空と風

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道は阿波より始まる ~阿波で千年、京で千年~

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徳島の郷土史・古代史研究者たちに多大な影響を与えた本が、この「道は阿波より始まる」岩利大閑(著)です。
内容は簡単にいえば、古事記に記された物語は阿波国内の実話だったという話です。

 

昭和57年に発行された非売品で、一読すればわかるように、主として徳島県民に向けて書かれています。
その後、財団法人京屋社会福祉事業団がこれに目をつけ、再販しました。
ネットでそのことは知っていましたが、何分古い話なので、今現在も京屋さんが扱っているとは思いませんでした。
というのは、調べると、この本は古書店やネットで一冊数千円から1万5千円くらいするのです。
つまり、絶版本扱いのプレミア価格で取引されているのです。

 

また、「その一」は時々見かけますが、「その二」「その三」は、ほとんど入手不可能なくらいヒットしません。
12月に古書店で「その一」を入手し、面白かったら「その二・その三」を時間をかけて探そうと思っていました。



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読んでみると、なるほど影響力のあることがよく理解できる内容で、ぜひ続きが読みたいと、県立図書館で借りてきました。
県内の図書館何館かには所蔵されています。
ところがその後すえドンのフォト日記を見ると、いまでも全巻京屋で入手できるのだとか!
灯台下暗しとはこのことか・・・。
でもこれで思い存分アンダーラインが引きまくれます。



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まだ、「その二」を読み始めたところなのですが、「その一」だけについて少し紹介します。
大変興味深い本ですが、完璧ではありません。
それは岩利氏の説に問題があるという意味ではなく、本の書き方の問題です。
この本は、古事記や古代史や阿波郷土史に無知だった人々に向けた入門書の形式で書かれています。
したがって、氏の説のダイジェスト版のようなもので、著者自身が「なるべく分かりやすく、学術的にならないように配慮して書いた」と記しています。
古事記徳島県の地図を片手にこの本を読んでくれ、とも言っています。
また出版後の論争に備え情報を温存しているとも、大国主万葉集について書くだけでもそれぞれ一冊になるため徐々に発表するとも書いてあり、「その二」の冒頭を読むと「出し惜しみするな」との要望が多数寄せられたそうです。

 

阿波の古地名などもズバズバ出てきますが、その地名や地名に使われている漢字が現代の徳島県人でも知らないものが多いのです。
資料として見るには、それらを何によって確認できるのかが大事なのですが、それは一部しか書かれていません。
著者の持つ膨大な資料と知識では当然のことなので、さらっと書いたという感じです。
その根幹は『阿波風土記』の父祖の代からの伝承になります。

 

この本は、古代史に興味のある方には是非読んでほしいと思いますが、このまま全国出版するには難しい文章上の表現がところどころにあります。
知識の乏しい一般人、というような意味合いで「土民」という表現が随所に使われます。
私的にはこの表現がとても気に入って、マイブーム的なフレーズになっています。
まさしく土民そのものの私としては、まことにその通りで腹も立ちません。
「土民之を知らず」「土民之不知」は、私が高校生の頃思いついた「無知は罪」という言葉と意味は何ら変わりません。
「無知ゆえに、悪気はないのに間違った(罪深い)言動をしてしまう」というのは誰にでも当てはまる現象なのです。

 

※その後、いろいろ書物をみていると、明治の頃のものには頻繁に「土人」という表現が出てきます、
「その土地土地の人」というような意味合いのようです。



徳島県内についても、「阿波の諸産物・風俗(歌・阿波踊)等で現在いわれている説はほとんどがでたらめです」と書かれています。
著者ほどの古代に関する知識があれば、庶民の無知は舌打ちしたくなるほどだったでしょう。

 

たとえば、「あまたらし」という古代の神名・神社名を、正しくは「天帯」なのに、後世の人々が間違って「雨降」と書き、雨乞いの神のようにしてしまったり、「いのやま」を「眉山」と改名したさいの根拠の間違いなどについて残念そうに解説しています。

 

また、他県や他県人、他県の郷土史家をこき下ろす表現もあります。
これも反感を買うでしょう。
しかしこれも、随所に出てくる著者一流の毒舌の流れで、目くじらを立てるほどではありません。
私はこの毒舌も好きで笑いながら読んでいます。

 

たとえば、
「文化八年の春、京都より従三位上阿部加賀守下向し、美乃下鴨社の旧記録を改め、祭式を京都下鴨社式に改めさせられたと三野町史に記されていますが、全くけしからぬ話です。私は京都下鴨社の前を通るたび、このことを思いだしては鳥居を足でけとばしています。まことに無礼な“出張神社”の思い上がりと憤慨に堪えません」
などと書かれています。(^^)



当然その説の中身が一番大事なのですが、論調も論理的で、文体も格調があるために、全体的な説得力を増しています。
この本についても、今後少しずつ引用していきますが、最初に「あとがき」に記された著者の生い立ちを紹介します。

 

著者は御自身も数十年の研究を重ねてきましたが、その研究は祖父の代から三代続いてきたもので、また家族以外にも研究に関わった人々が多数に及びます。
そのいきさつは別にして、なぜそのような家系だったのか?が説明されているのです。

 

著者が阿波の古代史に自信を持ち研究に没頭したのは、子供のころからの父祖よりの伝承、祖母から聞かされた“各国”の昔話が元にあったそうです。

 

「何故、阿波国のことのみでなく、いろいろと他国の昔話を聞き育ったのか、私の家庭環境を記しておきます」

 

父方祖父は、太田道灌(源氏)の末流井上家で、大和郡山藩(奈良)藩士
江戸詰のさい親類関係になった鳥取藩士石橋家とともに、王政復古後
「相たずさえてあこがれていた阿波へ住みつきました」
井上家の祖母が、徳島県板野郡の士族で『徳島の百人』にも取り上げられる人。

 

母方祖母は、首藤刑部藤原俊通十三代目の藤原定が、土佐国を経て、蜂須賀小六に招かれ徳島藩高取となった後、名を改めた山内家の人。
膳所本田家(滋賀)の重臣へ嫁いだものの一騒動あり、土佐の親類へ身を寄せたあと、徳島へ戻りました。



「祖母の語る昔話は多種多様、阿波の話、淡路の話、勿論土佐、近江大津の物語、京の親類の家々の昔話。
 いきいきと山内家に伝えられた昔話をうなづきながら聞いていた少年時代の私が今も眼に浮かんできます」

 

また、山内、井上家のエピソードを通して「一族の本家に対する団結心」の強さを指摘します。
そんな中で、岩利氏は、耳に焼きついている祖母の言葉を紹介します。
 
昔の人はな「阿波で千年、京で千年」というんでよ

 

「どこからどのようにして伝えられたのでしょうか。何らかの理由で首藤刑部藤原一族に語り継がれた伝承でしょう。また、昔の人は特に出生の伝承を大切にしてきました」

 

「“阿波で千年、京で千年”、源、平、藤、橘、いずれの氏族も天皇家が主家、すなわち氏族の長、その天皇家の歴史を子孫にいい伝えてきたのであろうこの伝承の一言が、私をして阿波古代史への情熱を燃やし続けた大きな支えの一つとなっています」

 

徳川幕府徳島藩による古代阿波国の調査、それを引き継ぐ研究者の人脈との関わりなども含め、まさに岩利氏でなければ書けない本ではないかと思います。



(▼0▼)/~~see you again!