雲国伊賦夜(いふや)坂という」、と記しています。
地図の「岩津橋」の下(南)の方に「忌部山」、さらに下に「木綿麻山」の地名が見えます。
高越山は別名、木綿麻山(ゆうまやま)というのです。

伊賦夜(いふや)とは、読み(音)で言えば(ゆうや)でしょう。
木綿麻山(ゆうまやま)が伊賦夜(ゆうや)へ、転語したのかもしれません。

現代人は、「○○坂」という字を見ると「ああ、坂道の名称だなぁ」と思いますが、古代において「坂」とは「境界」を表しました。
「さかい」の語源が「さか」なのです。
古代、平野部の国(邑)の境界には同祖神が置かれたりしましたが、山上・台地上の国の境界はそこへ出入りする途中の「坂」とされました。

すなわち、必然的に「黄泉の国」は山上にある、ということになります。


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日本唯一の式内「伊射奈美神社」が鎮座し、比婆山とされる高越山。

そのふもと、出雲(以津毛)国から倭国に入った境に「伯耆(ははき)神社」。

その横にも日本唯一の式内社大國玉神大國敷神社」。

このように単体ではなく、一つのことを調べると、縦横に、地名・神名・神社・伝承などが、空間・時間を超えてどんどん繋がっていくのが阿波なのです。


「ハハ」の地とは伊射奈美尊を表す「母」の意味なのでしょうか?

上の地図で「東・出雲国」と書いてある部分が、日本最大の川中島「善入寺島」で、かつては「粟(あわ)島」と呼ばれていました。
イザナギイザナミの国生みで「水蛭子」の次、2番目に生まれた「淡嶋」とは、この島のことではないか?と私は思っています。

ともにこの上流の川中島に鎮座する2つの「伊射奈美神社」のどちらかがオノコロ島で、国生みの出発地と考えるからです。

「次生、淡嶋、是亦不入子之例」と書かれ、国生みが終わった後で更に念を押すようにわざわざ、
「亦姪子與淡嶋、不入子之例也」、子には入れない、と書かれています。

「子の内に入れない」とは、国生みで新しく生まれた(支配地に入った)のではなく、元々自国(阿波国)の中の一地域だった、たんに最初の上陸地点だったという意味と考えられます。
の国は、国生みイザナミ)の出発地、その上にそびえる高越山はまた、その死後、その功績をたたえて葬られた場所とすれば辻褄が合ってきます。

「子の内に入れない」という意味のもう一つの可能性については、また次の機会に書きます。
ところで「えびす」神の正体には諸説あり、蛭子命とか、事代主命、または各地の淡(粟)島神社の御祭神、少彦名神と言われます。
「伊射奈美」「蛭子」「淡嶋」「粟嶋」「事代主」「少彦名」と阿波を通してつながりが見えてきます。
全て、海路を使って各地を開拓した神。同一人物かもしれません。

一番目の子「蛭子」を「葦船而流去」、葦船で流したとされるとおり、定住せず日本各地を開拓した「海人族」なのでしょう。
彼らの習性でしょうか?開拓先の地にはことごとく出身地阿波の地名を名付け、阿波の神を祀りました。
それが歴史を混乱させる要因の一つになったようです。
徳島の東海上にも「自凝島」に比定される島と「淡島」があります。
それもその理屈で命名されたのかもしれません。

日本各地に少彦名神を祀る「淡島・粟島」神社がありますが、まさに阿波のこの淡島という島に、少彦名神を祀る淡島神社がありました。
現在は対岸の陸地に移されています。


今、日本の各地で、それが元々の地名であり、祀られている神々が当地の神であると思われているものが、実は阿波の地名と神であったと判明するだけで、歴史の真実が見えてくるのではないでしょうか?
しかもその痕跡は、数多くの面で残っている(たとえば、延喜式だけを見ても、阿波と名づく神の分布を見ても、忌部氏の実態を見ても、大嘗祭を見ても、前方後円墳を見ても・・etc)というのに、なぜに阿波郷土史家以外は誰も気づかないのでしょうか?(桜島さんのような方もいますが)
不思議でなりません。



上記の地図、「岩津」を境に右下の山川町は旧麻植郡。阿波忌部の本拠地です。
右上、阿波市には、これまた日本唯一の式内社事代主神社」をはじめ出雲族の神が祀られ、またこの地はニギハヤヒの国でもありました。
地図の右上あたりは、その6代孫、伊香色雄命ゆかりの地で地名の伝承などが残っています。

日本書紀崇神紀)』では、ニギハヤヒの子孫、大綜麻杵命物部氏の祖、物部連の祖を伊香色雄命としていますが、その大綜麻杵命、伊香色雄命、その姉で崇神天皇の母、伊加賀志許賣命、すべてこの南岸、旧麻植郡に日本唯一の式内社を含めて祀られていることは既に書いた通り。

式内伊加賀志神社の境内社で、崇神天皇が祀られていますが、他に崇神天皇を祀った社は全国に存在しません。

ここから高天原四国山地)を挟んで反対側の高知県に入ったところが「物部村」です。

位置関係から推測すると、饒速日ニギハヤヒ)命の一族と、天日鷲命の忌部一族が親族関係を結び、そこから物部氏が生まれたのではないでしょうか?


徳島県神社誌』を眺めると、高越山麓は勿論、山沿いにずっと県西部まで天日鷲命を祀る忌部系の神社が点在します。
吉野川を渡り、三好地方北岸にも同じく忌部系神社が数社あります。

ところが、この美馬市平野部および北岸の山間部だけ空白地帯のように忌部の神社が無いのです。
そこには延喜式式内社でみれば、「伊射奈美神社」イザナミの子級長津彦を祀る「天都賀佐毘古神社」、同じく弥都波能売を祀る「弥都波能賣神社」、同じく埴山姫を祀る「波爾移麻比禰神社」と、伊射奈美命に係わる神社だけが鎮座します。

延喜式神明帳を見れば、一国に式内社が数社、というところもたくさんあるのです。
なぜに、日本中でほとんどの人がパッと思い出せないような徳島県というド田舎の、更に限られたごく一地域に、これだけの式内社が、しかも伊射奈美命に関連する古社ばかりが存在するのでしょうか?

このイザナミエリアこそが、伯耆(伯岐)国と記されたハハの国なのではないでしょうか?
「ハハ」の地が、伊射奈美命ゆかりの地ゆえに、忌部氏も宮や陵墓や神社を造ることを遠慮したのではないか?などと想像がふくらむのです。


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鳥居前から見た高越山(黄砂で霞んでいます)


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