空と風

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不思議の古代徳島

入院中の読書の中から、非常に興味のわく事柄ができました。
もともと興味のあった類の話なんですが、いろいろ読んでいたものが関係を持って繋がり始めたということなんです。
それは、日本の古代のことです。
古代全般に興味があるんですが、それに徳島の古代への興味が重なったんです。
それらを今後少しずつ書いていこうと思います。

 

若いときは歴史などには全く興味が無かったけれど、歳を重ねると自然に関心が増えます。
高校の歴史の教師が負け惜しみのようにそう言っていたのを思い出しますね。
私を含め数人がいつも机にうっ伏して熟睡してたものですから。

 

興味を持ったきっかけは、昭和天皇崩御でした。
戦後教育を受けてきた私は、もっと後の時代の極端な左よりの教育ではありませんでしたけれど、やはり「自由」と「平等」という価値観を強く植えつけられたのでした。
私が小学生のとき、病院の待合室で雑誌をめくっていると、巻頭ページに皇太子(現皇太子・徳仁親王様のこと)様の運動会の様子が載せられていました。
浩宮様が学習院初等科の運動会の徒競走で2番になられた」と大見出しで報じられていたのです。

 

よ~く、憶えています。 その記事を見た小学生の私は、

 

「わしが運動会の徒競走で1番になっても親しか喜ばんやろう。何でたかが2番になっただけで、皇太子というだけで、こんなに全国的大ニュースなんじゃ。」

 

と思ったことでした。人間なら平等やろが?と思ったわけです。

 

特別、皇室に対して何らかの思い入れがあるというようなこともなく、私の祖父はルソン島で戦死していますので、靖国関係と思われますが菊の御紋の入った煙草なども時々いただき、遺影の横に皇室関係の写真を掲げ、それらをありがたがっている親や大人たちの気持ちが理解できないという漠然とした思いがあるだけでした。

 

私が生まれてからずっと、当たり前のように時代は昭和だったわけで、昭和天皇崩御されましたときは、たいへんショックを受けました。
何で自分がこんなにショックを受けているのか?さっぱりわからないまま、自然に足が皇居に向かい、自分の名前を記帳しました。
 
     皇居での記帳の列
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     写真は「THE DAY in TOKYO」情報センター出版局

「大変お疲れ様でした。」「ありがとうございました。」という気持ちを込めて、自分の名を書きました。
ただそのとき、たいへん多くの人が、ごくごく普通の人たちが、同じように記帳所に訪れ、さらにその周辺で皇居に向かって思い思いに手を合わせている光景を見て、何ともいえない不思議な感覚と一体感を同時に感じました。
「この感覚はいったい何なんだろう?」
生まれて始めて感じる感覚。
感じているのは「日本人としての一体感」だと思われました。

 

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       社会の全てが一旦停止する

私が社会に出て最初に就いた職業で、職場の長が話した訓辞を思い出します。
天皇は日本人の象徴・中心である」
「皇室と天皇は、全日本人にとっての『本家』『本家の長』である」
「君たちには親が二人いるな。祖父母は4人いる。そうやって数えていき27代も遡ると、誰にでも1億3千万人の先祖・祖父母がいる」
「しかし日本の人口は今がピークで、昔に遡るほど少なくなる。そのころの人口は数百万程度だろう」
「つまり突き詰めれば、日本人なんてみんなどこかで血のつながった親戚のようなものである」
「私も含め君達も、何代か遡ればどこの馬の骨かわからないような人間ばかりである」
「しかし天皇家はその中で太古の昔より、日本の中の『最も尊い家柄』として歴史の中心に存在してきた」
「つまり日本人はみな歴史の中で天皇と繋がっている、と考えられる。天皇家は全国民の本家であると心得よ」
「それが、われわれ一人一人の日本人としての心のよりどころになる」
と言い、我々に教育勅語を暗記させました。

 

教育勅語」ですよ。戦中のお話じゃありませんよ。
20数年前の話です。左翼の皆さん、ぶったまげるでしょ?
内容は極めてまっとうなことが書かれていると思いますけどね。
そのときは(ふ~ん)と聞いていただけです。

 

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     京都御所記帳の列

皇居前に立ち、今、感じている天皇経由の他人との国民的な一体感を、自分で論理的に理解することはできませんでしたが、皇室や天皇という存在の重さを身にしみて知らされた思いでした。
そのころから、「天皇」って何だろう?という存在に対する疑問と、「天皇のルーツ」や「古代の日本」に関心を持つようになりました。

 

もちろんルーツはいまだに謎です。いろいろな説がありますが、決定的なものはありません。
本当のことは皇室だけが知っています。先祖の情報は家柄から言って間違いなく伝達されているはずです。
どこから来られたどんな家系であろうとも、仮にそれを今後公表して、そのせいで国民の敬意が今さら失われるということは無いだろうと思います。
しかし、公表できないとすれば、それなりの理由があるのでしょう。
それは、よほど隠さなければいけないものがあるか、宗教的理由ではないかと想像します。

 

(続く)